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22 新たなご主人さま


「ひ…………!」


 カルナリアは凍りついた頭の中で直感する。


 これは、知っている。

 ()()()()

 今から人が死ぬ。その予感。


 自分なのか。

 自分が、これから、あの死者たちと同じものになるのか。

 なぜ。


「そ、それは…………そうなる……が……」


 ランダルも、激しく戦慄し動揺していた。


「私は奴隷を持ったことがない。だから聞いておく。

 主人が奴隷に危害を加えたら、どういうことになる?」


 声音は何も変わらないが、ぼろ布の周囲が歪んで感じられるような異様な迫力と共に、ぼろぼろは問うた。


「別に、その、主人は、どういうことにもならない。自分の家の柱を殴ったり飼っている馬を蹴るのと同じだ。もっとも、殴ったせいで自分の指が折れた、蹴った足をくじいたなどということで奴隷を罪に問うことはできない」


 問われるままに、早口でランダルは語る。


「ふむ。それ以上のことをしたら」


「奴隷を痛めつけて働けなくしても、主人の損失になるだけだ。

 面倒を見る義務は常に主人にある。

 奴隷に欠点があったからと前の持ち主や奴隷商を訴えることはできない。働けなくなっても捨てることは許されない。罰金を払って解放するか、回復するまで療養させるかだ。

 奴隷が主人に危害を加えたら問答無用で死罪だが、主人が奴隷に反撃されて傷ついた場合、その怪我の責任を奴隷の家族や関係者に負わせることもできない。

 要するに、あまり無茶なことはしない方が得だぞ、ということだ」


()()()()をさせたら」


 え、とカルナリアはぼろぼろを見上げた。

 ランダルもぎょっとした。


「私は今の所そういう趣味ではない。だが一般論として知っておきたい」


 カルナリアは安堵し、かつ体を熱くした。

 夜の相手というのがどういう行為か具体的にはわからないが、夜に一緒に寝てくれる添い寝は、ここで言っていることとは違うもののはずだ。


「今の所――まあ……うむ……女奴隷に手をつけ、子を産ませるのは珍しい話ではない。これも、そのこと自体はまったく罪ではない。

 もちろん正式な妻が厳しく対応し家の中が乱れるかもしれないが、それは別な話だ。

 夫婦の奴隷の妻の方に手を出した場合も同じく、手を出すこと自体は罪にはならない。だが生まれた子の認知は必ずしなければならない。

 子を自分と同じ身分にするか奴隷とするかは主人が決めていいが、どの場合でも相続権は一切与えられない。

 また養育の義務は全面的に主人が負う。飢えさせたり虐待して死なせてしまっても、それ自体は罪にならないが、遺体処理の義務は負う。

 その子がしつけ不足で他人を傷つけた場合は、自分の馬が人を蹴ったというのと同じ扱いで、裁判で相応の管理責任を負わせられることになるだろう」


「なるほど。では――殺したときは」


 カルナリアは殺しと聞いて身震いした。

 だがぼろぼろの声音にはまったく変化がなかった。

 やはりこの人物は剣士、命のやりとりが日常である存在なのだ。


「殺してしまっても、やはりそれ自体は罪には問われない。むしゃくしゃする時に自分の持ち物にあたって壊したというのと同じ扱いだ。

 しかし責任はあるので、代わりの奴隷をただでよこせと奴隷商に要求することはできない。

 また死体処理の義務がある。ちゃんと葬らずその辺に捨てるような真似をしたら、路上にごみをぶちまけて汚したのと同じように罪に問われる。

 殺す際に他人の建物や家具、衣服などを血で汚した場合も、弁償は主人がすることになる。

 また役所に死亡届を出す義務もあり、葬儀代、神官への謝礼など一連の費用も負担しなければならない。

 大体の場合、あまりいいことはない」


「逃げた場合は」


「全面的に主人が正しく、奴隷が許されることはない。

 主人には追いかけて捕まえる権利がある。どこかへ逃げこんでいた場合でも、返還を要求する権利を持つ。奴隷の言い分は一切考慮されない。

 もっとも、逃げこんだ先が貴族のところだった場合は、訴えたところで無視されるのがお約束だが――貴族の奴隷が別な貴族の屋敷へ逃げこんだ場合は、お互いの意地の張り方次第では、戦になることもある」


 これは、カルナリアに言っているのかもしれなかった。

 奴隷のルナが、たとえばタランドン侯爵の元に駆けこんだ場合どうなるか。

 単純におおカルナリア様が変装していたのかと助けてくれる、ということにはならないのかも。

 詳しく知っておく必要がありそうだ。


「主人が探して見つけられない場合でも、役人に訴えれば、賞金をかけて国中に手配してもらうことができる。

 最初に奴隷登録した奴隷商のところには、人相や体の特徴、関わりのある者の名前などが記録されているから、それを開示させて、賞金稼ぎが捕まえてくるのを待つのが一番確実だ。

 一方、奴隷の側は、主人の命令で遠くへ使いにやられることもあるので、主人のそばを離れているというだけでは罪にならない。

 罪になるのは、人前で自分の手で首輪を外したとき、首輪をつけずに奴隷ではないように振る舞ったとき、自分が誰のものなのかについて嘘をついたとき、だ」


 確信した。間違いなく、これはカルナリアに伝えている。

 最初に登録した奴隷商、というものはもちろん存在しないが、そういうものが普通の奴隷にはいるのだという知識は、奴隷を装い続ける上で大事なものだ。


「ただ今は、国中が大変なことになっているようだから、今まではこうだったというこれらの決まりが、どこまで通用するかはまったくわからない。そのことについて俺を責めないでほしい」


「十分だ。助かる。つまりは、どこまでも『もの』なのだな」


「ああ、そういうことだ」


「ということは――奪われそうになったり、汚されたりしそうになったら、自分の荷物を盗もうとするやつと()()()()()扱っていいのだな」


「それは、確かにそうなるが………………っ!?」


 ランダルが血相を変えて振り向いた。


 山道の下の方に、慌てて引っこむ頭が見えた。

 すでに何度も関わった相手。ランダルの息子。

 体が大きいくせに迂闊(うかつ)なので、木陰に隠れたがそこにいると丸わかりだ。


 あの距離ではルナの顔はまだよく見えていないだろうが――。


 カルナリアの肩に置かれた手が、軽く握ってきた。


 それだけで、カルナリアを襲っていた死の予感はきれいに消え失せた。


「わかった。()()()()()()()()()()()


 カルナリアはどこをどうされたのか、体をくるりと回転させられて、ぼろぼろの背後に移動した。


 体が浮き上がるような心地に包まれた。

 自分は今、このぼろぼろのものに、本当に、なったのだ。


 今から、()()が、自分のご主人様。


 ――もっとも、後ろから見上げても、前から見たのと何の違いもない円錐形。合わせ目を見抜くにはまだ修練が必要そうだ。


「今までは、世話になっている村の者だから相手にしないできたし、私のものを奪うことはできないようにしていたので問題なかったが、これが私のものとなると……()()()()()()()……」


 冷気が吹きつけた。


 ランダルにだけ。


「今後、手を出してくる者は、いま教えてもらった通り、私のものに手をつけようとする盗人として相手する」


「ま、待ってくれ!」


 ランダルは顔色をなくして声をあげた。


「何を待つのか。まだ、何もしていない。私のものに手をつけるなら、それなりの対応をするぞというだけだ。この村にそんな不届き者がいなければいいだけの話だ。違うか」


「ちがわないっ、何もっ、その通りだっ…………だが!」


「売買はすんだ。条件も聞いて、受け入れた。奴隷についても大体知った。他に何がある?」


「いやっ、だからっ……!」


 ランダルが――親衛騎士ほどではないが、レントよりはずっと優れた体格と武の才を持ち、あの平民兵士たちも彼であったら難なく撃退できていただろう、という男が。


 猛獣を前にした無手の子供のように、血の気をなくし、汗まみれになっている。


 このぼろぼろは、剣士だというが、それほどまでに恐ろしい存在なのか。

 そんなに強いのか。

 相変わらず「色」はまったく見えないのだが……。


「…………ふぅっ」


 ぼろぼろが、恐らく笑ったのだろう、気の抜けるような声というか、音を漏らした。


 周囲の冷気が霧消した。

 穏やかな昼下がりの陽光が差しこみ、深緑の風が吹きこんできた。


「まあ、()()()()()()だな。この子はもう私のものだ。どう扱おうと私の自由だ。これから先は、お前の責任は何もない」


「…………すまん」


「立場があると仕方ない。だから私も()()しているのだし」


「???」


 よくわからない。


 大人が、大人同士だけで通じるやりとりをしている。


「だが、子供のしつけまで私にやらせようというのは違うと思うぞ。私は親になったことはないが、それは恐らく、他人がやることではなく、親の義務であり、責任であり、愛情というものだと思う」


「ああ………………その通りだ。これまで、本当に、すまなかった」


 ランダルが頭を下げた。


 ぼろぼろは動かない――いや、動いた。


 後ろ側にいるカルナリアからは見えないが、何かをした。


 ランダルが泣きそうな顔になった。

 頬がゆるみ、目が潤んだ。


「ランダル・ファスタル・ローツ()()。私は、あなたの心遣いを、忘れない」


 布越しではない、やわらかな、美しい女声が流れた。

 生の声。


 恐らく、顔を出した。

 見せた。


 涙目のランダルが、一歩足を引き、深々と礼をした。


「剣聖、フィン・シャンドレン殿。あなたとお会いできたこと、あなたがいてくださったこと、あなたのしてくださったこと、全てに感謝します。あなたのこれからに風神ナオラルのよき風を」


 それはまるで、芝居の、()()の場面のようで。


(……別れ?)


 なぜそうなるのだろう。


 カルナリアがぼろぼろのものになって、これからしばらく、この山の中で暮らすことになるということの確認だけではなかったのか。


 ランダルは貴人に対するように、顔を伏せたまま後ずさって、たっぷり距離を取ってから回れ右した。


 立ち上がり、山道を下りてゆく。

 その背中は今までよりずっと大きく見えた。

 すさまじい気迫と「才能」が、熱気となってゆらめいて見えた。


「このガキどもがあぁぁぁぁぁぁ!」


 ほどなくして怒号が響いてきた。

 裏返った少年たちの悲鳴がそれに続いた。


「さて、()()()()()めんどくさくなった。戻るぞ。ルナ、さっそく働いてもらう」


 ぼろぼろがきびすを返す。

 その頭部は、これまで通り、完全に隠されている。


「あっ、あのっ……!?」


「なんだ」


「あれは……今のは……けんせい? ふぃん?」


「私の名だ」


 ぼろぼろは、見上げるカルナリアに――恐らく、視線を合わせてくれたのだろうということは感じる微細な動きをしつつ――言った。


「フィン・シャンドレン。『剣聖』と、一部では呼ばれている」


 カルナリアは一昼夜を経てようやく、この奇妙きわまりない、新しいご主人様の名前を知った。




説明回。ランダル、威圧され焦りからの早口。夜の相手という意味がよくわかっていないお姫さま。ともあれ、これでカルナリア「王女」はいなくなり、奴隷の「ルナ」が正式に誕生した。そしてご主人様の名前も判明。元王女の奴隷はこの奇っ怪なご主人様フィン・シャンドレンに、どのようにこき使われるのか。

次回、第23話「収納の達人」。

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