203 披露
カルナリアはレイマールを凝視した。
「どうした、リア?」
「あっ、いえ……ずいぶん、お変わりに……なられたと……」
「バルカニア人の目を逃れて隠れて移動し、厳しい山越えを続けてきたからね。今のこんな姿を見せたら女性たちに泣かれてしまうな。
……いや、そうか…………もう、ないのだね、あの華やかな場所は…………」
悲しげにするレイマールの、表情も仕草も、カルナリアの知る通りの優雅な次兄そのままだ。
(もしかしたら……)
見えているこの「悪い色」は……自分が気づいていなかっただけで、ずっと前からあったのかも。
貴族、いや王族は、罪人の処断程度ではなく、時には数百数千の人間を死なせる決定を下さなければならない身だ。
だからこそ「悪い色」はどうしても現れ、伸びてきてしまうものなのかもしれない。
それに、「色」は必ずしもその相手の行動を保証するものではないということも、これまでの経験で、痛いほどにわかっている。
何一つ悪い色は見えていなかったタランドン侯ジネールが、自領のために、カルナリアを見捨てた。
悪い色の塊のような、これまで何人殺しているのかわからず人殺しを気にもしていないレンカが、自分を救ってくれたり、並んで温泉でくつろぐこともしてくれた。
ならば、レイマールのこの「悪い色」も…………祖国の厳しい情勢を知らされ、きつい山越えを経験し、しかも帰国した後は国を二分しての実兄との殺し合いが待っている身だからこそ湧いてきた、決意の色なのかもしれなかった。
(いずれにせよ…………隠していても、自分で使うわけにもいかないのですから……『王の冠』のことを言って……渡しても……問題は……)
「リアこそ、ずいぶんと変わったよ。みすぼらしいのは仕方がないとしても、回りの者は何をしていたんだい。従者は何人いるのかな?」
レイマールの言い方に、一瞬、モヤッとした感覚をおぼえた。
「いえ、わたくしは、剣士様ただお一人に守っていただいて、ここまで逃れて参りました」
「何だと。何という……王女たる者に、従卒のひとりもつけぬとは、そやつ、常識をわきまえておらぬのか?」
「いいえっ! その方でなければ、わたくしをここまで連れてきて下さることはできませんでした!」
カルナリアは急いで言った。
「今も、わたくしが山賊にさらわれたと思い、外で心配なされているはずです……ああ、兄様、その人たちをお呼びください! わたくしはこの通り無事ですとお伝えして、ここへ招いてください!」
「ふうむ…………わかった。それなら、その者だけでなく、リアをここまで連れてきてくれた者たちにも、礼を言わなければならないな」
レイマールは、傍らに控える女騎士に顔を向けた。
「ベレニス。外の者に今の話を伝え、先ほどの部屋に、ガザードと、リアを連れてきてくれた者たちの長を呼べ。またリアと一緒にいた女たちの様子も見てくるように」
「はっ」
ラファラン家の女騎士が硬い声と硬い表情で応え、カツカツカツカツと硬く速い足音を響かせて出ていった。
「……あの子も、夜には、しおらしい顔を見せてくれるのだけどね」
ごく自然に、この旅の間の愛人だと、あちこちで浮き名を流している貴公子は言った。
カルナリアは意味を理解し――以前は理解できないできょとんとしていたことも思い出し、顔を熱くし――そして、思い出した。
「あの…………トニアという方が…………自分は、レイマール兄様の……隠し子であると……言っていたのですが」
「ほう? そんな者が? 母の名は聞いたかい?」
「いえ……」
「興味深いね。お前と一緒に来たのかい。だったら会ってみてもいいかな」
レイマールは無邪気な笑みを浮かべた。時折見せるこの少年っぽい顔にやられる女性が多いのだという。
しかしその笑みをすぐ消して、真顔で言った。
「これから、皆をそろえて、今後のことも含めて、全てを話す」
(今後……)
そういえばそうだ。
レイマールと会えた以上、自分の旅はここで終わりなのだ。
レイマールがいないバルカニアへひとり亡命する、というわけにもいくまい。それこそ人質にされるだけだ。
ではここからカラントへ引き返すのか。
フィンに、いよいよ自分の正体を話す時が来たのか。
それで、ふたりの関係は終わりを迎えるのか。
フィンにはカラントへ戻る理由はないのだから――このまま、ここで、お別れ……?
(そんな!)
カルナリアの胸が激しくかき乱された。
(そんなこと……そんなはずは……!)
グライル越えの旅はまだまだ続き、その間ずっと一緒にいられて。
バルカニアへ入ってからはじめて自分の素性を明かすことになるだろうと、自分なりに覚悟を決めてはいた。
そうしなければ、王宮にいるだろうレイマールのところへ向かってもらうことができないだろうから。
その時には、どういう反応をされるだろう、態度が変わってしまうだろうかと、思い悩みもした。
王宮にいるだろうレイマールに面会し、『王の冠』を渡し、その後は王女という身分を捨ててフィンとの旅路に身を投じることになるかも……とも夢想していた。
そう、人と人との争いからは離れて、あの謎だらけのひとと一緒に、どこまでも、ずっと…………。
だが、それが、全てくつがえってしまった。
ふたりの旅は、突然、ここで終わることになってしまった!
(わたくしの…………愚か者!)
カルナリアは、自分自身を激しく責めた。
死が――魔獣や異変に襲われて、一瞬前までは想像もしていなかった終わりが、いきなりやってくる。そういうものだとこれまでの経験で学んでいたはずなのに。
どうして、自分にだけはそのような激変が訪れないと思っていたのだろう。
どうして、フィンとの旅はこの先もずっと続くと思いこんでいたのだろう。
レイマールに『王の冠』のことを伝え、すみやかに譲り渡さなければならない。
それが自分の義務。
背負ってきた無数の命に報いること。
やらなければならないこと。
だがそれは、完全にこの旅が終わるということでもある。
これを渡す時が、自分の逃避行が終わるとき。
すなわちフィンとの旅も終わるとき……!
「…………!」
カルナリアは、レイマールに呼びかけて、『王の冠』のありかを告げようとした。
なのに、どうしても、声を出すことができなかった。
※
先ほど女性たちが裸にされかけた、いい印象のない部屋は、レイマールの近習の少年やガザードの小姓たちによって、会議を行うに不自由のないように整えられた。
「いやあ、色々と、すまなかったなあ。何にも知らなかったんだから、そりゃ、危ないもん持ってないか、確かめないわけにゃあいかなくってよ」
テーブルにつきニヤニヤするガザード。その背後にネルギンが立つ。
「てめえと同じ場所にいるってだけで反吐が出そうだぜ」
その向かい側で、腕組みするゾルカン。
整った部屋というもの自体がそもそも落ちつかないようで、椅子にかけたもののしきりに脚を組み替え、不機嫌そうに体を揺すり続けている。
その背後には護衛を兼ねてドランが立っていた。ゾルカンの息子であり後継者候補ということでその役目に選ばれたのだろう。もっとも護衛と言っても武器は持たせてもらえていない。
ドランの隣に、ゴーチェが立っている。ゾルカンが連れてきた。
山賊の頭目と同室ということで緊張しているだけでなく、主であるカルスのことが気になって、奥の扉をずっと気にしている。
そしてトニアと、女騎士ベレニスが、奥の扉の左右にいる。
「トニア、てめえ……全部、話してもらうぞ」
「後にして……ゾルカン…………いらっしゃった……」
トニアが扉を開いた。
まずディオンが出てきて、主がつくであろう席の斜め後ろに立つ。
次いで魔導師のバージル。ディオンと反対側に立つ。
「全員、起立!」
ベレニスの鋭い声が飛ぶ。
座っていたガザードが即座に立ち上がり、貴人を迎える、カラント流の礼をした。
「お、おう……?」
ゾルカンも舌打ちしながら立った。
その中へ、カルナリアは出て行った。
「カルス様!」
ゴーチェが動き、ディオンが反応し無礼者をさえぎろうとする。
「いいのです。旅の間、わたくしの従者をつとめさせている者です」
カルナリアが制止するとディオンは一礼して引き下がり――。
「え…………カルス様…………これは…………?」
わたくし、という貴族女性の言い方をされ、その言葉に明らかに上級騎士が従ったところを見せられ――ゴーチェは目を白黒させつつ、まだ席にはつかないカルナリアの隣に立った。
「みな、控えよ。カラント王国、第一位貴族、第二王子レイマール・センダル・ドゥ・レム――いえ、コル・カランタラ様ご入来!」
ベレニスが言い直したのは、王位継承権者ではなく、次期国王、王太子の称号である。レイマールこそが次のカラント王であるという名乗りだった。
「へ?」
第一位、王子と聞いて、ゴーチェが間の抜けた声を漏らす。理解が追いつかなかったのだろう。
レイマールが入ってきて、再び室内に優雅な風が満ちた。
「頭を上げよ。着席してよし」
テーブルの、最上席にレイマール。
その隣の席にカルナリアがついた。
「カラント王、麗夕王ダルタスが子、第二王子、王太子レイマールである」
「おっ、王子っ!?」
ゾルカンが目をむく。
「ゾルカンというそうだな。このグライルを往復する者たちの、一隊の長。違いないか」
「あ、ああ、そうだけど……よ……こりゃあ……」
ゾルカンはレイマールと、その隣にいるカルナリア、さらに扉のところにいるトニアと激しく視線を揺り動かした。
「まずは紹介しておこう」
レイマールはカルナリアを示した。
「これなるは、我が妹、カラント王国第四王女、カルナリア・セプタル・フォウ・レム・カランタラである。ゾルカンよ、妹をここまで連れてきてくれたことに、心より感謝する」
「おっ…………おうじょっ……さまっ!?」
ゴーチェが雷に打たれ、目も口も限界まで開ききった。
カルナリアが祖国の崩壊と親しい人々の喪失を経て、数々の経験を重ねてただのお姫様ではなくなったように、レイマールもまた祖国の危機を前に覚醒したということなのか。そしてこのまま、カルナリアはフィンと会うことさえできないまま、王女として扱われ、別離を迎えてしまうのか。次回、第204話「新たな世界」。武器こそ振るわないけれども、それぞれの立場、存在、誇りをかけた言葉の戦いが始まる。




