202 兄妹再会
扉の先は、また部屋になっていた。
控え室だろう、椅子が二脚だけ置かれた小部屋。
もちろんここもきちんとしたつくりだ。
その向こうにさらに扉、それをくぐると。
「わあ……!」
王宮で生まれ育ったカルナリアにとって決して豪華とは言えないが、貴族が滞在するには十分な居住空間が広がっていた。
専用の寝室がありディオンやバージルの部屋だろう扉があり、先ほどの部屋よりはるかに手のかかったテーブルや椅子の並ぶ居室が、そこにしつらえられていた。
タランドンの、オーバンの屋敷以来の、貴族にふさわしい整った部屋。
ただ、窓はなかった。
室内のあちこちに、魔法の照明が灯っている。
館のつくりから想定されたことと肌で感じる圧迫感からして、どうやらここは完全に洞窟の内部であるようだ。もっとも魔法具で風を流しているようで、息苦しさや空気の悪さはまったく感じない。
「このようなみすぼらしい所ですまないね。だがここでは、これでも天上界のごときものに見えるらしい。あの山賊どもの中には、ここで一晩眠ることを人生の目的としている者すらいるそうだよ」
レイマールが優雅きわまりない物腰で椅子にかけ、カルナリアも自然と同じように体が動いて腰を下ろし――下ろそうとして、今の自分の衣服でそうしていいのかためらった。
大魔導師バージルが直々に『洗浄』の魔法をかけてくれる。
温かな水に全身を包まれ、洗われ、優しい風が舞って髪も衣服もふんわりと乾かされ、整えられた。
大魔導師と呼ばれるだけのことはあり、魔力の使い方がきわめて巧み、正直言ってファラより上手いと感心した。
洗われきったカルナリアを見て、レイマールはもちろん、他の者たちも、みな一様に賛美と感動、そして納得の面持ちとなった。
王宮で見知ったカルナリア王女の姿として、理解できるものになったのだろう。
そして全員が、それぞれちらりとだが、首に視線を走らせてきたのも感じた。
「それは、外しなさい。王女がつけているものではないよ」
「いえ、これは……その」
「強い魔力あるものが中にございます」
バージルがすぐに言い、カルナリアの心臓は跳ねた。
「ふむ。そうか。守りの道具だね。見苦しいが、仕方あるまい」
レイマールはそのように勘違いしてくれた。
確かに、レイマールの衣服の中にもいくつかの魔法具を感じる。王族が強い守りの道具を身につけていることは、彼らからすればむしろ当然すぎること。
カルナリアの首輪は受け入れられた。
衣服にも――洗われたとはいえ、あの肉柱の消化液で変色し、あるいはあちこちすり切れたり、破れたりもしているものに、レイマールは眉を寄せた。
「すまないな、さすがにここではお前の着替えは用立てられない。ベレニスのものでもお前には大きすぎるだろう」
「いえ……おかまいなくお願いいたします」
ベレニスというのは女騎士の名前に違いない。
「わたくしの持っていたものを、返すように言ってもらえますか。特に短剣と、六角形の身分証を」
先ほどネルギンに漁られたもののことも言っておく。
小姓の少年がすぐ茶道具を運んでくると、懐かしい宮廷作法を見事に再現して、二人の前に香り高い飲み物を差し出してきた。
「最初はひどいことになったが、今はどうにか飲めるものになってきたよ。ここではこれくらいしか楽しみと言えるものがなくてね」
「…………」
カルナリアはカップを手にとりしげしげと眺めた。
薄く、色鮮やかで、金の装飾も美しい。見事な逸品。
国内を巡行した際にも、このような器や寝具などは一緒に持ち運ばれ、旅先でも当たり前のように使っていたものだが。
(ここまで、これを運んでくるには、どれほどの手間と苦労が……!)
自分自身で荷物を背負って山道でひたすら足を動かす経験を重ね、案内人たちが大荷物を運ぶためにどれほど苦労しているかを目の当たりにした今となっては、そのことがどうしても気になってしまう。
この館といいこの居住空間といい、目の前にいる兄といい、とにかく何もかも信じがたく、現実味がない。
しかし、お茶をひとくち口に含むと、すばらしい香りとまろやかな味わいが広がって……地べたに寝てみなと同じ野趣あふれるものを口にする日々を続けてきた後では、涙が出るほどの感動に襲われた。
飲み物ひとつで、ここまで心が揺さぶられることがあるとは、初めての経験だった。
「……どうして…………レイマール兄様が…………このようなところにいらっしゃるのですか?」
もうひとくち飲みこんで、ひたりきってから、カルナリアは気を取りなおして訊ねた。
もちろんレイマールはその間の空き方をとがめるようなことはしない。性急に用件だけ語ろうとするのは、雅趣を解さない、余裕のない下賤の者の振る舞いだからだ。
「カラントへ帰ろうとした。それ以外に理由がいるかい?」
「では…………カラントで起きたことを……ご存知なのですね?」
問うと、レイマールの顔から笑みが消えた。
「ああ。急変をタランドン領に伝えてきた『流星伝令』は、私とも懇意にしていてね。グラルダンが封鎖される前に、使いの者をひそかに走らせてくれた」
高速移動できる魔法具は『流星』だけではない。レンカも使っていた脚の筋力を高めるものや、治癒魔法との組み合わせで疲れることなく延々と走り続けられることのできるようになるものもある。
「父上が……母上たちも……他の者たちも……と、聞いた。そうなのだね?」
「………………はい」
カルナリアは沈痛にうなずいた。
「その者は、バルカニアには一切何も伝えず、私だけに教えてくれた。そのおかげで王宮を逃れ出ることができた。ニア姉の近くにいては殺される可能性が高かったからね。危ういところだった」
「殺される!?」
「ガルディス兄上が反乱を起こしたならば、私が正統なるカラント王の継承者だ。だが私がいなくなれば、次の候補は、ルカ、アーノ、バロ、そしてリア……みな、女性か、若年だ。そしてバルカニアには、ニア姉の生んだ男の子が三人いる……長男のカンデラリオは既に成人済みの十六歳。私さえいなければ、ランバロより年上の彼にはカラント王となれる可能性がある。バルカニアが私を殺しに来るには十分な理由だ」
「………………」
カルナリアの説明を聞いたフィンが、バルカニアが全力で介入してくる可能性が高いと判断し、それを防ぎ時間稼ぎをするためにタランドン侯爵は国境を完全に封鎖するだろうと読んだのが、まさにその通り、的中していたのだ。
「そこで私は、何も知らないままバルカニアのあちこちを見て回り、『風神の息吹』を通ってカラントへ戻るというのんびりした予定を通告しておいて、こっそりとグライルを越える道に入り、ひどい旅路となったが、できるだけ急いで、ようやくここまで到着したところなのだよ」
「そう………………でしたか…………」
ようやく納得がいった。
レイマールはレイマールで、全力で動いていたのだ。
自分と同じように、グライルを越える道のことを知り、そこに身を投じて。
だからほぼ中間の、ここで出会えた……。
では、ここで巡り会えたのは、亡くなった人たちの後押しと導き、そういう自分たちを愛おしんだ風神さまが自分たちの風向きを重ねてくれたことによるものか。
カルナリアは目頭が熱くなるのをおぼえた。
これは、本当に、現実であり、喜んでいいことなのだ。
自分の旅は、終わった。
ここで、完全に、終わる!
これまでの様々な苦難が浮かんだ。
苦しみもつらさも、すべて報われるときが来たのだ。
「それで」
レイマールは、険しい目を向けてきた。
もっとも、カルナリアを責めようとしたり、いぶかしんでいるわけではなく、これから聞かされるだろう悲惨な話を覚悟しての目つきだ。
「お前は、どうして、こんなところに? 何が起きたんだ?」
「…………ううっ」
話し出す前に、もう涙がにじんできた。
ちょうどそのタイミングで、カルナリアのものが返却されてきた。
レントの短剣とエリーレアの身分証、細長い小箱などに、また涙が湧いた。
ここまでの習慣で手の甲でぬぐいそうになって、気づいて、ハンカチを取り出しそれで目頭を押さえる。今までは奴隷らしくしてきたが、ここでは貴族の振る舞いに戻していい、戻すべきなのだ。
カルナリアは呼吸を整え、自分が経験してきたことを最初から語って聞かせた。
あの日、夜に、突然王宮が襲われたこと。
ガルディス軍の急襲により、父王が討たれたという知らせが、最も門から離れていたカルナリア宮に届いた話をする。
それだけで、レイマールや他の者たちは沈痛にうめき、死者への祈りを捧げた。
カルナリアが脱出するまでに届けられてきた悲報の数々も、記憶にある限り伝える。
「……ランバロも…………」
直接その知らせが届いたわけではなかったが、『王の冠』がランバロではなくカルナリアの所に持ちこまれてきたという事実と、レンカが憎しみをぶつけてきた時に「ランバロの骸骨と並べて」と言っていたことから、その死は間違いないだろう。
「そうか…………ああ………………何ということだ……」
レイマールは額に手をあてうなだれ、周囲の者たちもそれぞれうめき、あるいは涙を流した。彼らは自分の実家の当主が討ち取られている。バージルは兄の訃報を聞いたことになった。
「わたくしは、筆頭騎士ガイアスをはじめとする者たちに護衛されてひたすら西へ走りましたが、敵に追いすがられ、間もなく追いつかれるというところで、騎士ガイアスがわたくしを……徒歩で逃がし、何としても西へと言い置いて、自らを囮として……そのおかげで逃れることだけはできて、首輪をつけ偽装し……しかし反乱軍の兵士に追いすがられ、従者も失ってしまい……」
短剣と身分証を示して、彼らの名をレイマールに知らせ、その忠義を讃えた。
「絶望しかけたのですが、とある剣士の方に助けていただいて、どうにかタランドン領へ……しかしそこすらも安全ではなく、グラルダンは完全に封鎖されているために、やむなくグライルに入り、レイマール兄様の元へと……」
レイマールは瞳を大きく潤ませた。
「おお…………なんと…………何ということだ……リア、お前は、この小さな体で、一体どれほどつらい目に遭ってきたのだい……!?」
カルナリアもまた、失われた人々への哀悼と、兄からの温かな言葉に鼻をすすった。
自分の苦難の旅路は、予想外ではあったが、ここで終結することとなって。
自分の目的は果たされ、願いは報われる。
――そのはずだった。
だが。
なぜだろう。
カルナリアは、自分自身がここまで逃れてきたよりもさらに重要な、『王の冠』のことを、口にできなかった。
(これは………………この『色』は!)
見えたのだ。
レイマールの、「色」。
カルナリアにだけ見える、他人の才。
長兄ガルディスと同じく、様々な才能に恵まれた、こちらもまた王にふさわしい人物。ガルディスが剛ならばこちらは柔。もし王となったならば、軽薄に見えて実際は巧みに人を動かし、周囲の者が気がついた時にはすでに目的を達成しているようなやり方で国を操縦してゆく、したたかな王となるだろう。
だが、だが、だが!
二ヶ月前――レイマールが出立した後でわかるようになった、ある「色」。
ガルディスの、次代の王にふさわしい才の輝きの奥に、カルナリアが見出したもの。
ガルディスに見えたそれを分析し、理解することができなかったがゆえに止められなかった、反乱……。
そして、今。
カルナリアの目には。
レイマールにも、あの時ガルディスに見えたのと同じ、「悪い色」が見えていたのだった……!
兄と会えた。何の心の準備も、予告も、前振りもなく、突然カルナリアの旅は終わりを迎えた。話をし、自分のことを認めてもらい、あとはあれを渡すだけ。それで全て終わり。しかし……レイマールの変化とは。次回、第203話「披露」。
※補足
カルナリアに見える他人の才能、「色」は、その人物の行動や性格を見抜くものではありません。
あくまでも「それができる能力の有無」というだけです。「武」の才能が輝いていたとしても、まったく鍛錬していなければ普通の人にすぎません。「悪い色」というのも、今のカルナリアにとってよくないと感じる行為をやれる能力、ということなので、悪いやつ、極悪人とは決まっていませんし、カルナリアの知識や経験が増えるに従って分類も変わってきます。もっとも大抵の場合、悪いことをやれるやつというのは平気でやってしまうので、結局は悪人である可能性がきわめて高いのですが。




