13 ローツ村
視点変わります。
村に戻ってすぐ、集まってきた村人たちに、この国で反乱が起きたこと、ビルヴァの街がひどい有様になっていることなどを伝え、今後のための指示を出し終えたランダルは、さすがに疲れて、早々に横になった。
いつものように息子の乱行を妻が愚痴るが、聞き流す。
山中で休んでいるだろうあの三人のことは気がかりだったが、自分にしてやれることはもうない。
もっと騒ぐと思っていたのにあっさり引き下がり帰っていったミルズの態度も引っかかっていたが、自分の立場ではどうすることもできないのだから、そちらも考えるだけ無駄だった。
それよりも、明日以降のことを考えるのが村長たる自分の役目。
ここ、ノーゼラン領の領主はまだガルディス軍に抵抗しているが、この村が属する「郡」は、郡主が処刑され中心街のビルヴァが押さえられている以上、ガルディス領という扱いになる。
平民の軍指揮官は、今まで戦のたびに貴族が求めてきた以上のものを、この村から搾り取ろうとしてくるだろう。
何しろ、自分たちも同じような村から出てきているので、どのくらい隠し畑を持っているか、限界まで供出したように見えて実際はどのくらい余裕を残しているのか、やり口を知っているからだ。
その要求をどうかわして、略奪されないように立ち回るか。
(場合によっては、あの方に動いていただかねば……約束を破ることになってしまうが、この村が滅びるかどうかの瀬戸際なのだ……)
あまり深くは眠れず、体の節々が少し痛む状態で朝を迎えた。
村人が駆けこんできた。
村の入り口のところで、人が倒れているという。
子供で、奴隷だと。
いやな予感がした。
駆けつけてみると、知った姿がそこにあった。
着ているもの、体格、髪、首輪。
昨日、ほぼ半日、自分の馬に乗せていた少女。
まだ山に隠れて陽光の射していない、薄暗く肌寒い早朝の土の上で、村への入り口をふさいでいる獣よけの柵にすがりつき、そのままくずおれたかたちで、うつ伏せになっている。
その手が、服が、茶褐色に汚れていた。
――血だ。
息はある。
「水を持ってこい!」
ランダルはゆっくりと少女の体をひっくり返した。
(ルナ……)
ひどい顔、ひどい姿だった。
土まみれ、傷だらけ――そして血まみれ。
夜の山道を降りてきて、途中で何度も転んだのだろう。
手の指は、数枚、爪がはがれていた。
どこか骨も折れているかもしれない。
だが服には血がべったり付いているのに、それらしい傷は見当たらない。
静かに抱き起こし、水を飲ませた。
最初はあごにしたたったが、口に入った分を、喉が動いて、飲みこんだ。
歯が開いて、ごくっ、ごくっと、音を立てて飲んだ。
目が、うっすらと開く。
「う……」
そこには、昨日の高貴さも、好奇心も、愛らしさも、何もなかった。
うつろな目。
絶望の顔。
「おい! しっかりしろ! どうした、何があった!」
「……あ……」
何か言おうとしたが、声にならないまま、また目を閉じてしまう。
ランダルはルナを抱き上げた。
「うちへ運ぶ。どこかから逃げてきたんだろう。騒ぎにしたくない、みな黙っていてくれ」
集まってきた村人の中に、昨日ランダルの供をした者がいた。
何も言うなとにらんでおいた。
家で妻を呼び、世話をしてやるように頼む。
「服、持ち物は、全部まとめておいてくれ。ランケンのやつに盗ませるなよ。奴隷だ、主人次第では、どんな災難が降りかかるかわからんからな」
奴隷の男ふたりにこっそり、あの道の様子を見てくるように言いつけた。ふたりは重大さを理解してうなずき、すぐに走っていった。
村はまだ平穏を保っている。
しかし、娯楽も来客も乏しい田舎の村だ。
逃げてきた血まみれの奴隷、という話はすぐに広まるだろう。
「失敗…………したのか…………」
タランドン領との境である山を見上げて、レントの顔を思い出した。
若いが、できる男だった。
自分の息子とは大違いだ。
あの男がついていながら、ルナがあんなに傷ついて、ひとりきりで村に来るということは。
……最悪の展開になったと考えるべきなのだろう。
何者かは知らない、知りたくもないが、街で布告された少女狩りの狙いは、間違いなく彼女だ。
そんな存在が、自分の村に来た。
「どうやって、隠すか……」
ランダルは考えこんだ。
ルナはしばらくして目覚めた。
服を脱がされ体をぬぐわれ、子供の古着に着替えさせられていることには気がついたようだが、一切の反応を示さない。
身を起こしてやると、口元に運んだ水だけは飲んだが、それ以上自分から何かをするということもなかった。
「ここはローツ村。俺は、村長のランダルだ。お前は、奴隷だな。名前は。主人はどうした」
妻や家人の耳があるので、初対面であるように話す。
昨日のルナならば、即座に理解して合わせてくれたのだろうが。
「…………」
目は開いており、声も聞こえているだろうに、やはりまったく反応しなかった。
「怪我は?」
妻に訊く。
「顔のこぶ、切り傷、あちこち打ったあざ。ひどいもんですけど、あんな血の出るような傷はありませんでしたよ。肌はとてもきれいで、本当ならすごく可愛い子だろうに、かわいそうなこと」
「そうか。じゃあ、この子の血じゃないんだな。ひとまず、それだけはよかった…………が……」
ますます、悪い展開が予想された。
ただならぬ気配を感じた。
奴隷が駆け戻ってきた。真っ青だった。
「死んでます! 四人! 昨日のあいつらと、兵士がふたり! 兵士の片方はミルズです!」
「兵士!? ミルズだと!」
何が起きたのか、想像がついた。
村から戻る途中で、この村出身だけあって、あの道を誰かが行ったことに気づいて、追いかけたのだろう。
こうなるともう隠しておくわけにもいかない。
ランダルは村人を集めさせた。
四体の遺体を運べるだけの人数に、それぞれ担架になる棒や布を持たせ、出向かせる。
自分自身で行きたかったが、ルナから目を離すわけにはいかない。
「…………夫婦が、山の中で、兵士に殺されていたそうだ」
家に戻り、人形のように動かないままのルナに言うと、初めてぴくっと身を動かした。
「人をやった。もうじき運ばれてくる」
「…………う…………」
「俺は村長として、聞いておかなければならん。兵士が死んでるんだ、軍に報告しないとならん。でないと村が危うい。教えてくれ、何が起きたんだ」
ルナの唇が動いた。
きれぎれに何か言ったが、聞き取れる声量ではない。
声の代わりのように、ぼろぼろと、大粒の涙があふれてきた。
「よしよし。安心しろ。ここは大丈夫だ。お前は傷ついていない。奴隷のお前を傷つける者はここにはいない」
なだめつつ、万が一にも貴族の態度を取らないように警告をこめた。伝わっただろうか。
「それで…………レントとエリーは、どうなった」
妻が近くにいないのを確かめてから小声で訊ねると、ルナは顔を覆い、うめき声を漏らした。
「兵士につかまり、戦って、殺されてしまったのか」
「うっ、うっ、うっ……まっ…………まもろうとっ…………まもって……ふたりともっ…………!」
ルナはかろうじてそれだけ言うと、あとはもう意味のある言葉を発することができなくなってしまった。
「あなた、みなさんが」
妻に呼ばれた。
人死にが出たとあって、事情を知りたい村人がつめかけてきているそうだ。
「それと……」
家の中なのに、声をひそめて言ってくる。
「あの子の服、汚れていたし見た目は粗末だけど、布地はすごく上等で、あちこちに金貨が縫いこまれていたのよ。金貨よ。あときらきらした石も。それから、貴族さまのものらしい箱が……とんでもない『わけあり』じゃないの? 大丈夫?」
ランダルは少し思案し、同じく声をひそめて答えた。
「いいか、あの子のご主人様が死んでたらしいところは、管轄としては、うちの村だ。旅人が死んだ場合、引き取る者が現れなければ、その持ち物は死んだところの村のものになるのが決まりだ。つまり、このままなら……わかるな?」
妻の目が、一気に欲の色に染まった。
「兵士も一緒に死んでたとなると、軍隊の上のやつは、兵士が相手のものを譲り受けてから殺されたのだから、持ち物は兵士つまり軍のものとなる……そんな理屈で来るだろう。そうさせないためにも――」
「わかります。わかりました。よくわかりました」
あの奴隷少女は、奴隷にふさわしく、着ていた服以外には何も持っていなかったということになる。
これから運ばれてくるご主人様たちの遺品も、軍に疑われない程度の、普通の旅人が持っていて不思議のないものをいくつか残して、すべてどこかへ消えることだろう。
(すまん、レント)
これからの逃避行に備えてのものだったのだろうが、妻に知られてしまった以上、こうするより他にない。
「で、その、箱というのは?」
「これよ」
ランダルの手の平に隠れてしまうような、本当に小さな、細長い箱だ。
だが確かに、装飾こそ施されていないが、つくりが尋常ではなく精密で、形といい外装の手ざわりといい、貴族の持ち物に間違いない、とてつもなく高価なものだということがわかる。
開けてみた。
何かが収められていたらしい空間はあるが、空だった。
なのにランダルは総毛立った。
奴隷を装って逃げる高位貴族の少女。
その少女が自分で、服の中にたずさえていた箱。
とてつもなく危険な気配を、その空の箱から感じる。
絶対にこの家に置いておいてはいけないものだと直感した。
「これだけは返してやろう。多分、思い出の品だ」
渡すと、ルナはそれを胸にかき抱き、自分の首輪をかきむしりつつ、またうめき声をあげて涙を流した。
自分の身どころか家族、村全体が滅ぼされてもおかしくない爆弾を抱えこんだランダルはどうするか。
もっとも爆弾だと気づけること自体がこの人物のすごさ。
次回、第14話「どら息子」。
 




