12 王女の「目」
「……………………」
闇の中で、カルナリアは思い出す。
きらびやかな王宮、陽光さしこむ絢爛たる廊下を、物陰をつたってひそかに進む。
目的の部屋に茶を運びこむ侍女たちにくっついて侵入する。
わあっ、と驚かす。
難しい顔で難しい話をしていた、父と兄とが、驚いてから、目尻をゆるめる。
険悪な雰囲気だったのが、明るいものになる。
「ガルディスお兄様、お帰りなさい!」
自領へ戻っていた王太子ガルディスが、春の訪れと共に、たくさんの領民を引き連れて王都に戻ってきたのだ。
農作業が一段落したところで、田舎者たちに王都を見せてやりたいとのことだった。
「ねえ、わたくしも、その人たちに会ってみたいのですけれど」
「こら、リア。王女たる身で、軽々しく平民などに接してはならぬ。まったく、教育係は何をしているのだ」
「父上。カルナリアを、王宮しか知らぬ狭い人間にしてはいけません。より多くの人々を見て、より広く、この国全体のことを考えるようになってほしいとは思いませんか」
「わたくし、ガルディス兄様のところの人たち、面白くて好きなのですけれど、いけませんか?」
「まったくお前ときたら……」
……あれは、何日前のことだっただろう。
王宮が燃え、みんな殺された、その二日か、三日前。
習い事を抜け出して勝手に主宮に入りこんだことで、その後、母の第三王妃フェルミレナにお説教された。
ひとつ上の兄、ランバロにはあきれられた。
でもガルディスが連れてきた面白い人たちの話をすると目をきらきらさせていた。
そう、ガルディスが引き連れている側近たちは、王宮にいる貴族たちと「色」が全然違って、面白かったのだ。
――カルナリアには、特別な能力があった。
他人の才能が見える。
具体的にどういう能力がどのくらいあるかということを判別できるわけではないが。
この人は「すごい人」だ、「できる人」だ、「これに向いている人だ」というようなことがわかる。
カルナリアはそれを「色」と自分の中で呼んでいた。
幼い頃は、あまり気にしなかった。
周りにいる者は、王女の世話役に任命されるだけあって、みな家柄よく優秀な――つまり大体同じような「色」を放っていたからだ。
遊び相手として選別された貴族の子女たちも、それぞれ違う「色」をしてはいたが、髪や目の色が違う、足が速い、物覚えがいい、絵が上手い、そういう個性のひとつでしかなく、自分に見えているこれが特殊な能力だとは気がつかなかった。
自覚したのは、十歳の時である。
成長した王族が人々の前に出る、お披露目の儀。
今までは、子供区画で、事前に選別された限られた相手としか会っていなかったのだが、その時には大広間に集った多種多様な人々の目にさらされた。
その人数分の、多種多様な「色」をカルナリアは見た。
激しく興奮し侍女たちに勢いこんで話したのだが、みなきょとんとして、髪の色や服の色のことを言っているのだろうと解釈された。
みんなには、自分に見えているものが見えていないのだと、その時気づいた。
お披露目の儀をすませて社交の場に出るようになると、そういう違う「色」をした人々と、次から次へと会うことになった。
あらゆる年代、あらゆる職務、地位、血筋の者たち。
沢山の人々に、カルナリアは沢山の「色」を見た。
自分に見えている「色」が、他の人には見えていないことにも気がついた。
お披露目の儀をすませた王族は、王宮内に個人の住まいすなわち「宮」を与えられ、親衛騎士団も新たに結成されることになる。
ひとつ年上なので前年に「ランバロ宮」を与えられた上の兄ランバロに続く、「カルナリア宮」。
現時点でカルナリアが王の末子なので、新しい宮の誕生はこれが最後となるために、「宮付き」という地位を得たい者たちの売りこみはものすごかった……らしい。そのころ十歳のカルナリアにはよくわからなかったが。
カルナリアは、候補とされた騎士たちを「見た」。
その中で最もすばらしい「色」をしている者を筆頭に選んだ。
家柄がそれほどではないので難色を示されたが、父王におねだりして、押し切った。その者に十三侯家の一家に連なる妻を迎えさせることで、うるさい者たちをどうにか納得させたそうだった。
騎士の名をガイアスといった。
カルナリアは、もっともっと「色」が見たかった。
肌の色も顔つきも違う外国の使節を見た。功績をあげたため表彰される平民たちも見た。人語をしゃべる獣人も見た。魔法を媒介する精霊というものも見た。王都以外の街にも出向いた。下位貴族を見て、民を見て、群衆を見て、個人を見た。無数の色があり、明るさの違いが無数にあった。
満天の星空を楽しんで見上げるように、カルナリアは様々な人々の「色」を見続けた。
見るだけではなく、自分が見た才能が実際に証明される「答え合わせ」ができると、たまらなく愉快だった。新たに雇う宮廷楽師の候補者たちを先に見て、最も明るい「色」をしていた者が、のちに宴で楽師たちの中に混じっているのを見たときなど、とても良い気分になれた。身分とか家柄とかは関係なく、そういう「いい色」をしている者たちを、自分の宮に集めたかった。
それを実際にやっている実例がすぐ側にあったことも大きい。
兄ガルディスの王太子宮。
ガルディスは積極的に、能力ある者たちを、身分を問わずに登用し互いに研鑽させているという話で、確かにそこにいる人々は、王宮の他のところたとえばランバロ宮の人々などとはまったく違っていた。
平民です、ガルディス様は趣味が悪いと侍女たちは蔑んだが、カルナリアから見ると、すばらしい「色」をしている者が数多くいた。種類も豊富だった。次の王の側近に才能ある者がたくさんいることは、とてもいいことだと素直に思った。
もっと大きくなったら、自分の周りにもああいう風に、さまざまな「色」の人を集めてみたいなとカルナリアは夢想したものだった。
一方で…………カルナリアが成長し、知識と経験を重ねていくと、「悪い色」もわかるようになってきた。
悪人、ということではない。
悪いことをやる能力、やりうる才能だ。
武芸の才能とは別に、幼子にも平気で刃を振るえる才能。
商売の才能とは別に、他人をだまして恥じない才能。
目覚めてしまったその判別能力で、兄の王太子ガルディスに「悪い色」を見出したのは、二ヶ月ほど前。
それまでカルナリアが見ていたガルディスは、父王ダルタスよりも「王の色」が濃かった。
眉目秀麗、文武両道、公明正大。
部下を慈しみ民を大事に思い、妻子への愛情も深く、勤勉で、思慮深く、人の話をよく聞き、かつ果断でもある。王として必要なものを申し分なく備えている。
カルナリアと接するにしても、悪意は皆無。
親子ほどにも年齢が離れている妹姫を、いとおしく見つめ、将来を楽しみに思い、よき縁談よき伴侶をと誠実に考えてくれる、頼りになる兄王子。
回りに置いているのも、それぞれ才能が輝く、次代の国を担える人たち。
なのに、悪い色が見えた。
見えてしまった。
幼い頃と違って、「見た」ものをある程度は分析することができた。
ガルディスは、この上なく正しい人だ。
しかし、だからこそ危険なところに踏みこんでしまう。
正しさのために他人を、家族を、自分自身さえも殺せる才能のある人。
……言葉にするなら、そういうものになる。
もちろん、誰にも言わなかった。
そもそも自分自身が信じなかった。
何かの間違いだと思った。
言えないまま、ガルディスは自領へ戻っていって――先日、王都に、民衆に見せかけた兵士を大量に連れてきたのだ。
(わたくしの「目」は…………結局…………正しかったのです……)
…………闇の中で、カルナリアは思う。
あの夜、揺り起こされると同時に感じた異常な気配。
武装した女性騎士が寝室に踏みこんできて、一切の容赦なく動きやすい服装に着替えさせられ、護身用の防具や魔法具、本物の短剣を装着させられた。
ガルディスの反乱、と聞いて反射的に思ったのは、「まさか」ではなく「やっぱり」だった。
そこからは、ずっと悪夢が続いている。
血まみれの侍従が『王の冠』を運びこんできて息絶えた。
兄のランバロはじめ他の王族がどうなったのか、そのことで明らかだった。
他に年長の王族がいるなら、そちらに持ちこまれていたはずだ。
カルナリアは、父の死もガルディスの裏切りも燃える王宮も流れる血も、全てが自分のせいであるように感じて、打ちひしがれた。
先に言えばよかった。
誰かに長兄の危うさについて相談すればよかった。
信じてもらえなくても何かするべきだった。
筆頭騎士ガイアスは、見事に才能を発揮して、カルナリアを守りつつ王宮を脱出、平民兵士があふれる王都も抜け出すことに成功した。
だがそのガイアスは、才あるがゆえに、自分が囮となり追っ手を引きつけることを選択してしまった。
残酷な「答え合わせ」だった。
自分が彼を選んだからそうなったのだとカルナリアは思った。
自分と、最も体力のある侍女のエリーレアがひそかに馬車から降ろされた時も、カルナリアの心は重たく潰れていた。
騎士がひとりもつかない状態で、徒歩で逃げるなどというありえない逃亡方法は、自分に与えられた罰だとむしろ納得すらした。
歩きながら死んでしまうのが自分にふさわしい末路なのだと。
しかし、光を見た。
レント・フメール。
ガイアスの従士として顔を見たことはあったが、大体同じような者ばかりなので王宮内の相手をじっくり「見る」ことをやらなくなっていたカルナリアは、気づいていなかった。
引き合わされた瞬間に、「見え」た。
外見は平凡きわまりないが、カルナリアには彼が内側から輝いているように感じられた。
才能のかたまりだった。
申し訳ないが自分が選んだガイアスよりも、父王の筆頭騎士よりも、この国で最強の将軍と言われる者よりも、ずっとまばゆい輝きを感じた。
腕が立つ、足が速い、記憶力がいい、そういうわかりやすいものではない。
どんなことでも「上手くやる」という、すばらしい才能だ。
その相手にいきなり殴られた時はさすがに頭が真っ白になったが、悪い色はまったく見えず、逆にとてつもなく気に病んでいた。それでも行う、とても強い人物だった。彼への信頼、彼の才能への評価が揺らぐことはなかった。
事実、彼の処置のおかげで何度も兵士の目をごまかすことができた。あれ以外の方法では見破られ捕らえられていただろう。
彼にまかせて、彼の邪魔をしないようにしていれば、『王の冠』を兄のレイマールに届けるという、自分の失態をつぐなう唯一の方法を果たすことができる。
そう、思っていたのに。
エリーレアが倒れ、レントもまた血みどろに。
「…………うそつき…………うそつきです…………レントも、エリーも、みんな…………守るって、言っていたのに……」
抱きかかえるふたりの体からぬくもりが失われてゆく。
「今なら、怒りませんから……全部うそでした、演技でしたって、起き上がってくれてもかまいませんよ? 姫様、だまされましたね、いやあ本当に泣くとは思いませんでした、って」
誰も動かない。
誰も答えない。
「お願い………………起きて…………わたくしは…………どうすれば…………本当に、もう、誰も……いなくなって……」
夜の山中を水が流れる。
夜の森で木々が揺れる。
鳥の声。
獣の声。
闇の向こうで、何かが動く気配がする。
人ではないものがひたひたと近寄ってくる。
獲物の存在をかぎとり、牙をむいて。
「…………たすけて…………だれか…………」
完全にひとりきりになってしまった王女の行く末は。
次回、第13話「ローツ村」。




