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108 最初の一歩


 毛皮の男の声は、ずっしり響く、重たいものだった。


「グライルを越えてバルカニアへ行こうなんて、正直言って、まともじゃねえ。俺たちでも毎回何人かは死ぬ。そんな道を使おうとするお前らも、まともなやつじゃねえ。

 だからお前らが何者かは聞かん。興味もねえ。下界でどんなやつだろうと、グライルに入れば平等だ。

 そして、平等に、俺たちより『下』だ。

 グライルでは、俺たちが貴族だ。お前たちは俺たちの言うことを聞き、どんなことでも俺たちの言うとおりにしてもらう。

 できねえなら置いていく。

 そこんとこ、まずはしっかり頭に叩きこんでおけ」


 カルナリアは、あの「学校」を思い出した。


 オティリーも似たようなことを言っていた。色街と巨大山脈の、不思議な共通点である。


「なんと無礼な……!」


 モンリークがぶつぶつ言い、従者にたしなめられていた。


「確かにお前らは、俺たちに金を払ってくれた、客だ。

 だがグライルは、下界のお前らが考えるのとはまったく違う世界だ。

 山には山の、俺たちともまったく違う連中がいる。

 知恵はあるがやりとりできねえ亜人がいる。

 踏みこんだだけで死ぬ場所がある。

 人間が何千という軍勢でかかろうともものともしない魔獣が出る。

 俺たちはそういうところを、何世代もかけて、たくさんの命を費やして、通り方を見つけてきた。それを初めてのお前らが簡単に通過できるなんて思うんじゃねえ。

 客だから、メシは用意するし、できる限り守りもする。だが荷物は持ってもらうし、働いてももらう。死んでも文句言うな。助けられないときはとどめを刺すが恨むな。ひとりを助けようとして大勢が死ぬようなことになるのはごめんだ」


「ひどい……」


 親子連れの、母親が小さくつぶやいたが、おおむね全員に共通した思いだった。カルナリアも恐ろしくなった。


「で…………()()()


「!」


 オティリーと「学校」を思い出していたからだろう、即座にカルナリアはその場に膝を突いて這いつくばった。


 フィンも、ぼろ布の高さを一気に減じて、床に広がった。


 他の者は――座っていたにしても立っていたにしても、誰ひとりとして反応せずきょとんとしている。


「そこのふたりだけ、合格だ」


 視線が集まり、自分はまだしもフィンのおかしな姿に、みなぎょっとした。初めて存在に気づいたのだろう。


「俺たちの指示に従えというのはそういうことだ。()()()()()()()、言うとおりにしろ。座れと言われたら座れ。黙れと言われたら何があっても口を開くな。走れと言われたらとにかく走れ。それができないやつは連れていけない」


 モンリークがカルナリアを見下ろして舌打ちした。


「今から、隣の部屋で、順番にお前たちの名前と、準備について確認する。

 名前は、本名はどうでもいい。俺たちがどう呼べばいいか、お互いにどう呼び合うかだ。

 準備は、服装、持ち物、山歩きの経験などについて調べさせてもらう。魔物よけを始め、絶対に必要なものがある。それを持っていないなら手配する。その場合もちろん金はもらうぞ」


 毛皮の男はひとりだけ奥の部屋へ入ってゆき、残る二人が、室内を見回した。


「お前から」


 ひとりきりの男を棒で示し、奥の部屋へ移動させ、自分もその後から入って扉を閉めた。


 何か話している声が聞こえ――。


 しばらくして、毛皮の男だけが出てきた。


「次。そこの三人」


 家族連れが呼ばれ、同じように奥の部屋へ行き、また毛皮の男だけが出てきた。


「そこの四人」


「モンリーク・サーディル・タランドンだ! 貴族には敬意を払え!」


「黙れ。入れ」


 これも指示だ。

 モンリークは顔を真っ赤にしたが、従士たちが、ここで怒ってもグライルへ入れなくなるだけですご辛抱をとなだめて、何とか奥の部屋へ連れていった。

 広間に残った毛皮の男が、嘲笑の鼻息を漏らした。


 フィンとカルナリアは最後になった。


 入った先の部屋には、小さな卓が置かれ、毛皮の男が座って待っていた。


 他には誰もいない。

 奥に別な扉があり、「審査」を終えるとそこから出ていったようだ。


「……あんたたちについては、できる限りのことをしてやってくれと頼まれている。すごい剣士だそうだな。何て呼べばいい」


「ぼろぼろさんと。この子はカルス」


 フィンが言い、カルナリアは小さく頭を下げた。


「…………めんどくさいな。ぼろ、でいいか」

「ああ」


 フィン以外の口からめんどくさいという言葉を初めて聞いた。


「山歩きの経験は」

「私はずっと山の中で暮らしていた。グライルは初めてだが、キリギアンを越えたことはある。山には慣れている」


 カラントの東側にある山脈だ。

 そこから入国してきたのだろうか。


「このカルスは、私の連れで、山にはあまり慣れていない。だが最低限のことはひととおりできる」


「……女か」


 いきなり見抜かれた。


「グライルでは、血は御法度だ。人の血に寄ってくるやつがぞろぞろいるからな。女は入念に()()()ににおい消し塗っとけ」


 下品な物言いにぎょっとしたが、理解はできて、カルナリアはうなずいた。


「荷物を見せてくれ」


 フィンとカルナリア、それぞれの背負い袋を示した。

 毛皮の男たちがそれを手にして、持ち上げ、少し振って、重さや強度、バランスを確かめる。中は見ない。

 ほう、と感心された。品質の良さにすぐ気づいたようだ。


「魔物除けはあるか」


 フィンが、小さなランプのようなものを見せた。

 同じものをカルナリアも持たされていて、取り出した。

 使い方は教わっている。薬草を入れて、火をつけ、煙を立てるものだ。獣が嫌う臭いを発し、また魔力を隠す効果もあるのだとか。


「よし」


「私は、薬の知識がある。怪我人の治療には慣れている」


「お、そいつはありがたい。むしろお願いする」


「途中で薬草があったら採ってもいいか。グライルの掟はどのようになっている」


「取り尽くさなけりゃいい。あと、めったにないが、縄張りの印があったら遠慮してくれ」


「わかった。また、できる限りのことを、というところにつけこむようで悪いが、移動中、私の行動の自由を認めてほしい」


「なんだと」


「あなた方の迷惑になるようなことはしない。だが、そうさせてくれた方が、ただ客として歩くよりも、役に立てると思う」


「ふうむ。その長套(ローブ)といい、気配といい、ただ者じゃないのはわかるが――いきなり言われても、俺が決めることはできねえ」


「腕試しが必要か」


「いや、くれぐれもと言われている大事な客人に、そんなことはさせられねえ。お頭に伝えよう。

 ただ――その布の、中身を見せてくれ。

 そのなりじゃ、中身が入れ替わっても気づけねえ。客人が殺されて別なやつになってた、なんてのを許したら俺たちの大恥だ。そうさせないためにも、あんたがあんただと確実に判別できる方法を教えてほしい」


「道理だな。()()


「!?」


 あっさりと、フィンはぼろ布を開いた。


 カルナリアの視界は、広げられたぼろ布でふさがれた。


「…………おお…………!」


 山を下りて入ったあのワグル村での展開と、ほとんど同じことになった。


 フィンがぼろ布を閉じると、毛皮の男たちは、あの時の騎士ネレイドと同じようになっていた。

 すなわち、目がとろけきって、「色」が変化して。


「こういう顔、こういう体、こういう剣を持っている。それなりに使えるつもりだ」


「わ……わかった………………あんたは、護衛扱いで…………行動の自由を、認める…………」


 完全に魅了され、言いなりになっている。


 カルナリアはむくれた――が。


「この子は、私のものだ。大事にしてくれ」


 前に出され、優しい声で言われると、ムカつき続けることもできなくなって、本当にこの人はずるいと思うしかなくなったのだった。




 最後にカルナリアも靴や足回りを確認させられ、ようやく許可が出た。


 奥の扉をくぐる。


 外だった。


 完全に日は落ちて、暗い。灯りはない。


 わずかに輪郭がわかる程度の闇の中に、他の「客」たちと、毛皮の男がひとり、待っていた。


「いつまで待たせるんだ!」


 モンリークの声が闇の向こうからした。


「ついてこい。声を出すな。しゃべったらぶん殴って、置いていく。グライルには入れてやらんぞ」


 大きな四角い荷物を背負った案内人たちが、灯り抜きで、みなを誘導していく。


 歩みにつれて微妙に揺れ動くその大荷物がかろうじて見えるので、ついていくことはできた。


 川にかけられた簡素な橋を渡り――渡り終えると、後ろで、板を外しているらしい音がした。


 男たちの言う下界、すなわちカラント王国、これまでの世界と切り離された心地がした。


 暗い中を、あのモンリークも押し黙って、ぞろぞろ列を成して進み――道を上ってゆく。

 幸い、足元は整地されていて、石や木の根につまずくようなことは誰もしなくてすんでいる。


 しかし、カルナリアの足はもつれそうになった。

 暗い山道。

 それはとにかくいやなもの。つらいもの。悲しみと絶望がよみがえってきてしまうもの……。


「…………」


 肩に触れられた。


「?」


 他の者の手前、声は出さないが、そんなことをしてくる相手はひとりしかいない。


 カルナリアには視界とは違うもので感じ取れる円錐形が、真横にいた。


 自分たちが最後にあの家を出たので、列の最後尾になっているからでもあるのだろうが――。


 フィンの、手が出てきていた。


 その手がカルナリアの肩に触れて、腕をなぞり降りてきて。


「…………!」


 手の甲に触れてきた。


 フィンには『透過』の効果で周囲がすべて見えている。

『透過』は、肉眼とは違うもので「見る」ために、周囲が暗くても関係ない。

 したがって、足元を容易に確認できて、転ばないように支えてくれることもまたたやすい。


 それをカルナリアが知っているということを、フィンは知らないはず。

 ということは、これは――本当の気配り、安全のための……必要なことと思ってくれてのこと。


 あるいは、()()()()()心配によるもの……。


(まわりは、危なくないですよね……)


 周囲に敵意はない。

 敵はいない。

 ここまで追跡されている様子もないから、襲われる心配はないはずだ。


 ――カルナリアはそこまで思いを巡らせてから、急激に高鳴った心臓を意識しつつ――。


 自分の手指を開いて、ゆっくりと、フィンの手を握った。

 まずいようならフィンが引っこめることができるように。


 逃げられることも覚悟していたのだが。


 握った手を、握り返された。


「っ……!」


 声は抑えたが、それでも小さなうめき声が漏れてしまった。


 先を行く者たちは誰も気づかない。


 カルナリアの足が、地面を踏んでいるのかどうかよくわからなくなった。


 感覚のすべてが、薄闇の中で握られた手に集中して。


 そのまま、歩き続けた。


 手を握られたまま――手と手をつないだまま、並んで、歩き続けた。


 これは、前を行く親子連れ、子供の手を母親が握っている、あれと同じようなもののはずだ。


 そのはずだ……。


 だけど、自分が夜の山道を歩くことを怖がっていることを知っているはずのフィンが、自分を気遣ってこうしてくれているのかもしれなくて。


 そうだとすれば、その気持ちが、あのぐうたらなご主人様がそんな気配りをしてくれるということが、嬉しすぎて。


 握り合っている手の感触もまた、気持ちよすぎて。


 カルナリアの胸はどうしようもなく弾み続けて……。




 気がつけば、夜の山道を歩くということへの忌避感が、まったくなくなっていた。


 それどころか――いつまでも、この時間が続いてほしいとすら……。



前に山を登った時には後ろから見守られていたのが、今は横に並んでくれる。しかしこれから待ち受けるのはあの時以上に過酷な世界。カルナリアがまだ想像できていない「敵」も現れる。次回、第109話「クライミング」。


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