ゆめうつつ【SS】
絶交した人が久しぶりに夢に出てきた。守る対象として出てきた。
あの目で見つめられるのが怖い。
でも、もうそんな心配なんて要らないのにどうしてだろう。だって、ずっと前にこの手で殺したじゃないか。
あの時の君の鼓動も熱も、何も映さなくなった目も、最後に見せた微笑みも、もう全てが過去のものなのに。
この世界に最期の息を吐くその時まで、この心はいつまでも君に囚われたまま。
***
「『ありがとう』が一番大好きな言葉」だと君が言った。
それを聞いて、大好きに「一番」を付けるとなんだか嘘くさいなと思った。
使う言葉の意味は二人の間で若干違うようだったけれど、それでも小さな二人だけの世界は完成していたように思う。
一緒に過ごすうち、君の「一番」は口癖のようなものなのだと分かった。「一番大好き」、「一番嫌い」、「一番最初」、「一番綺麗」。全部全部嘘だった。「一番」なんて君にとってはそれを強調するだけのただの飾りでしかなかった。
あの日、名前も知らない誰かを空き教室に呼び出した君は図々しくもそいつに「特別」だと宣った。
吐き気がした。悪寒がした。めまいがした。聞いたことのない言葉を、聞いたことのない声色で言い放った君が心底気持ち悪かった。
ずっと隣にいるものだと思っていた人が突然、得体の知れない何かに変わった。自分ではない他の誰かと手を繋いでいなくなったこの寂しさが君に分かるか? 苦しさが分かるか?
それでも、話しかけられて嬉しいと思ってしまう単純さが惨めだった。
恋人が出来ても態度の変わらない君の近くにいると、自分がどんなに情けない人間かということが協調されていくような気がした。それに耐えられなくなって一方的に避けるようになった。
この体に巣食うみっともない気持ちを、君は分からなかったから何度でも連絡を寄越すのだろう。学校を卒業して会う機会がなくなっても、連れ立つ人間を変えるたびに。
何年かに一回、時には一年に数回。不定期に来る「飲みに行こう」の連絡には時々断って、たまに行くときは他に二,三人誘った。
二人きりでは会いたくなかった。君を前にすると何も言えなくなってしまう。君が怖いと感じるし、自分が汚く思えてしまうのが嫌だった。
互いの就職先が決まったあと、何人かで飲みに行った。その帰り、うっかり二人きりになってしまった君に冗談みたいに言われた「付き合ってよ」。
真っ白になった頭で君を突き放し終電に駆け込んだ。冗談じゃない。鳴りやまないメッセージの着信音が恐ろしくてスマホの電源を切った。
茫然とした頭で一人暮らしのアパートに帰ると、嘘みたいな量の涙が溢れた。
泣き疲れて眠ると真っ暗な部屋の中で目が覚めた。ベッドの下には上半身を起こした君が背中を向けるように座っていた。
気配に気づいたのか、振り返った君が「さっきはごめんね」と眉尻を下げて曖昧に笑う。いいよ、とちゃんと声に出せたのだろうか。頭を撫でるあたたかい手にすり寄って再び眠りに落ちた。
次に目を開けたのは夕方か早朝だった。真っ赤な太陽を正面から浴びた君が窓際に立っていた。その美しさに見惚れて、涙に気付かなかった。鼻を啜った音がノイズみたいに空気を伝った。
その儚さを閉じ込めてしまいたかった――。できるだけ多くを自分の中に。
ゆっくりと近付いて両手を君のうなじに這わせた。
***
あれから何年経っただろう。君との思い出もすぐには思い出せないようになってしまった。ここ数年は特に時間の流れが速い。会社と家との往復で暇な時間を作れない。週末の予定を考える時間もなかった。
それなのに、君の夢を見た。もう何年も見ずにいられたのに。それもこれも、昨日の夜にメッセージがきたせいだ。数年前と同じ、ずっと変わらない六文字。差出人は君の名前をしていた。
今度はちゃんと返事をしなくちゃ。今度こそ完璧に忘れるために。
***
メッセージの着信音がポケットの中でくぐもって聞こえた。開いてみると、どうやら相手はもうすぐ待ち合わせ場所に着くようだ。
会うのは何年振りだろうか。数年間の記憶をたどっていくうちに、殺した人間の顔なんてよく思い出そうとするなぁと我ながら思った。
はたしてもうすぐ、とはあとどれくらいだろうか。
だけど、あれ? 今から会うのは誰だっけ?
君の白くて細長い首を両手で絞めたのはいつだったっけ?
扱えるはずのないライフルで君の眉間を打ち抜いたのは?
君に寄り添う人間ごとビルの屋上から突き落としたのは?
深い山の中に眠ったままの君ひとり置き去りにしたのは?
おかしいな。何度も殺したはずなのに。おかしいな。画面の向こうにいるのは本物の君なのか? これから会うのは本当の君なのか?
こめかみが痛む。不意に懐かしい声がした。
声のした方に目を向けると、大きく手を振って笑う君がいた。世界から消してしまったはずのその笑顔はあの頃と何も変わってはいなかった。
自然と口角が上がる。近づいてくる人に向かって腕をあげた。
「久しぶり」