第九考 呪文の発明と魔術の発達
マナは願いを込めて空中に放出すると、願いを叶えられることが分かった。皇族より圧倒的に少ない量でそれを叶えるには、マナを体内に「集中」させ「言霊」を使うことで発揮できることが判明した。
初めて呪文が公開されたのは、皇暦1613年のこと、施行者は巻鹿族エリーナ・エクセルシアである。彼女は宮廷の舞台演芸場で多くの観衆が見守るなか、彼女の夫が自ら松明でつけた火傷を、呪文を唱えて治してみせた。
これが、ルドモンド誌における、呪文の始まりである。
いや、魔術の始まりであり、魔術師という職業の始まりでもあった。
マナの研究はここから加速度的に進化していき、数多くの呪文が生み出された。呪文を作り出す学問を「呪学」と呼び、呪文やマナに関わる総括的な学問を「魔術」と呼んだ。呪文を唱えるには多量のマナが必要であり、自身がマナを有していないと、魔術・呪学研究は進まない。
不満だったのは、マナを持たざるアルバである。時は皇暦3000年代初頭。この頃になると、宮廷で研究を許されたアルバは、マナ多量保持者が半数を超えていた。皇族がいかに民族を生み出すか争ったのと同様に、アルバたちも呪文を生み出すのに夢中になり、当然、魔術以外の学問はすっかり滞っていた。
この状況を憂いたアルバ統括長は、皇帝に、魔術研究を制限するよう提言した。ルドモンドに住む民族のほとんどが、マナをろくに持たず、呪文を打てるわけでもない。それよりも数学、理学、工学、社会学など、誰もが必要とする学問を重視し、広めて行くべきだと。この提言は、マナを持たざる学者たちや魔術過熱を疎んじてた政治家たちから喝采され、熱烈な支持を集めた。
だが、皇帝の意見は違った。
アルバを魔術専門職にし、実学とは別に研究を続けていくべきだと諭した。
当時の皇帝は186代。皇帝不在状態が長引いた末の皇帝である。彼は何十年もかけてようやく1民族を生み出し、皇帝の座についた人物だが……古代から続く皇帝のあり方に、強い疑念を抱いていた。ルドモンドはすでに災厄の惨禍は薄れ、自然豊かで活気ある土地に戻っていた。民族を興す意義はとっくに薄れており、いかに持続させていくかの段階だった。
また、彼は皇族たちの持つマナが、初代皇帝の頃に比べて急速に失われつつあるのに気づいていた。このままでは皇族からはマナが枯渇し、貴族ともども、大陸の空気下では生きられなくなってしまうとも。しかし、長い間ルドモンドに住む一族が、大陸の外を飛びだし、無事に生き続けられるかは定かではなかった。
皇族たちは、権威を持ち続けながら、民族のマナを利用して生かしてもらう必要があった。
皇帝は、アルバを魔術師として認定し、魔術研究を重要視して行くことに決めた。
彼はアルバを魔術師にするにあたり、いくつか取り決めを行った。「アルバはマナを多量に有し、呪文を使える者に限定する」「正式な資格として皇帝が授ける形を採る」「魔術以外の実学も併行して研究する」。魔術師のアルバ以外はすべてただの学者になり、アルバとは別の場所に切り離し、通常の学問研究を進めることになった。
この決定は「アルバ」という永らく続いた誉ある呼び名の根本を揺るがす大事件であり、多くの争いが勃発して血が流れたが——皇帝の決定事項は動かせず、現在に続く形として定着した。