第四十九話 素直で優しいナイフ
(……殺されるっ……!)
その時エリナの頭に生まれて初めてその言葉がよぎった。
思えば自分はこの青年の能力、威力も射程も何も知らない。剣を抜いていないだけでこちらに殺意が無いと勝手に思い込んでいた。自分に歯向かうほどの力があるとは微塵も思っていなかった。自分が殺されるなんて思っても見なかった。
エリナはリサの黒いモヤを感じ始めて自分の甘さを痛感した。今、正に自分が殺されるかも知れないという危機感を持っていなかった自分の未熟さを悔いた。あまりに単調な攻め、単調な戦術。この青年が本気で自分を殺しに来ていたら今頃どうなっていただろうと考え始めるとエリナは背筋に冷たいものを感じずにはいられなかった。
逃げ出そうかと頭をよぎったがエリナのプライドはそれを許さなかった。
しかし、自分の手の内を無駄に相手に見せすぎた。今更戦う為の戦略を頭に巡らせたが、小細工を仕込む時間はもう残されていなかった。
(周囲のナイフ全てで一斉攻撃を仕掛けるべき……!?)
回避を許さないほど無数のナイフを同時に操り、一斉に攻撃することを考えた。しかし相手はリストヴァル家の人間だ。もしナイフを全て燃やされ、溶かされてしまったら?自分に残されるナイフは残り僅かになるだろう。そうなればもう自分は逃げることも攻撃することもできなくなる。
生まれて初めて命の危険を感じたエリナは、挑発と殺意を受けてようやくこの青年を倒す為冷静に状況を分析し始めたのだった。
(あのナイフは確か…。)
エリナは自分の視線を悟られないように周囲を見まわし、一本のナイフを見る。
それを見たエリナはこれまで戦いに使っていなかった本格的な魔術の刻印が刻まれた8本のナイフの内の一本をスカートの中から取り出した。
そのナイフを取り出したことに気づいた兄のレドが焦ったような声をあげた。
「エリナっ!!?いかん!いかんぞ!!それを使っては!!」
レドが注意するほど強力な魔術が込められたナイフをエリナが取り出したのだ。
そしてそれを必ず当てるという決意がエリナの表情から伺える。先ほどまでの威嚇のように使うのでは無いことは明らかであった。
エリナは深く呼吸をするとリサに移動先を悟られないように細心の注意を払いながら一本のナイフ目掛けて瞬間移動した。
その瞬間、あのレドですら完全にエリナの姿を見失ったのだ。
エリナが瞬間移動したナイフの刺さっていた場所は天井、リサの真上であったのだ。
(ここしかないっ!)
エリナは天井に刺さったナイフに一度も瞬間移動していない。
なぜならそれは投げたエリナですら今まで存在に気づいていなかったナイフだったのだ。
天井に刺さるナイフはこの戦いが始まってから設置したナイフでは無い。
そう、天井に刺さったこのナイフは戦闘前にエリナがリオ・ドルスに服装を褒められ、恥ずかしさのあまり投げつけ、弾き飛ばされ天井に刺さったナイフであったのだ。
部屋の中央を逃げ回るリサからは常に死角になっていた頭上に刺さったままのナイフ。離れてこの状況を観察したエリナの視界にしか映っていない一本のナイフ。そしてリオ・ドルスに最も距離の近い場所に刺さったナイフ。
遠距離からのナイフの投擲が通用しないリオ・ドルスに対して致命的な一撃を与える方法。
それはリオ・ドルスが思いもよらぬ方向から一気に接近し、一撃を入れることなのだ。
(私の勝ちよっ!!)
これまで攻撃を避け続けてきた不気味なこの男を前にして、エリナはナイフを投げることに不安を感じた。エリナは自らの両手でナイフを強く握り、リオ・ドルスの頭上から勢いよく振り下ろした。
「正解だ。」
確実にリオ・ドルスの頭上を捉えているはずのエリナだったが、何故かその声は自分の少し横から聞こえてきた。そしてリオ・ドルスを捉えていたはずのナイフの一撃は空を切り、エリナは大きくバランスを崩した。自分の真下にいたはずのリオ・ドルスの姿はドロリと空気に溶けるように消えてしまう。
周囲の人間からはエリナが瞬間移動した後、落下地点を見誤ったようにしか見えなかっただろう。リサは【陽炎幻視】はエリナだけに使い、ほんの少しだけ自分の座標をずらしていたのだ。
訳が分からなくなり唖然とした表情を浮かべるしか無いエリナ。
このままバランスを崩したまま床に叩きつけられるしかないと彼女は悟り、瞼と口を強く閉じ、身を縮ませながら呼吸を止めた。
ドサッ!
エリナは目を開けたが、彼女は床から天井を見上げてはいなかった。
後ろから彼女の胴を抱きかかえるようにしてリオ・ドルスが身体を支えていたのだ。しかし受け止める力が無かったのか、エリナの下敷きになるようにして二人一緒に倒れてしまっていた。
「あ、アンタ…!…一体どういうつもりよっ!!」
エリナが落下中に手から離してしまったナイフが宙を舞い、離れた床に突き刺さり、爆発を起こすと2,3度弾け回転しながら転がっていった。
「良い一撃だったぜ。エリナ。」
ニコリと笑うリオ・ドルスを前にして、自分の策が通用しなかったことをエリナは理解した。天井に自分が瞬間移動するように誘導されたのだろうかとも考えた。まず足元を狙い、注意を床に集めてから仕掛ければ良かったかもしれないとも考えた。そして床に撒いたナイフをブラフにして第一手目から天井に瞬間移動していれば勝てたかもしれないとも考えた。
しかし何よりも理解できないのはこのリオ・ドルスという青年の行動であった。自分の身を危険に晒してまで何がしたかったのが全く理解ができなかったのだ。
「だからっ!!どういうつもりかって聞いてんのよっ!!」
「え…?い、いや、なんとなく……。」
「なんとなくぅ!?…意味わかんないんですけどっ!?いいから!どういうつもりなのか答えなさいよっ!!」
エリナは少しだけ目を潤ませながらリサに問い詰める。答えるまで上からどいてやるつもりは無いとばかりにリサの胸ぐらを掴む。
「そ、そうだエリナ。さっきやっと分かったんだ!聞いてくれ!」
「何よっ?」
エリナは息まくようにリサに食い下がる。
「さっき落ちてくるエリナを見てやっと気づいたんだ!俺が見落としていたのはそのパンツ…ああっ、いや下着だったってことを!!その下着はクポ・エミルに本社を置く有名なファッションデザイン企業、”クポ・リミテッド”!防衛隊士の制服をデザインしていたのも確かそこだったはず、下着までブランドで統一するとはやるじゃないか!!」
「…な、な、な…!!」
胸ぐらを掴むエリナの手がワナワナと震える。
「なんじゃそりゃあああああああっ!!!」
エリナはリサを壁に向かって投げ飛ばし、激しく激突させた。
あれだけナイフで攻撃してもダメージも与えられなかったリオ・ドルスを簡単に壁に叩きつけてしまいエリナは顔を真っ赤にしながら困惑した表情を浮かべる。
ゲホゲホと咳き込むリオ・ドルスに向かってエリナは腕を組み、鬼のような形相で壁に追い詰める。
「そうだったのか!!ま、まてっエリナ!!」
「今度は何っ!?」
「その下着、限定モデルのやつだろっ!?リボンの色とレースの刺繍の模様が通常モデルと違うっ!!これでもう全部だ!間違いないっ!!」
横たわるリサに近づき過ぎたエリナはスカートの中が丸見えになっていた。
「み、見てんじゃねええええええっ!!!っていうかなんでアンタ分かんのよっ!!!死ねっ!!死ねっ!!死ねええええっ!!!」
エリナはナイフを数本取り出しリサに向かって投げつけるが、何故か当たらない。
「ああホントむかつく!!!立てっ!!この変態リオ・ドルスっ!!やっぱり続きっ!!まだアンタの勝ちじゃないんだからねっ!!ああっ、もう!くっそぉっ!やってやるわよっ!!」
「ええっ!?そ、そんな…まだ何かあるのかっ!?」
その時、唐突にガラリと音を立てて教室の扉が開いた。
しかし今度の扉の音は先ほどと異なり常識と知性を感じさせるものだ。
こんなタイミングで教室に乗り込んでくる間の悪いやつは誰だという目で部屋に残る少数の男性たちは入口を見る。「頼む、誰でもいいから教員、来てくれ!」と願う者が多い中、扉から現れたのは長い黒髪の少女であった。
「エリナさん!?まったく…何をしているのですか。貴女は。」
☆~☆☆☆☆☆ 何でも構いません。
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