第二十三話 地下室の”アレ” ②
父リグラスが地下室の”アレ”と呼んでいた存在。
廊下を勇み足で歩いている最中、偶然にも遭遇してしまった。
その名をリンダイル・ドルス・リストヴァル、という。
信じがたいがこの男、地下室の”アレ”は父リグラスの弟だというのだ。
リサからすると叔父にあたる。
兄リグラスの持つ人を近づけさせない独特の雰囲気は確かにある。
顔立ちも似ていると言えなくも無い。
顔立ちや雰囲気だけでなく、何よりリストヴァル家の一族のものである証として激しい炎を操る力を持つことが何よりの証拠であった。
しかし筋肉隆々といった兄リグラスと比較するとリンダイルは瘦せこけたような印象を受ける。
その体つきも去ることながら長く日を浴びていないからであろう青白い顔色の悪さから異質さを感じずには居られない。
いや、異質であるのだこの男は。
リグラスの先代にあたる彼らの父から地下階層から出ないように固く言いつけられていたはずであった。
当主が代わりリグラスとなった後もそのルールが変わる事は無かった。
内面的に人格が破綻している、と聞く。
殺人、拷問、強姦、虐殺。
これまでこの男がどれほどの非道を行ってきたのか、それをリサに教えてくれるものはこの屋敷にはいない。
リンダイルが暴走する度、先代や父リグラスの手により力でねじ伏せられて来たようだ。
実際のところ、この男を見たのは父リグラス同伴の場で今までの人生で数える程しか無かった。
しかし外見、内面がどうであれ、同じ炎を操る力をもつリサはこの男の纏う赤黒い炎に忌諱せずには居られない。
そして何より自分の”本当の”母親、リノンと兄妹だと信じたく無かった。
リサは止まった瞬きと呼吸を再開する。
「こ、これはお久しぶりです。叔父上。お元気そうで何よりです。」
とりあえず声は出た、と安堵するリサだが弱弱しく上ずった声をあげてしまうのは避けられなかった。
声をかけてみたが反応は無い。
”ヒタヒタ”と一歩づつ、地下室の”アレ”が近づいてくる。
その間一言も言葉を発することなく。
ただひたすらにリサに近寄って来る。
どこを見ている?
焦点の定まらぬ瞳でこちらを見ている?いや、まさかマリーを見ているのか?
そもそも、この高級な厚手の絨毯が敷き詰められたこの廊下でヒタヒタなどと音が鳴るはずもない。
リサがそう聞こえるように感じるのも無理はない。
地下室の”アレ”は裸足なのだ。意味が分からない。
年端もいかぬ子供が走り回っているのでは無い。
仮にもあのリストヴァルの名を関する家系の、中年の男がみすぼらしい服を着て裸足で近づいてくる。
何をされたわけでは無いがリサは背筋に汗が流れるのを感じずには居られない。
その無駄に伸びた髪と髭が足を踏み出すごとにユラユラと揺れる。
リサとマリーの警戒心がピークに達したその時、廊下の先に三人のメイドの姿が見えた。
3人は睨みつけるように地下室の”アレ”を監視していたのだ。
一人は何かを取り出そうとしているのか懐に手を入れ、他のメイドもいつでも踏み出せる構えを取っているようにも見える。
そう、「地下室の”アレ”には常に3人以上の戦闘メイドで監視が付いている」。
副メイド長のギルダがそう言っていたではないか。
先ほどから一転してマリーはホッとした表情を見せていた。
地下室の”アレ”が一階に出てくるというタブーを犯してはいたが、全て監視付きの出来事なのだと。
何も心配することは無かったのだと。
しかし、対称的にリサは安堵などしていなかった。警戒は解いていなかった。
この程度で油断するなどこれから防衛隊士になるリサがするはずが無かった。
・・・はずなのに、気づいた時には
地下室の”アレ”の顔があった。
鼻先、目の前。
リサ・トゥリカの顔前、拳一つ分ほどの距離に。
何が起こったのか理解できないリサは固まることしか出来なかった。
目は離していなかった。
廊下の先にいる三人のメイドを含めて間違いなく視界に収めていた。
見えなかった、何も。
どうやって移動した?
【朱滅火炎】の力なのか?これは。
この後どうなる?
今は屋敷の中だ、帯剣しているはずもない。
【陽炎幻視】は通用するだろうか?
ここまで接近されて?
それは無謀すぎる。
私の【朱滅火炎】は通用するだろうか?
それは考えるだけ無駄だというものだ。
マリーは逃げ切れるだろうか?
対抗策が何も思いつかない。猛獣に睨まれたかのように動きを止めてしまうリサ。
リサだけでは無かった。
地下室の”アレ”の動きに反応できなかったのは。
3人のメイド達も同じように固まっていたのだ。
3人は焦り、急いでリサのいる方へ駆け出すが随分と距離がある。
気づけば地下室の”アレ”の両手がリサの顔を下からすっぽりと掴んでいた。
妙な湿り気を帯びたその手で、リサの顔を撫でまわす。
地下室の”アレ”の顔が近い。
気持ち悪い、臭い、汚い。
だが、リサにとってそんな感情は今どうでも良かった。
”恐怖”。
その一点に尽きる。
まさかこれほどの恐怖を我が家の中で、しかも歩いているだけで味わうことになるとは数分前に思っても居なかった。
この状況で何か打つ手は…?
地下室の”アレ”の口がネチャリとした音を立てて開く。
「おおやぁ!リ、リオ君じゃないかぁ・・・!ひひひさしぶりで、ぉぉおおじさん気づかなかったよぉ!」
リサの顔をベタベタと触りながら地下室の”アレ”、リンダイルはようやく口を開いた。
その声は異常に大きい。
この顔の距離ではありえない程の声量だ。
しかも声の大きさに統一性は無く、波打って聞こえて不快感が込み上げる。
近すぎる、離れろ、とリサは思うが口には出さない。
それより何だ、この手の匂いは。
最近嗅いだ記憶のある匂いだと思い、記憶を遡る。
(たしかこれは…そう…。)
リサは防衛隊士入隊試験の4次試験での森の中でのことを思い出す。
(山賊達を切り殺した後、そうあの時の匂い…。)
リサは目を細めた。
「・・・叔父上こそ、こんな所で何を?父上にご用でしょうか?」
「ぁぁあ兄貴はもうどっか行っちゃったんでしょぉ?ぉぉおおじさん知ってるんだよぉぉぉ?」
父リグラスが居ないことを知っている?
恐らくこの屋敷で地下室の”アレ”を止められるのは父上だけである。
父上の存在をほのめかす、それがリサの思いつく地下室の”アレ”を止めるたった一つの方法だった。
父の不在を知っている。
この絶望感たるやリサにとっては形容しがたいものであった。
そして、ようやく地下室の”アレ”に追いついた三人のメイドが地下室の”アレ”の背後に立った。
一人は武器を構え、一人は呪文の詠唱、一人は緊急連絡用の魔術紙を空に放つ直前である。
「…だだ大丈夫ぅ、ななっ何もしない、………からね???」
そう言うと地下室の”アレ”は首をグルリと回し、三人のメイドを睨みつけている様であった。
リサからはどんな表情をしているのか分からないが、三人のメイドの顔は引きつり、完全に動きを止めてしまった。
「リリ、リオ君が防衛ぃ隊士ぃの試験にごごご合格した…って聞いてっ、ね。そそそその、お祝いぃぃを言いにっ、来たのさぁ!!」
「そ、それはありがとうございます。叔父上。」
一刻も早く、この場を離れたい。
だがこの顔を掴む手を離れる術はあるだろうか?
力を込められているわけでは無いのだが、奇妙に吸いついて引きはがせる気がしない。
そして何だこの男の口臭は・・・何なんだ。
リストヴァル家で提供される上等な食材を口にしているはずなのに。
「そそれより、リオ君、なななんだか最近、かか、かわったよねぇ・・・」
「…男子三日合わざれば刮目して見よ、というではありませんか…叔父上。」
「そそそ、それで、リオ君から、なななんだか良いにおい、するんだよねぇ…。」
地下室の”アレ”は鼻をスンスンと鳴らす。
「…良い香水が手に入りましてね。叔父上にも紹介しましょうか?」
地下室の”アレ”はじっとリサの目を見つめる。
リサも目を合わせ返す。
決して目を反らすべきでは無い。
リサの中の本能がそう告げていた。
見つめ続ける、自分と同じ瞳の色をしたこの男の眼を。
しかし毎日鏡で見る私の眼の色はこんな色じゃない。
父リグラスとも、兄リオ・ドルスとも違う、暗く濁った青色。
そうして目線を外さず身構えていると、顔に張り付いて離れなかった両手がスルリと離れた。
「まままぁ…おおお祝いも、言えたことだしっ…おおおおじさんそろそろ帰る、ね。」
「あああ兄貴にっ、叱られたくない、からね???」
またしてもグルリと首を回し三人のメイドのほうを見る。
父には黙っておけということだろうか?
そう言いながらゆっくりとリサから離れていく地下室の”アレ”。
奇妙な笑顔で手を振りながら離れていくが、手を振り返す余裕などリサには残されていなかった。
固まっていた三人のメイド達は急いで地下室の”アレ”を追いかけ始める。
一人のメイドはリサに深く頭を下げその場を後にした。
何やら泣きながらマリーが後ろから抱きついてきていたがその泣き声はリサには上手く聞き取れない。
地下室の”アレ”
リストヴァル家当主の父リグラスの弟。
「今は家畜で我慢させている」という人格破綻者。
リサはその力、その凶行を見たことは無い。
あの男を抑えられるのは大将軍父リグラスだけだと言う。
父リグラスがもし居なければ?その後継者である兄リオ・ドルスがもし居なければ?
誰があの男を止めるのだろうか。
誰がリストヴァル家、リストヴァル領の実権を握るのだろうか。
私が、いや兄様が生き続けなければならない理由がここにもある。
この大陸の為にも、この国の為にも、リストヴァル家の為にも、この領地に住む民衆の為にも。
そして、兄様の為にも、私は生き続ける。
「リオ・ドルス・リストヴァル」として―。
☆~☆☆☆☆☆ 何でも構いません。
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