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第39話 それは重畳


 情勢逼迫する清朝末期の北京において、義和団と清朝の正規軍が英米露仏独日伊澳八カ国の大使館を包囲しているさなかのこと。北京郊外の静かな一角で、さまよう鬼と道士が対峙していた。


 鬼は、ヤジと呼ばれる瘦せぎすの若い男。


 道士は、ソウと呼ばれるうら若き乙女。


 寝台に座るヤジの膝には幼い少女、バンカが眠り、対峙して立つソウの傍らにはロンが寄り添う。穏やかな空気を裂くように、冷たく言い放ったのは、死んでくださいとの呪詛の言葉だ。


 深く心を見透かすようなヤジの瞳にある種の恐れを抱きながら、ソウは懐から一本の長い針を取り出した。


 シュッ!


 と放たれた針がヤジの眉間に突き刺さる。おや、といった風に抜き取ろうとするが、針に触れるや、電気が走ったかのように体を硬直させた。


 バンカが目を覚まし、身を起こして寝台を降りると、寝ぼけ眼でロンとソウを眺めて何かあったのかと問う。義和団の者かと思ったのだが、体を硬直させるヤジに気付き、あっと声をあげた。その声を黙殺して、ソウが呪を唱える。


「万物の理より外れしモノよ。斉天大聖孫悟空の名の下に命ずる。天のモノは天へ、地のモノは地へ、人のモノは人へ。疾く去り、疾く還れ。遍く陰の気を引き連れて、去ね!」


 針から炎が巻き起こり、ヤジの全身を覆った。


 その様をみて狼狽うろたえるバンカに、こっちへとロンが優しく声をかける。だが、その手を払いのけると、燃え盛る炎を物ともせずにヤジのもとへ走り、眉間に突き刺さった針に手を伸ばした。


 肉の焦げる嫌な匂い。


 炎を発する針を小さな手に握りしめて一気に引き抜いた。ヤジの全身を覆う炎が消え失せる。


「馬鹿なことを」


 ため息をついて、ソウがロンに目配せする。


 焼け焦げた手を抑えてうずくまるバンカをロンに任せ、いま一度ヤジに向かって針を投げつけるも、その針は空中で小さなはさみに弾かれた。


 どこか安心したような、しかし、驚きの表情で、鋏を投げつけた人物に目をやって、ソウは、来てしまったのですねと呟いた。視線の先には、年の頃は二十歳過ぎの若い女だ。あでやかな着物に天狐の面を斜めに被って唇を舐めた。


「あたしを出し抜こうなんざ十年早い。愛し愛され、みなの恋人、チヨさんの登場だ。あんたのくれた鋏は本当に役に立ってるよ」


「それは重畳ちょうじょう


 目を細めて思案げに応じるソウである。


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