第35話 自称、不死の男
北京にほど近い街に義和団の一部が逗留していた。若い女性団員ばかりの集団で、紅灯照と呼ばれ、法術を使うという。
首領は二仙姑と称し、年の頃は、十七かそこら。短く伸ばした黒髪と、真っ黒な瞳が白い肌に映えている。
かつて、ナキリとも呼ばれていた。
いまは周囲にその名を呼ぶ者はなく、自身もそのことを忘れているかのようだ。しかし、忘れてはいない。魂を食った化け猫は、その記憶もすべて食ったのだから。ナキリであった頃、幼い弟妹の面倒をみていたからだろうか。師妹と呼び習わす年若の女性団員にはどこか甘くなる。
義和団にいるのは、この集団を破滅へと導くためであるのに。自分の考えに没頭していたところへ、二仙姑様と呼ばれ、一瞬、誰のことだったかと思いながら目を開けると、そこには古参の女性団員と幼い少女、瘦せぎすの男がいた。少女が静かに膝をついているのに対して、男の方は、きょろきょろと物珍しそうにしていて落ち着かない。
この二人が義和団に入りたいのだという。案内してきた団員は、少し馬鹿にしたように、不死の男だそうですと付け加えた。
義和団は義和拳という武術集団の一面を持ち、極めれば刀剣も銃弾も効かないと喧伝していた。嘘も繰り返せば真実となろうか。
一方、我こそは不死者、あるいは法術を極めた者などと胡散臭い連中も群がってくるようになった。先の女性団員は、どうせそんな手合いでしょうと言いたげであった。
しかし、ナキリは禁術で鬼となったヤジを探しており、自称他称を問わず、不死を称する者があれば連れてくるように指示していた。
寝台からゆっくりと身を起こし、惚けたように自分を見つめる男に目を向けた。およそ詐欺師や騙りとは縁遠い、愚鈍な雰囲気の男だ。本当に不死であるかどうか、それは試してみなければわからない。すっと目を細めると、躊躇いなく刃物を投げつける。それは男の左胸に深々と突き刺さった。
隣にいた少女が責めるような声をあげるが、男は動じることなく、胸元から生える刃物の柄を掴むと、ずるずると引き抜き、興味なさげに放り捨てた。後には出血もなく傷跡もない。
「ほう、まさに不死の男か。名前を教えておくれ」
問いかけるも、にこにことするだけで男の返事はない。傍らの少女が慌てたように口を挟んだ。
「申し訳ありません。名前はわかりません」
「ふぅん。その男の名前は、おそらくヤジのはずだ。まず間違いなかろう」
「ご存知なのですか?」
「さて、どうだろうな。おまえの名は? まさか、自分の名もわからないなんてことはないだろう?」
「わ、私は、バンカと言います。二仙姑様、私たちは義和団に入れるのでしょうか」
「ああ歓迎するよ。それと、二仙姑などと呼ばなくていい。師姉と呼ぶがよい」
二人を下がらせ、ナキリは自分の中の違和感に戸惑っていた。やっと不死の体を見つけたのだ。すぐにでも取り憑いて奪い取るべきなのに。バンカが悲しむだろうなどと考えていた。
ばかばかしい。俺は化け猫だぞ。
人々に不幸と死を撒き散らし、陰の気を食って生きてきたんだ。そうだ、バンカには優しくしてやろう。姉のように接して、親しんだ挙げ句に裏切る。その方が楽しかろう。と、誰もいない部屋で、自分を納得させるように呟いていた。




