第32話 掟破りの青臭い心
夏の盛りのことです。
いまから五年ほど前のことでしょうか。あの日、私は、祖父と兄様と一緒に、荒れ果てた街道を歩いていました。戦争と疫病で、空だけでなく、人々の心もカラカラに乾いていたころ。
街道を行く私の足を誰かが掴んだのです。土饅頭の下から伸びていたのは人の腕でした。
死にかけのまま埋葬されたのか、埋葬されてから息を吹き返したのか、恐ろしいまでの執着で、生にしがみついていた。いま思えば、チヨ、チヨ、チヨと繰り返し、あなたの名を呼びながら。
しかし、瀕死の状態であることは変わらず、待つまでもなく死ぬ。祖父は、供養を済ませてから発とうと冷たくも真っ当なことをいい、兄様も黙って聞いていました。まだ子供だった私だけが、なんとか助けてやってほしいと、こんなに生きたがっているのだからと。泣いて喚いて、祖父を責めて。
祖父もまた、誰かの名を呼び続け、何としてでも生き延びようとしている姿を憐れに思ったのでしょう。最後には根負けして、禁術を使ったのです。
このことは、決して誰にも言うな。本人にも知らしめてはならない。さもなければ、人ではないモノになってしまう。そう言っていました。鬼籍に入らんとする者を現世に留める禁術、半神半鬼の法です。
ヤジさんは死なず、村へ連れ帰って養生してもらいました。術が破れない限り、普通の人間と変わることはなく、優しく温かい人柄に、禁術を使ってでも助けられたことを嬉しく思ったものでした。
やがて、床に身を起こせるようになってきたヤジさんは手紙を書き出しました。それを出してくるよう託された私を祖父が呼び止めて言うに。
ヤジは、一度は死んだ身だ。過去を知る者との縁は切らねばならん。何の枷もない術であれば、禁術になどならぬ。手紙は、出した振りをして燃やしてしまえと言うのです。思えば、術が破れることを危惧していたのでしょう。でも、ここでもまた青臭い心で物を考え、私は手紙のやりとりを手伝ってしまったのです。もちろん、祖父には内緒で。
ある日、届いた手紙を読んでいたヤジさんの顔色が青ざめ、不意に唸り声をあげたかと思うと、魂のない獣のようになった。
術が破れ、鬼になったのです。
荒れ狂う暴風のような鬼が私に襲いかかり、助けに入った祖父と兄様が身代わりとなりました。私は守られるだけだった。鬼となったヤジさんも、いずこへか姿を消したのです。




