第27話 狼のように
城砦都市の崩壊から数ヶ月、鬼と化したヤジを探して旅を続けていた。請われて弟子としたトウショウに、ハクウは道々修行をつけているのだが、
「聞けば、お主の仇とする化け猫は九つの命を持つという。一つ失い、残り八つ。八度戦い、八度勝たねばならん。並大抵の苦労では果たせぬことだ。辛いと思えばやめるが良い。誰も責めぬよ」
「いえ、どうしても俺が為さねばならんのです」
「そうか。白雲観から連絡があり、鬼の足取りが少しだけわかった。まずはそこへ向かおう」
会話を聞きながら、退屈そうにチヨがいう。
「あのヤジが鬼になったなんて、とても信じられないよ。優しい男だったからね」
「どういう状態なのか、どこにいるのかはわからぬ。これから行くのは数年前の凄惨な出来事の後、ヤジらしき者が見つかったところだ」
三人が向かったのは内蒙古に近い遊牧民の営地だ。招かれた天幕で、壮年の族長が語ってくれた。
話は聞いている。飲み物とて、馬乳酒くらいしかないが、ゆっくり体を温めながら聞きなさい。
あの男が現れた日のことは、よく覚えているよ。そうか、ヤジというのか。ものを言えぬようで、名前すらわからなかった。私たちは悪食と呼んでいたから、そう呼ばせてもらおう。
なぜ悪食なのかって?
初めて出会った時、狼の腹わたをがつがつと喰らっていたからさ。私たちも生肉を食うことはあるが、きちんと処理をしてからのことだし、狼の腹わたなんぞは食わない。
夏も終わりの頃、夕暮れ時のことだ。
ひとつの営地からつぎの営地へ移る途中、ずっと先の方に、白いものが見えてきた。この時期に雪でもあるまいと思いながら近付くと、それは獣の骨とわかった。そこら中に撒き散らされた骨で、大地が白く染まっていたのだ。
その白い敷物の真ん中で、悪食が独りで座っていた。背中が震えており、寒さゆえかと思ったが、そうではなかった。悪食は、生きた狼を喰らっていたのだ。狼も悪食の首に噛み付いていたが、その力は弱く、まさに喰い殺されようとしていた。
いやはや、恐ろしい光景だったな。狼の腹わたをがつがつと貪り食っていた。生温かい血にまみれて、湯気を立てるようにだ。
ずいぶん迷ったが、私は好奇心に勝てず、狼をたいらげるのを待って近付いた。神に捧げるように、馬乳酒を捧げ持って。
悪食は、呆けたように空を見ていたが、馬乳酒の匂いに鼻をひくつかせて、皮袋を手に一気飲みだ。血と馬乳酒に塗れて天を仰ぐ姿は、産まれたての赤子のようだった。
ついてくるように言うと大人しく従い、ともに営地へ向かった。私を含めて誰もが悪食のことを恐れていたが、目的地に着いて体を洗い、髪と髭を整えてやると、優しげな青年の姿となった。
相変わらず喋らず、何か仕事をさせればそれなりにこなすが、常に心ここにあらず。仕事がなければ、いつまででも野外に座って柔らかく瞑想しているような様子は、みなの警戒を解くのに十分だった。
まずは子供達が打ち解け、一緒になって遊ぶようになった。一族にも受け入れられ、悪食が野外に座っていることが当たり前の光景となっていった。
そんな折だ。清朝の力が衰え、列強に唆されて独立を夢見る馬賊たちが協力を求めにきた。私は、愛新覚羅への忠誠を汚すことはしないと言って断ったが、奴らはその報復を企んだのだ。
男たちが狩で不在の時を狙って奴らは来た。営地に残っていた男は悪食だけだったから、まず悪食を殺そうとしたのだろう。その後、女を凌辱し、子供を連れ去ろうとしたに違いない。営地から煙が上がり、襲撃に気付いた私たちが戻って来た時、そこは凄惨な有り様だった。
と言って、一族の女子供ともに無事だ。
馬賊の連中の死体があちこちに散らばっていた。尋常でない力で頭を潰され、腹を抉られ、あるいは手足を引きちぎられていた。
天幕の中から見ていた女どもが言うには、それを為したのは悪食だと。奴らは悪食を殺そうとして、逆に皆殺しに遭ったらしい。モーゼルの連射をくらっても、青竜刀で斬られても斃れることなく、素手で敵を引き裂いていったとか。
敵を屠り、その腹わたを喰らおうとする姿を見た女たちが悲鳴をあげると、はっとしたように口中のものを吐き出し、頭を抱えて一声吠え、いずこへか立ち去ったという。
私が知るのはこれだけだ。
ヤジという倭人なのか、鬼か、天の使いか、私にはわからぬが、狼のように神聖で、凶暴で、孤独で、力に満ちた者だった。




