8両目
ザンルの至近距離が悍ましかった。もとい、バースに掴まれた胸座がまだ締め付けられているようだと、タッカは苛立っていた。
タッカは列車の外にいた。
時が刻まれている感覚がなく、何処を見渡しても灯らしき明かりが見当たらない。
踏みしめている足元は土の感触だとはっきりしているが、空気の味が不味いのが不満だった。
これでは気晴らしにならない。
タッカの思考は、先程のバースとのやり取りで怒りばかりが膨らんでいた。
見るものすべてが殺風景だ。
せめて和める草花が咲いていれば、花びらに触れるだけで癒されるだろう。
タッカは怒りの矛先を列車の外壁に向けて拳を握っていた。
「『いい男は矢鱈に拳を翳さない』は、誰の口癖だったのかい?」
男の声がして、タッカは気が抜けてしまった。そして、渋々と後ろを振り向いた。
「ニケメズロ、おまえは平気なのか?」
「オレは列車にまた会えたから、満足だ。声を掛けてくれた隊長には、感謝をしている」
赤毛の癖っ毛とそばかす顔の男、ニケメズロは黒の手袋を填めていた。
「はい、あっちに行って」と、タッカはニケメズロに退かされた。
列車のことになると目が真剣になるのが奴だというのは昔から知っていたが、ここまで筋金入りとは想像さえしていなかったと、タッカは苦笑いをするしかなかった。
「めでたい奴だ」
ついでにと、皮肉混じりの口を突くタッカだった。
「タッカ。おまえ、隊長に謝れよ」
照明灯付きのヘルメットを被って、列車の車輪にハンマーを叩くニケメズロが言う。
「誰から聞いたのだ?」
「通信室の真下にいれば、嫌でもやりあっている声が丸聞こえだよ」
ニケメズロはタッカに振り向くと、ハンマーを振り上げる仕草をして見せた。
「どいつもこいつも……。」と、タッカは溜息を吐いた。
「本気で言っているのだ。いいな、呉々も隊長を敵に回すことは止しとけ。あの人はああ見えてもーー」
「だから、つい、本気なところを見たくなるのだよ」
タッカはズボンのポケットに左手を入れて、漆黒の空を見上げたーー。
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車内は静まり返っていた。
非常灯から照らされる朧な緑光が、静寂な空間を妖しくに引き立てていた。
昔とった杵柄。
今は民間人として暮らしているタクト=ハインは軍服の袖に腕を通すことは二度ないと、今の今まで思っていた。
軍服を脱いだ時期から夜更かしをするのは殆どなかったに加えて、食事も規則正しく摂っていた。
完全に、昔の感覚が鈍っている。
6両目の乗降口側に背中合わせをして直立不動の姿勢を正しているつもりでも目蓋が重くて堪らないと、タクト=ハインは何度も身体を傾けていた。
「あた、なんばしょっとね?」
国なまりの男の声がすると、タクトは背筋を伸ばして顎を引き、敬礼を示した。
「ご無沙汰しております、ハケンラットさん」
「かたか挨拶は、せんでよかばいたっ!」
ハケンラットは笑みを湛えながら、タクトの右腕を掴んで下ろした。
「あの……。」
タクトは恐る恐る、ハケンラットに訊ねる。
「さっき此所に着いたと、たい。行く前にバンドが押し問答ばしよったけん、ちと、遅くなった」
ハケンラットは肩の関節を回して、鳴らしていた。
「いえ、僕が訊きたいのはそうではなくてーー」
「おどんだって止めたばいた」
「……。やっぱり、付いてこられたのですね?」
タクトは遠回しに訊くことを止めた。そして、通路のある方向を見つめながら静かに息を吐いたのであった。
「隠し事はできん。どっちみち、わかっことだったけんな」
「バースさんはどうされるのでしょうね……。」
タクトは通路の空間で漂う、薄紅色の光の粒に指先で弾いた。
夜空を飛ぶ発光虫の群れのような光が消える頃
、窓越しから見える東の空がうっすらと朱色に染まっていたーー。
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陽の光が燦々と、紅い列車に降り注いでいた。
「一応、全員揃ったな」
かつての同志が集う通信室で、バースは顔を強張らせていた。
「バースさん、露骨ですよ」
タクトは苦笑いをしていた。
それもそのはずだった。バースとタクトがして見せる顔の理由は、共通の視線の先だったからだ。
「己たち、何か文句がある顔だな?」
凛として澄みきる声に、誰もが怯えるような形相をしていた。
「アニキ、すまないっ!」
「いや、バンドが謝る必要はない」
ぺこぺこと、頭を下げるバンドにバースは首を横に振るのが精一杯だった。
「バース、さっさと指示をしろっ!」
深紅の軍服に身を包む女性が、バースを睨み付けて罵声を飛ばした。
「……。罠の分析をタイマンとニケメズロ。タッカとバンドで列車周辺の調査。ザンルは〈プロジェクト〉メンバーに体力強化の指導。ハケンラットは負傷したマシュの診察。ロウスは美味しいご飯を……。違った、列車と【国】の直線位置を測定して、到着予定日数の算出を頼む」
ーー了解っ!
バースから指示を促された隊員達は其々の任務に向けて、通信室をあとにした。
「バースさん、僕への指示は?」
「右に同じくだ、バース」
じろり。と、熱い視線がバースに向けられてた。
「家族会議を開く。タクト、おまえは議長をしてくれい。それからーー」
バースは「はあ」と、息を大きく吐いて、女性と目を合わせた。
「呉々も、我が子達に腑抜けな発言はするなよ」
「はい、アルマ……。」
「僕、カナコとビートを呼んできます」
背中を丸めているバースを見下ろすアルマに何度も振り返るタクトが、通信室の扉を潜り抜けたーー。