74両目〈最終話〉
例えるならば、滴る水が長い月日を掛けて岩をくり貫く。
ルーク=バースは風前の灯火だった。
ルーク=バースの負傷は刃の斬によるもの。腕、脚にと無数の斬りつき痕が証拠。
ルーク=バースは、痛手を感じていなかった。いや、痛手をわからせないように襲われた。
ジュー=ギョインが甦った謎は、解明していない。
云えることは、ただひとつ。
遅効性で標的を燻る。ジュー=ギョインが見せる嘲笑いに、タクト=ハインは確信したーー。
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外傷性は“力”での治癒は効かない。ルーク=バースの負傷は、武器によるもの。
一刻も早く、処置を施さなければ。外科治療を行える、設備が整っている場所に移動させなければ。
最も信頼できる仲間の元へ。タクト=ハインは小型通信機を発信させるが、虚しくも不通状態となってしまった。
【グリンリバ】へ帰還している最中の“紅い列車”には、ハケンラットが乗っている。ハケンラットは“治癒の力”の他にも医療行為を行える医師免許を持っている。
「タクト。もう、止せ」
血塗れのルーク=バースは、小型通信機を握りしめているタクト=ハインの手首を掴んだ。
声を絞らせている、ルーク=バースの状態が痛々しい。タクト=ハインは諦めるなど出来ないと、ルーク=バースの掌をそっと外す。
発信音が聞こえたかと思うとぷつりと途切れて「つうつう」と、不通を知らせる音に切り替わる。残る手段は、ルーク=バースを抱えて“転送の力”を発動させて“紅い列車”へと移動。
しかし“力”は発動しなかった。ルーク=バースと同じく“力”が掻き消されてしまう。
“力”が、機器が、何の役にも立たない。
「バースさん、ごめんなさい」
タクト=ハインは小型通信機を捨てて、ルーク=バースの右手をとる。
「おいおい、泣きっ面で俺を見るなよ」
ルーク=バースは苦笑いをすると、血が付着する掌でタクト=ハインの頬を拭う。
タクト=ハインは、頬をルーク=バースの血で染めた。血は溢す涙と交じり、頬を這って薄紅色の滴を垂らした。
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父は大きい。父の固く引き締まる腕にぶら下がり、靴底が地面から離れる。背丈はいずれ追い抜かれると、父はよく言っていたものだ。
父の背中は広い。歩き疲れて愚図ると、父はおぶってくれた。そのうち俺が軽々とおぶられると、父は声を弾ませていた。
父は、脆い。幼い頃の記憶を辿るが、そんなことは絶対なかった。
ビートは、ルーク=バースという“男”が諦めるのを認めなかった。
「ビート、止せ」
ビートは父、ルーク=バースを背負い、一歩一歩と足元を窪ませる。全身で父の重さを乗せたビートが向かっていったのはーー。
「ほう、貴様が私に挑むというのだな」
「お父さんを手当てする場所に連れていく。だから、あんたが其所にいられるのは邪魔なんだ。退いてよ、ジオ」
「私は、相手にならない。いや、呆れた言い分をよく突けるものだ」
「暇がない、こっちは急いでいる」
ジオは、ジュー=ギョインは頬を「ぴくり」と、痙攣させた。
「ビート、俺を降ろせ」
「駄目だ、お父さん」
ビートは背中で藻掻くルーク=バースの促しを拒み、さらに前進する。
「愚か者め」
ジュー=ギョインは剣を握りしめていた。そして、切っ先をビートに向けていた。
ジュー=ギョインは剣を振り上げる。狙いはビートの頚。刃は頚筋に当たるようにと、腕を構える。
「ぱきん」と、刃が折れた。ジュー=ギョインは柄を捨てるが、弦を描いて落下する刃の破片で腕を斬る。
何が起きた、何者が起こした。腕から血を滴らせるジュー=ギョインは「はあ」と、息を荒らげて吐く。
「貴様」と、ジュー=ギョインはビートの姿を目で追う。
「退いて」
ビートはジュー=ギョインの真っ正面にいた。ジュー=ギョインが藻掻いている間に、ビートはさらに前進していた。
ごうっと、風が吹き荒ぶ。すると、ジュー=ギョインの身体は舞い上がり、足元へと急落下するのであった。
「行くよ、お父さん」
ルーク=バースを背負うビートはジュー=ギョインを跨ぎ、前進した。
呼吸を整え、そして「ふう」と、息を吐く。
ジュー=ギョインは足元を這いつくばってビートを追う。足首を掴もうと、腕を伸ばす。
ビートはルーク=バースを背負い直し、一歩前へと踏みしめる。
「ああ、ビート。おまえの“音の力”は凄い。見えているのは、元の“時の刻み”に戻る為の出口だ。おまえの一息で開いた」
ビートは父、ルーク=バースを背負ったまま“時の穴”を潜り抜けたーー。
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「タクト、ビートにお父さんを任せて大丈夫かな」
「今さら心配になったのかい。カナコも見ていただろう、ビートはバースさんをおんぶしていた」
タクト=ハインとカナコは太古の【クニ】の時の刻みに残っていた。
“出口”は、ビートとルーク=バースが通過したあとすぐ、閉じられてしまった。
走って追っても間に合わない。ならば、やるべきことをやり遂げるを、ふたりは意見を一致させた。
ジュー=ギョインが呼び寄せた太古の【クニ】の時の刻みを綴じる。外側からではなく、内側から。
【ヒノサククニ】は、眠っていた。眠りを揺すぶり起こされた【クニ】の怒りを鎮める。
“起源の血”を受け継いでいる自分が、責任を持つ。
タクト=ハインは、大地を指先で拭った。太古の【クニ】土の感触、瑞々しく繁る草の匂い。
やっと、カナコとの“縛り”が解ける。
【ヒノサククニ】が今一度眠る中で、カナコを愛でる。
カナコが愛おしい。
タクト=ハインはカナコを腕の中に引き寄せ「ほう」と、甘い吐息を溢す。すると、カナコはこそばゆい息を、タクト=ハインの胸元に浸す。
ーー蒼と暁よ、太古の【ヒノサククニ】を悠久の時に標し、導かせよ……。
タクト=ハインとカナコは“輝力”を大解放させて発動させた。
“光の柱”の先端は雲を突き抜き上昇を止め、地上に向きを変える。そして、太古の【ヒノサククニ】の大地を眩しく照らした。
光の中で、タクト=ハインとカナコは口づけを交わしていた。
【ヒノサククニ】は、また眠る。タクト=ハインはカナコを抱き、微睡んでいた。これでよいと、タクト=ハインは瞳を綴じた。
目を覚ますことはもう、ない。タクト=ハインはそう思いながら、ふわりとする感覚に身を任せた。
そのはずだったーー。
ーーおい、タクト。起きろっ!
耳元で叫ばれたら、嫌でも目が覚める。しかも、起こし方が荒っぽい。
「勝手にくたばるを、よくもまたしようとしやがったなっ!」
渋々と目蓋を開くと「あ」と、タクト=ハインは、気まずそうなさまとなった。
ルーク=バースがいる。大の男が大泣きをしている。生きているという実感が、あとからついてきた。
穏やかな陽射し、緑がふくよかな風の薫り。
タクト=ハインは【ヒノサククニ】の大地で目を覚ました。古が僅かに象りを残しているが、間違いなく此所は【ヒノサククニ】だと、タクト=ハインは肌に陽の温もりを、頬に緑の匂いを受け止める。
太古の【クニ】の時の刻みはどうなった。しかし、タクト=ハインは探るのをしなかった。
足止めしていた、遠い明日へと向かう為に。
もう、二度と【ヒノサククニ】には、訪れることはない。
タクト=ハインは【クニ】の南の位置にある〈悠凛のムラ〉にいた。遠くで連なる山を、タクト=ハインは見つめていた。
「タクト、発車するから列車に乗ってだって」
「ああ」と、タクト=ハインは振り向いて、頷いた。
【グリンリバ】に向かっていた筈の“紅い列車”が【ヒノサククニ】に引き返していた。
「早く乗れ。積もる話しは、列車の中でじっくりとしろ」
ぼんやりとしている暇はなかった。タッカが催促しているうえに、発車を報せる汽笛をマシュが何度も鳴らしている。
「お母さん『タクトはどうした』と、せかせかしていたよ。みんな、タクトに勉強を教えて欲しいとせがんでいた」
「待って、カナコ。そんなに急いで手をひかないで」
タクト=ハインはカナコと手を繋いでいた。
“紅い列車”の五両目の、開く乗降口へと梯子で昇りきる。
「マッシュルームさん。タクトを乗せたから、さっさと出発して」
「カナコ、名前はちゃんと呼びなさい」
小型通信機で会話しているカナコの頭に、タクト=ハインは「こつり」と、軽く拳を落とす。
「ふふふ」と、カナコは舌をぺろりと出して車両の通路に靴を鳴らす。
そして、二両目の車両の扉を開く。
「タクト、俺が淹れた珈琲を飲め」
ルーク=バースがにやりと、笑みを湛えて紙コップを差し出したーー。
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時は流れ、季節は巡る。
カナコは二十歳の朝を迎えた。
カナコは、目覚まし時計のけたたましい音で目を覚ます。夢を見ていた筈なのに、内容がさっぱり思い出せない。思い出そうとすれば、締め付けられるような頭の痛さが襲う。今日ばかりの事ではないと、カナコは頭の側面を指先で何度も押さえるのであった。
カーテンを捲り、窓の錠を外して開く。
甘く、ふくよかな風の薫りがカナコの鼻腔を擽らせる。
ほっと、している暇はない。時計の針が指す数に、カナコは狼狽えた。
洗顔を済ませ、レース柄をあしらう水色のパジャマを脱ぎ、ウッド柄チェストの上から二段目を引き出してクリーム色のハイネックティーシャツを、緑色のロングスカートをクローゼットから取り出す。
暦の上では、秋は深い。しかし、夏の気候を思わせるような日中が続いている。
トップスをベージュ色に染まる麻繊維の丸襟ブラウスに変えた。アウターに朱色のロングベストを羽織り、メイクを施すと耳に青玉石のピアスをつける。
紅い薔薇柄がワンポイントのフットカバーを足に被せ、ベージュ色のパンプスを履く。
石畳の路を、カナコは駆ける。緩やかな坂で躓き、肩に掛けるショルダーバッグのベルトがずれ落ちる。
足首が痛い。それでもカナコは坂道を昇りきり、森林公園の入口に辿り着く。
迎えは要らない、落ち合うことを待つ。
カナコは後悔しなかった。待ち遠しいと、心を弾ませるのをカナコはしたかった。
「時間前だけど、待たせたね」
カナコは「ぽんっ」と肩を叩かれ、ふいと、振り向く。
「わたし、待つには慣れているので」
カナコの左薬指で、ピンクサファイアの指輪がきらりと煌めいたーー。
本作は、今回をもちまして完結済とさせていただきます。ご拝読、ブックマーク、評価ポイント、ご感想ありがとうございました。




