73両目
男の尖った目付きが悍ましい。
抵抗は許されぬと云わんばかりに、剣の切っ先が喉元に向けられていた。
男は太古の【クニ】に固執している。そして“起源の血”も同じく。『何故だ』と訊ねても、男が答えるはないだろう。
一度は散った命。しかし“奇蹟”で今一度生まれた、この身体に傷を入れるのは本意ではない。
せめて、ルーク=バースの勇姿を見るまでは。カナコとの“縛り”を解く方法も、まだ見つけていない。
タクト=ハインは、吊るされる感覚で憔悴していたーー。
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“時の糸”が千切れたのはいいが“路”まで寸断されてしまった。
こつこつと、靴が鳴る音がする。
今いる場所は、無限回廊。右に左に、前へ後ろへと、幾度も歩けども同じ光景ばかりが視野に入る。
さて、どうする。
ルーク=バースは「ぺたり」と、腰をおろして胡座を掻く。
「お父さん、くたびれたのね」
「お姉ちゃん、違うと思う」
「『違う』なら何よ。言ってみなさい、ビート」
「ぼくに食って掛からないでよ」
幸いに、我が子達は一緒にいた。姉弟喧嘩をする余裕があるのは構わない。しかし、若干騒々しい。
「喧しいうえに見苦しいっ!」
つい、叱り飛ばしてしまった。
ほっとけば、特に歯に衣着せぬカナコでは、ビートは不利である。
怒られた。
我が子達は、流石に堪えたような顔つきをしてる。
「ふう」と、カナコは溜息を吐いた。すると「ことん」と、落下物の衝撃音がした。
カナコが、何かを落とした。
気になったルーク=バースは「ふい」と音がした方向を見る。
「へえ、意外と頑丈」
カナコは“鏡”を落として、拾った。
割れていなかったことに感心しての物言いだと、ルーク=バースは解釈した。
「お姉ちゃん、持ってきていたの?」
「タクトに見せてあげようと……。何で? 」
「どうした、カナコ」
ルーク=バースは、鏡を持ったまま呆然となっているカナコに訊く。
「お父さん、これって“機具”よね? 落としたから、壊れたかもしれない 」
カナコは狼狽えていた。
「落ち着け、カナコ。壊れてはいない。かといって、今映っているのから、目を反らすな」
ルーク=バースは、カナコから鏡を型どる“機具”をそっと手に取る。
「お父さん、タクトさんがーー」
ルーク=バースが持つ“機具”を覗き見るビートは、声を震わせていた。
「わかっちょるわい。生中継が配信されているが、会場までのナビゲーション機能は搭載されていない」
ルーク=バースは“機具”を操作した。
“鏡”の淵を指でなぞると“画面”が切り替わる。
カナコは“鏡”を落とした。偶然にも落下の衝撃で“動く画”の機能が作動した。
映っていたのは、タクト=ハイン。しかも、即時の状況で。
一刻も早くタクト=ハインの傍に。しかし、ご丁寧なことに此処では“輝力”が発動しない。
無限回廊は“輝力”を打ち消すのか。焦るルーク=バースは、カナコに“暁の風”の発動を促すが、虚しくも“ただの風”が吹くばかりだった。
“光の力”は発動しない。
“風の力”は発動させられるが“輝き”がない。
うっすらと、視野は明るいが路を確保する為の壁が見当たらない。当然、道標もない。
運は尽きた。
我が子達の未来を、此処で断たせてしまうのだろうか。
ルーク=バースは、半ば諦めきったさまとなっていた。
「お父さん、ぼくの“音の力”はどうだろう」
思いつかなかった。
“音”の威力は、響き。靴が鳴る音、落下物の衝撃音。彷徨いながらも聞こえていたのを解っておきながら、気に止めていなかった。
「ビート、すまないがおまえの“力”を宛にする」
ビートは父、ルーク=バースに応えるかのように、頷く。
ーー“音波のうなり”よ、欺きの閉ざしを響かせ、打ち破れ……。
ビートは“音の力”を発動させる。
“音”の振動を、ルーク=バースは全身で受け止めていた。重い衝撃、胸元の圧迫感。頭が締め付けられるような感覚を、ルーク=バースは耐える。
「ぎしぎし」と、軋む音が聞こえる。
回廊に、壁があった。
壁に亀裂が生じている。宙に散る粉塵を口に含み「ざらり」とした舌触りが不感だと、ルーク=バースは唇を尖らせる。
亀裂の隙間から、光が射し込んでいる。
此処も“時の糸”が絡んでいた。そして、千切った。
奴が太古の【クニ】の時の刻みを引き寄せて生じた“紛い”を“音”で撃ち破った。
しかし“紛い”は、まだ欠片で残っている。
「カナコ」
「うん、お父さん」
“路”を確保する。その為には“風の力”で欠片を吹き飛ばす。
カナコは父、ルーク=バースの目を見て、察した。
ーー“暁の風”よ、タクト=ハインへと導く“路”を標せ……。
我が子達を腕のなかに手繰り寄せたルーク=バースを“暁の風”が高く舞い上がらせたーー。
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陽は連なる山に傾き、空を茜幻想にと彩らせていた。
天命が尽きるに、相応しい光景だ。
タクト=ハインは、心を奮い立つを失っていた。
吊るされているタクト=ハインの身体は、干される乾物のようにだらりと垂れ下がっていた。
「タクト=ハイン、公演の準備を整えるのだ」
男が、ジュー=ギョインが悍ましい声でタクト=ハインを促す。
もう、自由は利かない。指先を動かすのも煩わしい、口を突くのも億劫だ。
「ああ……。」
タクト=ハインは頭を「かくっ」と、垂らしてか細く言う。
男は、ジュー=ギョインは「すっ」と、板張りの床に褄先を滑らせ、剣柄を「ぐっ」と、握りしめる。
ーーさらばだ、タクト=ハイン。
タクト=ハインは目蓋を綴じ、男の荒らげた声と剣の刃が唸る音に耳を澄ませる。
タクト=ハインの身体は、振り子のように揺れていた。
「ごうっ」と、熱い突風を受け止めて「ぎしぎし」と、手首を縛る縄の軋み。綱が切れたかと思うと、下降して床に叩きつけられる衝撃。
生きている。
タクト=ハインは「はっ」と、事の原因を探る為に、視点を彷徨わせる。
男の足元に、剣が落ちている。しかし、男が縄を斬った痕跡はなく、タクト=ハインは舞台の外観へと視点を合わせた。
舞い上がる土埃。床に突っ伏したままで目を凝らすと、複数の人影がゆらりと見える。
タクト=ハインは目蓋を大きく開いた。すると「ずしり」と背中が圧される激痛がした。
ーー甘いぜ、兄ちゃん。
床を踏みしめる音と罵声。そして、人を蹴る振動。
背中が軽くなった。タクト=ハインは「すう」と、息を吸い込むが「がはっ」と、噎せる。
ふわりと、抱擁される感覚がした。タクト=ハインは身を委ねていた。
啜り泣きが聞こえている。
涙を拭うをしたいが手首がまだ縛られている。
「やあ、カナコ」
せめて、名を呼ばなければ。
「『あんぽんたん』と、言いたいところだけど、止めとく」
タクト=ハインは「ぐっ」と、腕の中に引き寄せられた。頬に当たる柔らかい感触に堪らず心地好さを覚え「ほう」と、甘い吐息を溢す。
「お姉ちゃん。邪魔して悪いけど、タクトさんの手首」
見られていた。
タクト=ハインは「ぼっ」と、頬を火照らせる。
「わかっているわよ。ああ、なんでこんなに頑丈に縛ってあるのよ」
抱擁が外れ、タクト=ハインの手首の縛りも解かれる。
「タクトさん」
「ああ、なんとか大丈夫だ」
手首にくっきりと、縄がくい込んでいた跡形にタクト=ハインは息を吹き込む。
ーー血の絆。私はすこしばかり侮っていたようだ。
「タクトッ!」
「待て、カナコ。ビート、キミも動くな」
タクト=ハインは頬の裏を噛み締め、悍ましい囁きが聞こえる方向へと翻す。
「へっ、タクト」
「バースさん、無茶し過ぎです」
タクト=ハインがカナコとビートに救出されている間に、ルーク=バースは男に挑んでいた。しかし、情況はルーク=バースに不利が生じていた。
男は“輝力”を無効化にする“力”を備えていた。
ルーク=バースが男へと解き放す“力”は虚しくも搔き消され、ダメージを与えられなかった。ルーク=バースは疲労感に襲われ、立つのも覚束ない状態となっていた。
タクト=ハインは、床に膝を付きかけるルーク=バースの身体を支える。そして、ゆっくりと座らせた。
「俺も年をくった。尻が青かった頃が懐かしい」
「何をおっしゃるのですか。バースさんらしくないですよ」
ルーク=バースほどの者が、何を認めているのか。
虚しさが、タクト=ハインの心に突き刺した。
「タクト、任せたぞ」
「戦いなら、バースさんですよ」
「ちゃう。俺の戦いでは、勝つは出来ない。しかし、ヤツをブッ潰せる切り札はある」
ルーク=バースが見る先を、タクト=ハインは目で追った。
「了解。バースさん、あなたの大切なお子さん達を僕に預けてください」
「ああ。頼むぞ、相棒」
ルーク=バースは「かくっ」と、仰向けになった。そして、目蓋を閉じる。
「お父さんっ!」
「カナコ、大丈夫だよ」
カナコは父、ルーク=バースの情況に焦った。すると、タクト=ハインはルーク=バースの口元に掌を翳した。
「ふう、すう」と、ルーク=バースはタクト=ハインの掌の中に、息を吹き込んでいた。
父、ルーク=バースは寝に落ちただけだった。カナコは「ほっ」と、胸を撫でおろすのであった。
「タクトさん。ぼく、聞いていました」
「ビート、バースさんは褒められたのさ。キミの“音の力”は僕らを此処まで導いてくれた。キミは、しっかりと成長している。宛にするよ、ビート」
ビートは照れくさく「こほん」と、咳き込んだ。
何処にいても父、ルーク=バースは騒がしい。母、アルマの口癖をよく聞かされたものだ。一方で、母はこう言っていた。
ルーク=バースという“男”を、己で知ろ。
突っぱねた言い方だが、母は先回りをしないのをビートは知っていた。
真打ちを、父は待っていた。
今だから、母の言葉を咀嚼するのが出来た。
「タクトさん、よろしくお願いします」
父と母の繋がりとはいえど、タクト=ハインは目上の人。ビートは母譲りの礼儀を表す。
男の目をしている。ビートを見るカナコは思った。
しかし、遅れを取るわけにはいかない。
「タクト。わたし、足りないのがあるから補ってよ」
カナコは、目力を強くさせてタクト=ハインを促した。
「僕が言おうとしていたことを、先に言うなよ」
タクト=ハインは拍子抜けたさまとなった。
手を繋ごうと、カナコはタクト=ハインへと掌を差し出す。そして、タクト=ハインはカナコの掌を握りしめた。
繋ぐ手を介して、血の脈が打つのが伝わる。タクト=ハインとカナコは渾と、沸く“波”を合わせる。
「【此所】の時の刻みは、私が支配している。打破するならば、全速力で掛かりたまえ」
男は、ジュー=ギョインは静かに口を突く。
妙な落ち着き方だと、タクト=ハインは怪訝なさまとなった。
「聞こえなかったのか。私を倒すならば、手加減は許されない」
「タクト、気を抜いたら駄目よ」
タクト=ハインが躊躇う息遣いをしている。カナコは「くっ」と、繋ぐ手を引っ張り下げるをした。
タクト=ハインは迷っていた。
ジュー=ギョインを倒していいのだろうか。
「タクトッ!」
タクト=ハインはカナコの手を離す。ジュー=ギョインは真実を表したかもしれない。
「ごめん、カナコ」
ジュー=ギョインから、真実を訊く。
癇癪をおこすカナコを振り切り、タクト=ハインはジュー=ギョインへと近付く。
「ジュー=ギョイン、おまえはーー」
あと、一歩。タクト=ハインは踏み込む寸前だった。
ーーはい、残念でした……。
ジュー=ギョインは、身の毛が逆立つほどの悍しい形相を剥けていた。
瞬きする暇さえなかった、カナコの制止を振り切ったのは間違いだった。
男の、ジュー=ギョインの息遣い、足音が聞こえなかった。
振り向くのが精一杯だった。叫び、血の臭い。耳、鼻にと、タクト=ハインは受け止めて後悔をした。
ーーお父さん、いやぁああっ!!
血溜まりに沈むルーク=バースに、軍服を血で染めるルーク=バースに、カナコが泣き叫んでいたーー。




