72両目
新たな【国】を建てるには、起源の血と“天”の結びの証明が必要。
一、血は此処から。
二、時に耳を澄ませよ。
三、陽の咲く国。
太古の【ヒノサククニ】で、天と地を繋げよーー。
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〈不二の内郭〉の門を潜り抜け、周囲を囲む板壁が連なる緩やかな坂を越えた正面に、三階構造の高床式建屋が聳えていた。
〈不二の内郭〉は【クニ】全体の政治、経済、祭事の取り決めを行うのに重要な場所。政権は王族にあったが、重要な物事については【クニ】で最も“輝力”が優れている司祭者が聞く“天”の声で礼儀的に取り決めをしていた。
主宰者は【クニ】での祀りごとの場所を“会場”に選び、我らを招いた。
4本の柱に支えられる高床の下。主祭殿の二階へと繋げていたのは木製の梯子。
踏ざんに靴底を乗せ、支柱を掴む。そして、登り詰めて足場を踏みしめる。
外観を望む、開かれた戸から射し込む陽の光。板張りの床を踏む度に「ぎしり」と、軋む。
床の中央に置かれている器台の向こう側に、紫色の衣を身に纏う男が円座の上で胡座をかく姿が目に入った。すると、男はゆっくりと円座から腰を上げ、刃の切っ先のような目付きを剥けるのであった。
身なりからすれば【クニ】の王。しかし、カナコの驚きのさまと囁きで、男が扮装している姿だと、ルーク=バースは判断した。
ーージオだ。タクト、あいつジオだよ。
タクト=ハインは「ああ」と、カナコに相槌をした。
「ビート」
「うん、お父さん」
当然、ビートも男を知っていた。
こいつが、例のやつ。カナコとビートに試練を与え、タクト=ハインを翻弄させた。
黒の短髪で黒縁丸眼鏡は、太古の【クニ】ではあり得ない装い。
男は、時の刻みを操る“力”を備えている。
此処は、男が引き寄せた太古の【クニ】の時の刻み。
「困ったものだ。私が用意した“舞台”では不満と、いうところだな」
燗に障る。
ルーク=バースは「ぴくり」と、頬を痙攣させた。
「失礼。折角此所に脚を運ばれたが“上演”場所は別に設けている。此所では開始に向けての打ち合わせを執り行う。ただし、見学は一名のみだ」
男は「すっ」と、床を踏み締める。
「バースさん、どうします?」
タクト=ハインは男の後ろ姿を目で追いながら、ルーク=バースに訊ねる。
「タクト、おまえが行ってこい」
「了解」
タクト=ハインは、三階へと続く梯子を登るーー。
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陽の光が僅かに射し込む、閉塞感な階層。
薪を組んだ篝火が照明の代わり。飛び散る火の粉、炭の臭い。
打ち合わせとは表向き。公演は、既に始まっている。
観客参加形式。
男は衣装に着替えろと、タクト=ハインを促す。
タクト=ハインは頬を火照らせながら、祭壇を思わせる、設置されていた舞台の大道具前へと歩み寄った。
蔓の冠を被り鈴付きの小笹を握りしめ、身に纏うのは装飾品付きの、白の衣。白塗りの顔、口に紅をひかれてさらに長髪のカツラまでを施されしまった。
真正面に置かれている円型の鏡に悍ましい姿が映っていると、タクト=ハインは堪らず視線を反らす。
宛がれた役は“天”の声を聞く“輝力”の使い手。
起源の血と“天”の結びを表せよ。
男はタクト=ハインに演技指導をすると、壁際へと移動して正座をする。
男も役に扮する。
“輝力”の使い手が“天”と同調した言葉を聞き、民に伝えるのが役目だと、男は口を突く。
太古の【クニ】の、時の刻みを呼び起こしての礼儀的な取り決めの芝居。
ーー蒼よ、我の“芯”を“天”に繋げよ……。
即興の独白。
タクト=ハインは小笹を振りかざし、鈴の音を鳴らす。
褄先立ちで右回り、右踵を軸にして左回り。左足で前へと歩幅を広げ、小笹を握りしめたままで両腕を綴じる。
ーータクト、あなたが【ヒノサククニ】に風を薫らせるのよ……。
タクト=ハインは、踵を揃えていた。
舞は芝居の演出。それにも関わらず“声”が聴こえた。
“天”と同調した。
“天”が即興の独白を聴いた。
タクト=ハインは今一度“声”を聴こうと、再び舞の演技をする。
小笹を激しく振りかざし、鈴の音を高らかに鳴らす、大道具が振動するほど床を踏みしめる。
息があがるばかりで、肝心な“声”は聴こえない。
タクト=ハインは、足元をふらつかせる。すると、握りしめていた小笹を床に落とすのであった。
「第一幕は終わった。次の幕からは、東祭殿での公演になる。ついてこい“起源の血”よ」
いつの間にか、男が傍にいた。
小笹の結束紐が千切れてこぼれ落ちた鈴のひとつを、男は掌の上で転がせていた。
ただの芝居ではない。
太古の【クニ】の慣わしになぞった、まつりごとだ。
タクト=ハインは、微睡んでいた。腕に絡む、指先の感触は男によるもの。
ーータクト……。
“声”が聴こえたのもむなしく、タクト=ハインは目蓋を綴じてしまったーー。
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上の階層から、物音がしなくなった。
タクト=ハインは、奴に利用されてしまった。
閑散とした、階層に何か手がかりがある。
床に散らばる、小笹の葉と鈴をルーク=バースは手に取る。
「お父さん、鏡があるよ」
カナコは祭壇の一段目を指差してた。
仕掛けが施されている可能性がある。危険を避ける為残されている物品等に触れるなと、ルーク=バースは同行したカナコに指示していた。
「ああ」と、ルーク=バースは受け答えをする。
「あいつ、タクトをどうするのだろう。それにしても、ビートには物凄く頭にきたっ!」
「待て、カナコ。その件については、ビートの意志だ。おまえが怒りを膨らませる必要はない」
「お父さんだって、腹立った筈よ。『ぼくはお父さんのやり方についていけない』と、言って此処を出ていったのよ」
カナコは鼻がむず痒かった。そして「くしゅん」と、くしゃみをした。
「俺に当たるな」
カナコのくしゃみに、ルーク=バースは顔をしかめる。
「お父さんが言った『ビートは“男の時期”を迎えた』にもムカつく」
カナコは、丸型の鏡を覗く。鼻が凄いことになっていると、ズボンのポケットからハンカチを取り出して拭おうとしていた。
カナコの顔つきは、強張っていた。
鏡に写っているのは、自分ではない。
白塗りの顔で「むすっ」と、紅をひく口元を窄めている。頭に葛の冠、髪は黒で長い。
身に纏っているのは、白い衣。蒼い玉が数珠繋ぎの装飾品を、首に下げている。
「俺じゃなくてよかった」
「何を安心しているのよっ! て、お父さんにも見えていたのっ!?」
「カナコ、此処に来る前に“打ち合わせ”をしていただろう。どんな方法だったかと、おまえがやってみろ」
ルーク=バースは掴む鏡をひらひらと、扇いでいた。
「鏡に写っているのは誰かを、お父さんは知っている。鏡は見た者の姿を複写していた。もうっ! 鏡、鏡て、まるでおとぎ話みたいな言い方になっちゃうっ!!」
「太古の【クニ】では、機械そのものを造る技術はなかった。カナコ、こいつは何かを当ててみろ」
「複写機……。嫌だ、タクトにこんな趣味があったなんて」
「わざとらしく、証拠を置いていた。そっちが濃厚だ。カナコ、次にやることは決まった」
カナコは、黙って頷いた。触れるのは嫌だが、カナコは父、ルーク=バースから鏡を型どる“装置”を預かる。
ルーク=バースは「すう、はあ」と、呼吸をととのえる息遣いをする。
父が輝かせる“橙の光”は眩しい。
大地を照らす、陽の光。
父、ルーク=バースの“輝力”は太陽のように、凄まじい。肌を焼くような、熱を帯びている。
ーー“暁の風”よ“橙の光”と共に、偽りの時の糸を千切れ……。
渾渾と、湧く“輝力”の言葉。
掌から解き放たれる“暁の風”を“橙の光”に塗す。
カナコは見ていた。見るものすべてが、歪んでいる。
ふたつの“輝力”が、創られた時の刻みを焼き払っている。
「お父さんっ!」
「狼狽えるな、カナコ。ビート、待たせたな。おまえの“男”をぶち噛ませろっ!」
吹き荒ぶ熱い風から、父が護っている。
厚い胸板で頬が押され、硬い腕が背中に乗っている。
父の鼓動が聞こえている。カナコはとろりと、微睡む。
ーー“音波のうなり”よ、千切れた偽りの時の糸を撹拌しろ……。
もうひとつ“音”が聴こえる。
カナコは「すう」と、寝息を吹くーー。
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“風”と“光”と“音”が、ひとつの“時の糸”を切り裂いた。
タクト=ハインは、目を覚ます。
3つの“輝力”の衝撃で、目を覚ますことが出来た。
タクト=ハインは頬の裏を噛んでいた。
“時の糸”が絡み付いている主祭殿で、3人は“輝力”を解き放した。
男に調子を合わせた為に起きた事態だと、タクト=ハインは悔やんだ。
3人の、安心した姿を願うことしか出来ない。
タクト=ハインは目頭を押さえようと、指先を動かした。
目に、指先が届かない。手首に巻き付き、食い込む縄の感覚がする。
意識がはっきりと、なっていく。
まだ、夢を見ている。と、思いたかった。
此処は、男が連れてきた場所。見上げる、建屋の梁に縄が括り付けられている。
繋ぎ目は何処にと、タクト=ハインは縄の筋を目で辿った。
無様な姿だ。
吊るされていることに気付かず、眠っていた。
だらりと、垂れる褄先で床を掠めるのは出来るが、踵を着けるまでには至らない。
ーー第二幕は、観客が揃ってからの開演だ。それまで、演技の練習をしたまえ。
男の、悍ましい声が聞こえた。
「役に馴染めない。だから、今すぐおろせっ!」
ーーそれは、残念だ。ならば、演目を変更しよう。
「物語に、独創性はあるのか」
「貴様の血そのものを、咲く花に見立てる。演題はーー」
ーー『陽の咲く国』だ、タクト=ハイン……。
男が持つ剣の切っ先が、タクト=ハインの喉元に向けられていたーー。




