68両目
“音波のうなり”に時の刻みはない。父、ルーク=バースから“音波のうなり”について、一度も語られたことがない。
“音波のうなり”には意思がある。自由奔放な“音波のうなり”とは対照的な性質の父、ルーク=バース。
“音波のうなり”の存在は父、ルーク=バースの生き方に影を落とす。
双方を合わせるのは危険。父、ルーク=バースは来てはならない。
カナコは、直面しようとしている“現実”に震えていたーー。
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“音波のうなり”は神出鬼没。消えたと思ったら、現れる。
ビートは“音波のうなり”を解放させたことを悔やんでいた。
「自由すぎて、手に負えない」
ビートは、ハビトなら解決の糸口を手繰り寄せるだろうと期待していた。
「そんな……。」
虚しくも、ビートの期待は脆く崩れた。
「ハビトの意見がそうだから、わたしはもっとうんざりしているわよっ!」
姉、カナコも“音波のうなり”にお手上げ状態ときた。
誰も助けてくれない。でも、話しだけでも聞いて欲しい。
ーー甘いんだよ、いい加減にオレが“何か”を受け入れろ。
諸悪の根元は、おまえだ。
ビートは“音波のうなり”の物言いに、むすりと顔をしかめての態度を示した。
「こいつは、ルークさんに任せよう。それしか方法がない」
ハビトが頭を抱えることは滅多にない。そんなハビトの提言が酷に聞こえた。
「冗談は止めて」
カナコは即、異議を申し立てた。
「現実を考えろ。オレ達は此所からどうやって出るかが先決だ。オレは《奴ら》を知っている、おまえが想像している以上に《奴ら》の体制は温くないっ!」
「お父さんに助けて貰うまで、此所でじっと待つ。でも、すれ違いになっちゃう可能性だってあるわよっ!」
「ルークさんがしくじる。あんたは、自分の父親を信じていないのかっ!」
「誰が、あんたよっ!」
カナコはかっと、頭に血をのぼらせた。
「話しにならない」
ハビトは「はあ」と、息を大きく吐く。
「ちょっと、ビートもハビトに何か言いなさいっ!」
「無茶言わないでよ。どうみたって、お姉ちゃんがいけない。ボクは、ハビトと争いたくない」
「意気地無しっ!」
「仲間割れしてどうするの? ボク達に填められている輪っかを取り除くには、お父さんが来てくれるのを待つしかない。お父さんに助けて貰うのがどうしても嫌なら、お姉ちゃんがなんとかすれば?」
カナコは唇をわなわなと、震わせていた。
「おい、聞いているのだろう。ぼさっとしてないで、あいつらの仲裁に入れ」
ーーさあ、何のことかさっぱりだ。
嘲笑っていやがる。ハビトは“音波のうなり”の態度に、眉を吊り上げた。
「今のおまえ、まさに宙ぶらりん状態だよな。何をしても、やった手応えなどないだろう」
挑発な嫌味は承知。ハビトは“音波のうなり”の反応を確かめる為に、わざと嘲るをするのであった。
ーーへっ、面白いことを言いやがる。おまえ、気に入らない。
「ふん、それがどうした?」
見事に引っ掛かった。と、ハビトの考えは的を射貫く。
ハビトの考えはこうだった。
“音波のうなり”の性分があかるさまとなった、手応えを利用する。
“音波のうなり”をルーク=バースへと誘導する。ただ促すのではなく、真相部分を発動させる。
時を切り離された存在、本来の“時”を刻む為の“器”の中にあるのは信念。
“器”が拒めば“芯”は消滅の選択しか残されない。
ハビトはかつての我の片割れである、ビルドと“音波のうなり”を被せる。生きるための執念が“音波のうなり”にあるのなら、ルーク=バースという名の“器”に固執してもおかしくない。
“器”か“芯”か。
“音波のうなり”に欠けているのを補うのは何か。
ーーちっ。仕方ないから、決着しに行ってくる。俺が本来の“時”だと、あいつにわからせてやる……。
“音波のうなり”が去った。これで少しは時間稼ぎになる。
《奴ら》はカナコとビートまでも目につけた。捕らえたの次に起こりうることは、ただひとつ。
時切りの“器”から生み出された生体の仕組みを、肉体を裂いてでも解明させる。
“芯”と“器”の衝突によって《奴ら》の次の行動を阻止する。
カナコに恐ろしい“現実”を悟らせてはならないーー。
「最期に誰かを護る為の“情”の尊さを知ったのは幸運だ」
「何よ、ハビト。物語の台詞のような気どった言い方なんてしちゃって」
カナコの険悪はまだ続いていた。棘がある物言いと寄せ付けないと云わんばかりの態度。
「ハビト、駄目だよ。キミはボク達と一緒に帰るのだから、諦めきった言い方は止めて」
思った通りの反応だ。姉、カナコの失態を庇うのがビートの定番。
ハビトは「しっ」と、ビートに口止めをする。
カナコが次に目にしたのは、ハビトとビートがじっとして見据えている様子だった。
ふたりは思考を“同調”させている。
“思考の同調”を阻止するのは危険な行為。第三者が僅かに指先を触れさせただけでも、最悪な場合は命に関わるほどの凄まじい衝撃を負う。
“無言の会話”に入り込めない。カナコは歯痒さのあまりに、何度も足踏みをしていた。
ーーハビト。お姉ちゃんに黙ったままをしても、わかっちゃう時が来るよ。
ーー《奴ら》はどっちみち、オレを回収するを決めていた。幾つかの役目がオレには与えられていた。そのひとつが〈育成プロジェクト〉のメンバーとして、おまえ達メンバーに交ざることだった。
ーーまたひとつが、ハビトの時の刻みがリセットされる。しかももうすぐだなんて、ボクは嫌だっ!
ーー所詮は創られた象。受け入れる準備は整っている……。
「ハビトッ!」
足元が崩れたハビトの身体を、ビートは両腕を伸ばして支える。
「狼狽えるな、ちょっと目眩がしただけだ……。」
ハビトの異変に、カナコは気付く。
「こんなときに、意地を張らないでっ!」
ハビトを支えようとカナコが差し出す掌は、ぴしゃりと、跳ね返されてしまう。
カナコは涙目になっていた。ハビトが何故、こんなにも荒れているのか。もどかしいが、ハビトに理由を訊くなど出来ない。
ハビトに拒まれている。どんなに気を利かせても、ハビトは拒むしかしない。かといって、涙を溢すわけにはいかない。
泣いたからと、ハビトは揺れ動かない。これまで見てきたハビトの情況から、カナコは思うのであった。
「もう、いいっ!」
カナコはしゃがむハビトの傍を離れる。ハビトと目を合わせないように背を向けると、涙が頬を濡らす。
結局、感情が剥き出す。どうしても一歩引くが出来ない。その為に、物別れとなった友が何人もいた。ハビトもそのひとりになると、カナコは頑となった。
これでいい。カナコの背中を見るハビトは頷く。
「ハビト、ごめん」
「おまえが気にしてどうする」
ビートは際悩んだ。姉、カナコの頑固な性分がここまで筋金入りだと思うから、ハビトが気の毒で堪らない。
「タクトさんは、お姉ちゃんに散々手を焼いてもどこか甘い。でも、ハビトはそうじゃないのだよね?」
「オレをハイン先生と比べるな。それに、ハイン先生の本業はおまえだって知っているだろう」
「小学校の先生だったけれど、大学の講師に迎えられたと聞いている」
「たぶん、カナコのような“問題児”の扱い方を心得ている」
「しまったっ! 話題が、タクトさんに刷り変わってしまってた」
「別に、ご法度はしていないから、構わないだろう」
ハビトとビートの視線の先に、天井を仰ぐカナコがいたーー。
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今目指す場所にカナコがいる。
先頭で誘導する“女”がいつ、手のひらを返すのかと身構えをしながら、ルーク=バースは同志と共にカナコ奪還の為に、駿足を続けていた。
通路をぼんやりと照らす、くすむ蒼の篝火の色が不感で堪らない。
タクト=ハインが解き放す“輝力”の色は無害だが、此処で見る蒼の色は感覚が疼いて鬱陶しい。
「バースさん、もうすぐカナコがいる場所に着くそうですよ。だから、お身体を休ませることをしましょう」
「ああ、そうする。俺を気にせず、先に行け」
ルーク=バースの呼吸は乱れて、胸の鼓動は激しく打っていた。
「いけません。あなたの容態が落ち着くまで、僕らも動きません」
タクト=ハインは、左胸を掌で押して息遣いを荒げにしているルーク=バースの促しを拒んだ。
「急げ、タクト。おまえなら、カナコを救える。タッカ、ザンル。タクトを頼む」
ルーク=バースは“女”をちらりと、見据えた。
「サンプル保管室のセキュリティーシステムを私が解除致します。その隙に、カナコさんを救出するのです。誠に申し訳ありませんが、監視システムは私でもーー」
「気にするな、此方から派手にぶちかましたほうが《奴ら》の運動不足解消になる。あの連中は頭の中は動いているが、身体は全く動いていない。おっと、今俺が喋ったことは特に“奴”にはバラすなよ」
「ルーク=バースさん、あなたが仰る“奴”は、誰を指しているのでしょうか?」
「あんたが“心当たりがある”で、いいんじゃない?」
「可笑しくて、意地悪な方」
「“奴”と繋がっていた。あんたが“罪”を本気で償うはないだろう? カナコを助けたらあんたは《奴ら》側に戻る。いや、戻るしか出来ない」
傍で“女”とルーク=バースのやり取りを聞くタクト=ハインは「バースさんっ!」と、荒らげる。
「タクト、そいつを相手にする理由はない筈だ。庇えば庇うほど、おまえは擦りきれる。利用する者される者の世界にいるのがそいつなのだ……。」
タクト=ハインは、ルーク=バースに言い返せなかった。
闘う世界に身を投じる“男”の言葉を打破するのは、危険を伴う。ルーク=バースという“男”を敵に回すのがどれ程恐ろしいものか、タクト=ハインは知っていた。
タクト=ハインはすっと、右手を掲げる。
「了解。そして、必ずご無事でいてください」
「オッケイ、相棒。頼むぞ、同志」
ルーク=バースは、遠くなる〈一同〉に向けて、親の指先を立てていた。
ーーおい、待たせ過ぎだ。
ルーク=バースが腕を下ろすのと同時にだった。
「へっ。今頃になって、のこのこ現れやがって」
燗に障る喋り方をしやがる。しかも、姿まで腹立たしい。
ぼやけて見える“音波のうなり”は何から何まで、我の過去の象がそのまま表れている。ルーク=バースは、其処が気に入らなかった。
ーーオレは“本来の時の刻み”に追い付いたんだ。でも、その“器”では時を刻みたくないな……。
「枯れて悪かったな」
ルーク=バースは顎を突き出して、眉を吊り上げた。
ーー“保管室”には、カナコの他にもビートとハビトが放り込まれている。あんたの仲間が助け出しても間が持たない。だから、あんたにはぐずぐずしている暇などない。
「其処まで見ときながら、おまえは何もしなかった。俺の脚を止めといて、なんちゅう薄情ぶりだ」
ーー文句いうな。このオレを固定させる“器”なしでは、どうすることも出来ない。
「おまえはさっき『その“器”では時を刻みたくない』と、言ったぞ。それでもこの“器”を被りたいのか?」
ーー飯を腹一杯に食いたいのをしたい。
「知るかっ!」
ルーク=バースは、堪らず感情を剥き出した。
ーー嘘に決まっているだろ。さっさと、決めろ。どっちみち“瞬間”が訪れるのが、あんたはわかっていた筈だ。
「今さら“器”での時の刻みが恋しくなった。だが、今この“器”で時を刻んでいるのは“ルーク=バース”だ」
ルーク=バースは全身を“橙の光”で輝かせていた。
獅子の鬣のような髪は黄金色、瞳の色も同じく。陽の眩しい光のように、ルーク=バースの全身は瞬いていた。
ーーオレは“ビート”だ。あんたの“器”の本物の中身は、このオレだ……。
“音波のうなり”も、ルーク=バースと同じ“光の色”で輝かせていたーー。




