63両目
また、やってしまった。どうしても、カナコを傷つけてしまう。
カナコが向ける情を受け止めることに、幾度も躊躇した。諦めてくれると、期待していた。それでもカナコは怯まなかった。
こんな危険な情況に、カナコが来た。カナコを護る為の手段だった。
カナコはまだ少女。夢はいつか終わるを、まだ気付いていない。
カナコの想い出になる、それで十分だ。
カナコの“今”を未来に繋げる為に。
タクト=ハインは、カナコへの溢れそうな情を閉じようとしていたーー。
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「どけっ! タクトッ!!」
ルーク=バースは激昂した。
タクト=ハインが、自ら我々の“繋り”をカナコに打ち明けた。真実がどれ程重いものかを承知であったのは、間違いない。
ルーク=バースは、カナコを抱き続けるタクト=ハインの肩を掴んでいた。
しかし、ルーク=バースは、タクト=ハインを掴むのを止めた。
タクトが震えていた。カナコを離すまいと耐える振動が、ルーク=バースの掌に伝わっていた。
「カナコを考えてくれていたのは、ありがたい。しかし、カナコは俺の娘だ。真っ先にカナコを考えるのは俺だ」
正当を突き付ける。
こうでもしなければ、タクトはいつまでたってもカナコを離さない。
ルーク=バースの判断に誤りはなかった。
「僕がカナコの想い出になる。バースさんが願っているなら、構わないです」
タクト=ハインは、泣きつかれて寝に落ちたカナコをルーク=バースに委ねる。
「まだ終わらない情況がある」
「はい、おっしゃる通りです」
相槌をするルーク=バースとタクト=ハインの視線の先は同じだった。
ーーおまえ達がどんなに真実を語り尽くしたとしても私の気は変わらない。今の私はそういうものだ……。
タクト=ハインは「かっ」と、顔をしかめた。
「待て、タクト。此方から仕掛けるは、絶対にするな」
「僕は頭にきた。あいつには、これっぽっちも情がなかった。僕は、そう解釈した」
ルーク=バースはカナコを抱えたまま、一歩前にと靴を鳴らすタクト=ハインに足払いをした。
「バースさんのあんぽんたんっ!」
顔から転倒したタクト=ハインは、鼻から血を垂らしていた。
「『憎い者は生かして見よ』と、ブッかましたのは誰だ?」
「……。僕です」
ーーついてこい……。
“事実”の促しまでが加わってしまえば選択の余地がない。
タクト=ハインは諦めきったさまとなったーー。
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脅威を直に受けての抵抗は危険。安全を確保するのが最大の防御。
ルーク=バースという男なら、絶対にそうする。平衡感覚が鈍る路で、タクト=ハインは感を研ぎませていた。
均等を自ら崩した、罰を受けるに道連れはしない。隙が生じる瞬間を、タクト=ハインは狙っていた。
「勝手な行動はゆるさない」
僅かな息遣いでも聞き逃さない。
タクト=ハインの動きが妙だと視点を合わせたルーク=バースは、口を突いて阻止した。
「地獄に落ちるのは、僕だけでいい」
まだ寝に落ちているカナコが、腕からずれ落ちそうだ。
タクト=ハインはルーク=バースの体勢を支えようと、手を添えようとした。
「自己犠牲は、美徳。そんなもんされても、此方からすれば傍迷惑だ」
ルーク=バースは片肘を使って、タクト=ハインの掌をはね除けた。
「バースさんは、僕を憎んでいる筈です」
「ああ、そうだ。おまえはカナコに余計なことを吹き込んだ」
ルーク=バースからの的を射る言い方が癪だと、タクト=ハインは「きっ」と、頬の内側を噛み締めた。
「今いる〈処〉は“奴”の領域なのは、解っているだろう」
「それが、何か」
タクト=ハインの棘が含まれる物言いに、ルーク=バースの感情は膨らみそうだった。
「……。悶着を起こす気はない。おまえは耐えられないだろうが“奴”に従うを受け入れろ」
“奴”の後を付いていくルーク=バースの後ろ姿に、タクト=ハインは黙ったまま睨み付けたーー。
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「〈此処〉では、おまえ達は『客』だ」
兜を脱いだ“事実”の言うことを真に受けるはしてはならない。
“事実”が連れてきた、豪華な内装の“部屋”でタクト=ハインは警戒心を解くまいと、険相していた。
「バースさん、さっきご自身でおっしゃったことを忘れたのですか」
「けちけちするな。おうっ! こいつはうめえぞ」
タクト=ハインの呆れたさまをよそに、ルーク=バースは千の手を持つ崇拝象の如く、部屋の中央に備えられているテーブルへと掌を差し出していた。
食事が用意されていた。
ルーク=バースは、本能を選んだ。納得はしなかったが、安息できる“空間”を得られたことだけは、否定は出来なかった。
カナコを休ませる。
タクト=ハインはベッドの上で寝息を吹くカナコへと振り向く。
果たして、カナコは付いていけるのだろうか。
小刻み変わる情況を、カナコがどう受け止めるのかと、タクト=ハインは苦難を示していた。
「タクト、おまえも腹拵えをしろ」
ルーク=バースの催促に、タクト=ハインは応えられなかった。
「順応性が優っているバースさんに、愛想を尽かしそうです」
「何のことだ、タクト」と、嫌味に気付かない顔つきが羨ましい。
「そろそろ、教えてください」
「気にするな、気楽にいこう」
ルーク=バースが喉をならして茶を飲むと、タクト=ハインは眉を吊り上げる。
「バースさんっ!」
「ぽんぽんと、怒るな。おまえは俺が“敵の懐に入り込む”の理由を知りたいのだろう。でも、やなこったっ!」
タクト=ハインは「ふう」と、息を大きく吐く。
「わかりました」
脚を部屋の出入口にと、タクト=ハインはルーク=バースの傍を離れようとしていた。
ーーお客様。まだ、お部屋を出るお時間ではありません……。
扉越しで、呼び止められる。
「僕達を監視していたのか」
声からすると、女性。しかし、甘い考えをするわけにはいかない。
タクト=ハインは威喝をして相手の反応を待ち構える。一方、ルーク=バースの様子に変化はない。もはや安息を堪能していると、ルーク=バースの態度にタクト=ハインは苛立っていた。
ーー心を静かにされてください。
「断るっ! バースさん、僕達は嵌められた。いや、こうなったのは、バースさんがいけないんだ」
今度こそ、ルーク=バースという男は動く。
傷を拵えるのを承知で、タクト=ハインはルーク=バースに怒りをぶつけるのであった。
「駄目だ、こりゃ」
ルーク=バースの、呆れた口の突きかたが反応を示した証拠だと、タクト=ハインは安堵する一方で近付く足音に身震いをした。
すぐ隣にルーク=バースがいるが、顔を正面から見れない。
タクト=ハインはとうとう足元をふらつかせた。
襟首を掴まれての耳元で「ぱきり」と、拳を握りしめて関節が鳴る音が聴こえる。
ルーク=バースに「邪魔だ」と、タクト=ハインは床に叩き付けられる。
何が起きたと、驚きを隠せないさまとなったタクト=ハインは、転倒したままでルーク=バースを見上げるのであった。
「飯、旨かったぞ」
悠長な、しかも扉越しで。
ーーご満足されて嬉しいです。そのお言葉で、もう十分。少しだけ、お時間が早まることをお許ししてください……。
「あんたを人身御供にさせてしまってすまなかった。無事でいてくれたことに、感謝をする」
今起きている情況の、口裏あわせをしていた。
いつ何処で。
タクト=ハインは扉を挟んでのやり取りが不自然だと直感するものの、確める為の行動を躊躇っていた。
嵌められたことには変わらない。
先ずは、沸点に達する怒りを鎮める。冷静になったところで、焦点を叩く。
“真実”を突きつけられても、けして怯んではならない。
「僕が裏切っていたを、いつから知っていた」
「【国】に赴くを告げられた。しかも、ずるい優しさで……。」
扉が開かれ、向けられた“真実”に弁解の余地はない。
「報いを受ける準備は整っている」
タクト=ハインは、息を静かに吐くをしたーー。




