62両目
タクトは本気だ。どうみても、悍ましいと禍々しいを表す物体に、タクトはひとりで挑む覚悟をしている。
父は、タクトを後押ししたのは本意ではない筈だ。無謀な闘いに、父が黙って見るはあり得ない。
「目を逸らすな。タクトの一瞬と一瞬を、その目で焼き付けろ」
カナコは、物体の触手によって弾き返されるタクト=ハインのさまが痛ましいと、顔を両手で覆っていた。
父、ルーク=バースのタクトへの冷静ぶりが癪だ。こうしている間にも、叩き落とされたタクトは直ぐ様と立ち姿になって、物体へと駿足していった。
燻った深緑の空間だった。視界は良いわけではないが、タクト=ハインの姿、物体がはっきりと見えている。
見えるのは、それだけではなかった。
黒い鋼の鎧に身を包む人の象がいる。動かなければ、造形品として見ていただろう。
目は、此方を。
何を対象にしているのかと、カナコは人の象からの視線を逐った。
カナコの鼓動は、激しく打っていた。
鋭く、冷たく。鉄の人の象が、父の姿を目で捉えている。
威圧。
直感が間違っていなければ、父にとっては危険な視線。
カナコは、一歩前に進むルーク=バースの腕を掴む。
「カナコ、タクトに集中していろっ!」
ルーク=バースは、人が変わったようにカナコを捲し立てる。
ルーク=バースは、腕ずくでしがみつくカナコを離そうとしていた。
カナコは怯まなかった。どんなに叫ばれようが父を離すまいと、カナコはルーク=バースからの振り払う掌の衝撃に耐えていた。
「母さんは、何もかもひっくるめて承知していた。父さんには、やるべきことがある。それが、今になっただけだ」
カナコは「ぶるっ」と、震えた。
母を、アルマを持ち出してまで。父には、計り知れない何かがある。
「この手を離したら、お父さんは何処かへ行ってしまう。わたしを無視するお父さんなんて、嫌いよ」
父を止められない歯痒さ。
カナコはルーク=バースに“娘”としての強がりを剥けるのが精一杯だった。
「カナコ、わかってくれ。ちっとばかり傷をこさえるだろうが、父さんは家族を置いて先にはいかない」
涙を溢すしかなかった。
辛さを含む父の言葉に、反論が出来ない。
カナコは、ルーク=バースの腕の中にいた。
とくとくと、鼓動が聞こえる。父の命の音が、聞こえている。
幼い頃、よく聞いていた音だった。
遊んでほしいとせがんで、抱きついた時に聞こえた音。
あの時も、聞こえていた。
空に薄紅色の花吹雪が舞う、桜並木の路を父に抱かれながら歩いた。
歩調に合わせての振動の心地好さに微睡みながら見えたのはーー。
「お父さん、タクトはどうするの?」
ルーク=バースは黙ったまま、カナコを抱く腕を解く。
「ねえ、タクトはーー」
ルーク=バースは、何度も呼び掛けるカナコを振り返らなかった。
ルーク=バースの後ろ姿を見るカナコは、涙を溢すしかなかったーー。
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カナコは知らない。
このまま、知らずにいてほしい。奴が口を割る前に、この手で潰す。
カナコは、来るべきではなかった。
今、カナコに見えるものは、カナコそのものも脅かす。
タクト=ハインが物体に挑むを援護しないで、別の目的に着手した。カナコが不満を抱くのは当然だ。
物体と奴を野放しにしとくわけにはいかない。そこは、タクト=ハインも解っていた。
“今”を未来に繋げる為に。ルーク=バースは、奴に自ら近付いて行く。
「よう」
ルーク=バースはズボンのポケットに片手を収めて、正面にいる“奴”と目を合わせる。
ーーあの娘は、何者だ……。
「そっちか」
“奴”の訊ねにルーク=バースは呆れたさまとなった。
ーータクトを加勢せずに我の元に来た。その意を述べてみろ。
「解ってるだろう。いちいち訊くな」
知っててわざと確かめようとしている。
ルーク=バースは“奴”の態度が気に入らなかった。
ーー“人”の情は通じない。いや、今さら“人”を強調しても、無意味だ。お主の目は、そう言っている。
「そこまで解ってるなら、あんまり口を叩くな」
ルーク=バースは苛立っていた。
“奴”は、明らかに挑発をしている。その手に乗るまいと、ルーク=バースは耐えていた。
ーーどちらにしてもすべては知られる。タクト、お主。そして、私の存在はあの娘の生き方に影を落とす。今のうちに、その覚悟をするのだ……。
始まれば、後悔は許されない。
“奴”が構えを変えていく。羽織るマントを翻して、腕を伸ばす。握り締めている、武器の銃口が此方を向いている。
照準は、我に定められている。避けるのはどうってことないが、身動きするのを阻められてしまった。
真後ろの、遠くに置くカナコを“奴”が目につけた。動けば、カナコがやられる。
必ず、隙が出来る。
ルーク=バースは、瞬間を見逃しまいと“奴”へと目を向け続ける。
ーー“護り”を優先か。まさか、ここまで“器”が意思を……。お主は《我ら》の成功の産物。あの娘共々《我ら》の技術向上の標本として、手に入れよう……。
“奴”が構えを解いた。瞬間を待っていたのは“奴”だった。
“奴”が所持する武器は本物ではなく、使用された弾に殺傷効果はない。
被弾での負傷した痕跡がない代わりに、別の効果を引き起こしていた。
ルーク=バースは抵抗を試みる。
“力”を発動させようと掌を“橙の光”に輝かせる。
“力”に瞬発がない。解き放つ“光”が何度も宙で瞬きを失う。
“奴”は“力縛り”を使用した。武器に見せかけた装置で、弾に見せかけた“縛り”を発射させた。
“力”を発動すればするほど“煇”が消耗するだけ。かといって、このまま“奴”に黙って囚われるはしない。
「来いよ、その方があんたにとってはすっきりとせいぜいする筈だ」
ルーク=バースは挑発を仕掛けて“奴”を待ち構えるを選んだ。
一歩、また一歩と“奴”が前進してくる。その間にも、ルーク=バースは微動すらせずにいた。
かつん、こつん。
“奴”が鳴らす靴の音が、秒読みをしているように聴こえる。
ルーク=バースは頬を這う汗を拭うをせずに“奴”が間近になるのを待っていた。
そして、音がやんだ。
「へっ、引っ掛かったな」
ルーク=バースは“奴”の鳩尾にめがけて、靴底を押し込む。
“奴”はルーク=バースから受けた衝撃によって、真後ろへと転倒する。
ルーク=バースの行動は、止まることがなかった。駿足をすると“奴”が所持していた装置を奪い取り、床に叩き落とす。
「ざまあみろ」
ルーク=バースは、装置を踏みつけて壊す。
ーー裏をかく。見事だと、誉めるところだが読みが甘かったな……。
立ち姿に戻った“奴”は、ルーク=バースへと瞬間に移動する。
鋼の鎧に身を包んでの、威圧的な風格。
これが“奴”の本性。見るで感じるではなく、深層部分に“奴”が直接入り込む。
ーー“器”に“芯”の記憶が僅かながら残っていた。お主の“核”が決定されたのは“芯“の断片だった。素晴らしい、実に素晴らしい……。
喜びに震えている。それでも“奴”の威圧が解除されない。
ルーク=バースは、諦めきったさまとなった。
藻掻けば藻掻くほど、裏目にでる。
敗北。
ルーク=バースは、負けを受け入れる準備に取り掛かろうとした。
その時だったーー。
ーーお父さんが悪い。どうでもいい“モノ”にぐずぐずモタモタしていたから、お父さんはめっためたにぼっこぼこをされちゃったのよっ!!
「……。わりいな。啖呵を切ったくせに、不様な姿をさらしてしまった」
とうとう、来ちまった。今の我では、追い返すなど出来ない。
ーー憎い者は生けて見よ。カナコ、僕だったらそうする……。
今度は、あいつか。
「カナコを此処から摘まみ出して、さっさとやるべきことに戻れ」
「終わってます。バースさんが見せた“護る”が、終わらせたのです。あの“バケモノ”の電源の配線のみを、バースさんが切断してくれたからです」
意味がのみ込めない。こいつは、タクトは何を言ってやがる。
「タクト、お父さんがこんがらがってるけれど?」
「たまにはさせてやろう。でも、いいの? カナコは完全に巻き込まれてしまうのだよ」
また、わからないことを言いやがる。それも、カナコも加えて。
「見えているから仕方ないよ。ではなくて、見えるから怯まないと、決めたから」
ルーク=バースは、カナコの視線の先を追った。
あれが、タクトが言っていた“バケモノ”の電源。配線のみを断ったのが我だとは、信じ難い。
ーー“護り”が断ったのだ。私が時の向こう側に置いた“絆”で磨かれた“護り”が“創造”の配線を切った。動かぬ“創造”は、ただのがらくた。ならば、代わりを。其処にいる失敗の成功の産物を標本にして“創造”を今一度創る。勿論、配線を断てないと強度を増してだ……。
「頑固は、相変わらず。呆れたものだ」
父、ルーク=バースの意味ありげな言葉。傍で聴くカナコは、堪らずタクト=ハインへと振り向いた。
「『怯まない』と、言ったのはカナコだよ」
訊く前に突っぱねられた。しかも、強い口調で。
目を逸らすのは許されない。ここで見るものすべてを焼き付けろ。タクトの目は、そう言っている。
「あれ、わたしをじっと見ていた。わたしを絡めての話しをお父さんにしていたのも、わたしは聞いていた」
「カナコの空耳だと僕は思いたいけれど、僕もしっかりと聞いていた」
「タクト、変な余裕があったのね」
「無駄な音がない空間では嫌でも聞こえる。カナコも聞いていたとなれば、もう、誤魔化す手段はない……。」
カナコは震えていた。
タクトは言うことを決めている。あれが言っていたことに付け加えるを、タクトは決めている。
「わかる範囲で構わない。僕は、キミがいうあれと血が繋がっている。バースさんはあれの所為で、本当の時間を切り離されてしまった。そして、バースさんとアルマさんとの間に生まれたのが、カナコ。キミなのだ」
「それってタクトの生い立ちでしょう。其処にお父さんとわたしを絡めているのは、何故なの?」
「続けて聞いて欲しい。僕に弟がいるのはカナコも知っているだろう。でも、もうひとりいた。もうひとりの弟の存在は事実上なかったことになっているが、ちゃんといる。そう、今キミの近くいる……。」
タクトの遠回しでの物言いが気に入らない。カナコの感情は、怒りで膨らむ手前だった。
逃げよう。
カナコは、タクトから離れようとしていた。
ーーバースさんは時を切り離された、僕のもうひとりの弟の身体。だから、キミと僕に流れている血は同じ……。
泣き崩れて疲れはてるカナコを、タクト=ハインは抱き締め続けたーー。




