54両目
【ヒノサククニ】に、しんしんと夜が更ける。
耳を澄ませば、ほうほうと夜鳥の鳴き。げこげこと、蛙の音。
カナコは瞼が重たくて堪らなかったが、被る布団をがばっと剥いで立ち上がる。こそこそと玄関へと向かうと、靴を履いて建屋の外に出た。
生温く湿った風が吹き、樹木の枝葉を揺らしてざわざわ、と擦れる音が聞こえていた。
月明かりが雲にかぶってぼんやりとしている空を見上げていると、ぽつぽつと、頬に水滴が落ちてきた。
強い雨脚が地面を打つ。カナコはじっとして雨露を浴びた。
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雨が止む【ヒノサククニ】に、朝が来る。
〈大牟田の口〉の広場に蓮池があり、朝日を浴びる花の蕾が薄紅色で膨らんでいた。
蓮の葉の窪みに溜まる雨露に、浮かぶ木の葉を足場した一匹の雨蛙がじっとしていた。
ルーク=バースは、雨蛙に目を凝らしていた。「ふう」と、ルーク=バースが軽く吹く息を受けた雨蛙は、乗る木の葉ごとぐるりと旋回した。
雨蛙は逃げなかった。
ルーク=バースは「へ」と、愛想笑いをした。
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【国】に赴いた派遣部隊は、清風隊5名、石蕗隊6名、白岳隊9名編制の3部隊。
ルーク=バースは、各部隊の隊長を集めて《奴ら》を陥落させるに於てのミーティングを執り行っていた。
【国】で活動している《奴ら》の拠点となっているのは〈内郭〉と呼ばれる場所が二ヶ所。
〈不二の内郭〉を陽光隊から選抜した隊員と清風隊で落とす。設備を破壊させるを重点にして、人命を犠牲にしてはならない。
〈和水の内郭〉では《奴ら》が【国】で収集した“資源”の押収を石蕗隊で遂行させる。
白岳隊は各内郭にと別れて、医療処置が必要な《奴ら》の従事者を保護する。
ルーク=バースは〈不二の内郭〉を落とす為の準備を整えていた。
“力”が詰まっている筒型の容器のバレットベルトを襷掛けで肩に下げ、腰に“力の弾”を砲弾させる銃が納まっているホルダーの装着をする寸前だった。
軍服の裾をぐっ、と、背後から引っ張られる感触がしたので、ルーク=バースはちらりと、振り向いた。
「こら、お父さんはご覧の通りで物凄く忙しいのだ」
「都合が悪いと邪魔物扱い。お父さんの欠点に頭を抱えるのは、慣れっこよ」
カナコの膨れっ面に、バースは「ははは」と、苦笑いをした。
「むかつく」
カナコは笑い飛ばされた腹いせに、バースの背中に拳骨を叩き込んだ。
「……。カナコ、俺は最低な親父だ。己の信念を貫く為に、おまえの生き方を歪めてしまった」
「歪んでないよ。だって、お父さんとお母さんと一緒に【国】を見ることができたもん」
バースは瞳をきらりと輝かせ、鼻の頭を赤く染めた。
「だが、タクトはーー」
「関係ない。わたしのことで、いっちいちでしゃばるタクトなんて、知らない」
バースは、カナコの強い口の突きに呆気となった。
ーーお父さん、わたしに黙って出発しないでよーっ!
カナコは父、ルーク=バースに何度も振り向きながら走り去った。
「やれやれ……。」
くしゃりと、前髪を握りしめるバースは笑みを溢していたーー。
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タクト=ハインの機嫌は悪かった。頬に残る、腫れと痛みで苛立っていた。アルマに声を掛けられてもすっと、素通りした。
タクト=ハインは、帰省の準備を整えている三人の〈プロジェクト〉メンバーを遠巻きで見つめていた。
本来ならば〈プロジェクト〉メンバー全員を【国】から帰す。それにも関わらず、ルーク=バースが“待った”と、阻止した。
カナコ、ビート、ハビトを【国】に残す。
ルーク=バースの意見に、タクト=ハインは即、反対をした。
ーーバースさん。あなたは、ご自分のお子さんを利用してまで、何に拘っているのですか。
この一言が、バースを逆上させた。報復として、頬を殴られた。場に居合わせていた陽光隊の、しかもアルマもいる前でタクト=ハインはルーク=バースと乱闘した。
タクト=ハインは思いに更けながら腕時計の時刻を確認する。
あと5分で《奴ら》の窖へと向かう。
ざくざくと土を踏みしめての靴が鳴る音がしていた。
タクト=ハインは翻すと、広場に集合した派遣部隊の列に、すっと並ぶ。
やはり、くっついてくる。
目を合わせるはしなかったが、視野に入ったカナコの姿にタクトはむすっと、顔をしかめた。
「ごほっ」と、背後から誰かの咳払いをしているのがが聞こえた。
「タクト、今すぐにおまえの心持ちを改めるのだ」
「何のことですか? と、いうより、雑談は控えましょう」
タクトは、後ろにいるのが誰なのかはわかってた。しかし、わざと突っぱねた態度と言葉を示したのであった。
「“現場”に突入すれば、おまえに気をとれなくなる。その覚悟は承知なのか」
「ご安心してください。僕は、あなた達とは別での行動を執ります」
「何だと!?」
「時間ですので、皆さんに続きましょう」
《奴ら》の窖へと隊の列が歩みだし、タクトははや歩きで後を追った。
ーーアルマ、何をぼやぼやしているっ!
罵声が聞こえたアルマはびくっと、顔つきを強張らせた。
「すまない、バース」
「タクトはほっとけっ! あいつはおまえが構うほどのトシじゃない」
「それは、そうだが。ただ、あいつの口の突きかたがーー」
「もたもたするなっ! 置いていくぞっ!!」
バースは顔を厳つくしていた。
一方で、カナコはビートとハビトと共に陽光隊とは別の列で歩いていた。
先頭に石蕗隊の隊員、最後尾に白岳隊の隊員。そして、列の両脇を挟むかのように清風隊の隊員が《奴ら》の砦へと靴を鳴らしていた。
父と母とは別行動になる。
両親は着いていくを承諾した。それなのに、両親と共に行動が出来ない。
「キミ達も。と、司令官の指示だ。それなりの“実力”があるだろうが、俺たちの足手纏いになるなよ」
カナコの左隣で歩く、清風隊隊員の男がにやりと、不気味な顔つきをしていた。
「うるさいよ、おじさん。黙って前を見て歩きなさい」
カナコは男をじろりと、睨み返した。
「なーー」
男は肩を震わせて、歩みを止めた。
列が遠退いていく。男は追い付こうと走ろうとするが足が動かないと、地面を見下ろす。
男はぞくっと、身震いをした。
足首に絡むのが草の葉ではない。そして、ぎらぎらとした目付きで見上げるのが何かと、男は寒気を覚える。
ーーイブツハッケン、タダチニハイジョ……。
ーー待ってくれーっ! 俺を、俺を置いていくなぁあああーーーーっ!!
悍ましい囁き、男の悲鳴。
それでも《奴ら》の窖を目指す“有志”には、聞こえなかったーー。




