39両目
〈有明の原〉
タクト=ハインの目に写っていたのは、想い描いていた大草原ではなく、柵に囲まれた近代的な建造物だった。
〔ライフチャレンジ・ブライト〕
〈育成プロジェクト〉を実施する施設の名称だと、タクト=ハインは正門に掲げられている木製の彫刻板を見据えた。
「施設に入る為の手続きを、私がお手伝い致します。タクトさんはメンバーの傍に付き添っていてください」
正門に備えてあるインターフォン越しでリレーナが施設内のスタッフと交渉を終わらせると、ゲートが自動で開かれていった。
タクトと〈プロジェクト〉メンバーは、先頭を行くリレーナを追うように施設内の路を歩いた。
タクトの視野に入る、彩り豊かな花が咲き誇る花壇。ジャングルジムにシーソー、ブランコといった遊戯具。子どもに配慮した設備だと思う一方、違和感を覚えた。
《奴ら》が型をはっきりとさせている設備で〈プロジェクト〉を執り行うはしない。もっと機械的なのを取り込んでの、さらに思考を活動させてが《奴ら》らしい施行だと、これまで積み重ねた経験からタクトは臆測した。
〈育成プロジェクト〉の詳細がわからない今、間なしの行動はとれないと、虎視眈眈のタクト=ハインだった。
「〈育成プロジェクト〉が本格的に執り行われるのは、今回が初めてみたいですよ」
リレーナの説明にタクト=ハインは、はっと、顔色を変えた。
もう、十年以上も前のことだった。ルーク=バースを筆頭に、タクト=ハインが所属していた陽光隊には任務があった。
当時《奴ら》が主催した〈育成プロジェクト〉で集われた16名の子ども達は、本来ならば【サンレッド】までの護衛だった。
記憶が、霧のようにはっきりとしない。断片的に思い出せるが、どこか辻褄が合わない。その度に決まって頭痛と目眩と、体調不良に襲われていた。
足元が覚束ない、呼吸するのもやっと。
【サンレッド】からの先の記憶を鮮明に出来ないと、タクト=ハインは目蓋を綴じ、次に開いて視野に入ったのはリレーナの不安そうな顔だった。
「ごめん、リレーナ」
タクト=ハインはベッドに横たわっていた。すぐに起きようとしたがリレーナに止められてしまい、掛け布団を被せられた。
「〈プロジェクト〉メンバーは、隣の部屋で待たせているわ。彼らの入所手続きにあなたのサインが必要だから、ここでしっかりと体調を整えましょう」
リレーナはベッドの側にある椅子に腰を下ろし、タクトの前髪を掌ですくった。
「リレーナ」
「なに、どうしたの? タクト」
「僕は、キミにちゃんと約束をする。だから、絶対に待ってて」
ーー勿論よ、タクト……。
甘く、あたたかい息を、リレーナはタクトに吹き込んだーー。
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カナコは落ち着かなかった。
まるで檻の中でうろうろとしている猛獣のような厳つい様子のカナコに、ハビト以外のメンバーは警戒していた。
体調を崩したタクトの回復を待つ。それは良いが付き添いは別だということで、この部屋にメンバー揃って押し込まれた。
「タクト先生の容態は重くないけれど、ぞろぞろと看てても意味がないと、リレーナさんがわざわざボク達の為に至れり尽くせりを用意してくれたご厚意は、まんべんなく受けるべきだよ」
ハビトは、紙コップに注いだオレンジジュースを飲み干した。
「ハビト。今のキミの一言は、火に油を注いだようなものだよ」
カナコが皿によそわれているフルーツタルトをフォークの先で何度も突き刺している姿に、ナルバスは顔を青くしていた。
「ビート、お姉さんの暴走を止めなさい」
「嫌だよ、シャーウット。ぼくだって自分が大切だ」
「ビートにも見えているでしょう? 次にロールケーキがショートケーキに変えられたのよ。ほら、シュークリームだって破裂させられちゃった」
「見てごらん、ホルン=ピアラ。キミが夢見ていた、叩く度に増えるクッキーだよ」
シャーウットとホルン=ピアラは、ビートをじろりと、睨み付けた。
ーーカナコ、指導室に今すぐ来なさい……。
〈プロジェクト〉メンバー達の視線の先に、眉を吊り上げているタクト=ハインが仁王立ちしていたーー。
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タクトが言った〔指導室〕が本当にあった。
ふたりっきり。だったらよかったのに、タクトの隣に座っているのが誰なのかと思うと、気に入らないーー。
「タクトさん。そんなにぽんぽんと、怒ったら駄目よ」
「いえ、リレーナさん。これから始まる〈プロジェクト〉に於いて、今のうちにみっちりと生活指導をするのは、僕の義務です」
熱り立つタクトに、カナコが「べ」と、舌をだす。
「カナコッ!」
タクトは激昂した勢いで、テーブルの上を拳で叩くと紙コップがひっくり返り、中身が溢れた。
「あなたは、何てお呼びしたら良いのかしら?」
タクトを押し退けたリレーナは、ズボンのポケットからハンカチを取り出すと、テーブルの上を濡らすレモンティーの飛沫に被せて吸わせた。
「カナコよ」
長椅子に腰掛けるカナコはふいっと、リレーナから視線をそらせた。
「わたしはあなたと同じ年頃、凄いおてんばだったの。でも、やめちゃった」
「どうして?」と、カナコはリレーナへと振り向いた。
「目指すことが出来たから、よ」
「“目標”のこと? そして、どんなことなの。もう、辿り着いたの」
「カナコ、そんなに沢山とリレーナに質問してもーー」
「タクトは黙っててっ! わたしは今、この人とお話しをしてるの」
カナコに言うことを遮られたタクトは、顔をしかめた。
「タクトさん。まだ時間があるので、カナコさんのお話し相手をしてください」
「でも……。」
ーー〈プロジェクト〉が開始されたら、あなたはカナコさんを含めたメンバーとは一緒にいられない。今のうちにその覚悟をするか、引き返すことにするのか。カナコさんの気持ちを汲み取ってあげて……。
リレーナはふたりを室内に残し、扉を閉じた。
タクトは椅子に腰掛けたままで、俯いていた。
「カナコ、ごめんね」
「謝られる意味が、理解できないわ」
「護ると言っていたのに、僕が出来るのはここまでだ。キミをきつく叱ったのは、キミがご両親の元に無事に帰れる為の“強さ”を身に付けさせたかった」
「タクト【此所】に来るまでも容赦なしだったわ」
「『それなら、大丈夫だ』と、言いたいけれど、あんまりだよね?」
「うん」と、カナコは首を縦に振った。
「キミが八つ当たりした“美味しそうで可哀想な食べ物”を、僕にも食べさせて」
タクトは目頭を押さえるカナコの手を引き、メンバーが待つ場所へと向かったーー。
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また、離れてしまう。
リレーナを送る為に、タクト=ハインは施設の玄関にいた。
「キミがいなかったら、手続きにもっと手間取っていた」
「お礼ならば、わたしたちの知り合いでもある此所の施設長にしてね」
「ルベルトさんまで《奴ら》に入り込んでしまった。僕はそんな事情など知らなくて、ルベルトさんが大学をお辞めになるのを止める為に説得をしたことがある」
「『理由は大学を辞めたあとにうち明かす』と、おっしゃっていたのでしょう?」
「そのあと、僕は休職届を出したけれどね」
「くすっ」と、タクトとリレーナは顔を合わせて笑みを湛えた。
「なんてね」
「そうだね」
ふたりの笑みが、灯りが消えるように止んだ。
「わたしたち《奴ら》の組織にいるけれど、お互いの役割に深くは入り込めない」
「キミは僕たち〈プロジェクト〉チームを偶々保護をした。と、なっている」
「ちょっとだけ“事実”を弄くっちゃったけれどね」
「本当に、大した出鱈目だったよ」
タクトはこつりと、リレーナの額に軽く拳を押し当てた。
「タクト、気を付けてね」
「ああ《奴ら》の本当の狙いは、僕だ」
「あの人、その気になれば【此所】ごと吹っ飛ばすつもりよ」
リレーナの言うことに、タクト=ハインは顔を強張らせた。
「リレーナ、キミはバースさんの思考を感知していた?」
「あの人は“力”をセーブしている。絶対に発動をさせてはいけない“力”を持っている。感知して、しばらくは震えが止まらなかった」
「『皆揃って【グリンリバ】に帰るぞ』と、バースさんは、そう言ってくれた」
タクトはリレーナの掌を両手で包む。
ーータクト、みんなと一緒に帰りましょう……。
タクトの掌を離したリレーナが、何度も振り向いていたーー。




