36両目〈番外編 ~かぜはやんだ~〉
月明かりの色は、蒼の朧。
窓を開けると吹き込む風に混じる、甘くてふくよかな薫りが鼻腔を擽らせる。
綽綽、粛粛。
今宵もゆったりと、静かで。
眠れなかった。
「アルマ。お父さんがもうひとつお話をしてあげるから、今度こそおやすみなさいをするのだよ」
あまりにも傍迷惑な思い出だ。
父にしてみれば、たまの休暇を娘と過ごしたいという思いだっただろう。
「……。だったら、この本を読んで」
ベッド中に潜り込んでいる私は、空想物語の絵本を一冊、父に渡した。
「『かぜはやんだ』むかしむかしーー」
父は私を寝かし付ける為に、絵本の読み聞かせをしてくれた。それは良いが、矢鱈と語尾をあげる、擬音をつける、身ぶり手振りで場面を表す。
話術が下手くそで、余計に寝付けなかった。
「おやすみ、アルマ」
聞くに力尽きて、熟睡をする振りをした。それを真に受けた父は、私の額にべとりと、唇を押し当て部屋の明かりを消した。
あといくつの夜を数えたら、静寂な時を迎えることが出来るのだろうか。
微睡みの兆しはなく、暗闇に馴れた目で天井を仰ぐ。
部屋の隅からごそりと、物音が聴こえた。
ーータクト。お節介なことはこの娘の為にはならないから、止しなさい。
ーー女の子の嗜みが何かを、教えてあげるだけだよ。
父の“読み聞かせ”が頭の中に残っているのか。
ーーきっちり、しすぎっ!
ーーカナコ、うるさいっ!
闘おう。
私は被っていたシーツを捲って、ベッドから降りた。
「こそこそと、何をしているっ!」
サイドテーブルに置いている懐中電灯を握りしめた私は、はっきりと聴こえた声の方向に明かりを灯した。
「見つかっちゃった……。」
「カナコの超音波的な声の所為だよ」
「わたし、しくじったりしないので」
「折角、僕が綺麗に畳んだ服をぐしゃぐしゃにしないでよ」
「あんたの身代わりに、ぼっこぼこにしただけよ」
「だからといって、僕が畳んだ服に当たらないでよ」
私の威嚇をそっちのけにして、ペアのちっちゃいもの(親指ほどの大きさ)が、何だか口論をおっ始めた。
ああ、言う。
こう、言う。
しのごの。
つべこべ。
(以下、省略)
「あんたたち、気がすんだ?」
ちっちゃいもの達は疲れたらしく、ぜいぜいと、息を切らせていた。
「……。牛乳を一杯、飲ませて」
「僕はレモンティで……。」
「牛乳とレモンティ……。て、馬鹿ブッかますなっ!」
部屋の床にどすりと、私が素足で踏みつけると、振動を思い切り受けた女子ちっちゃいものが飛び跳ねて「きゃっ」と、一丁前に可愛らしく悲鳴をあげた。
「待って、僕たちは味方だっ! キミに、メッセージを届けにきたんだっ!!」
「メッセージ?」
私に摘み上げられた、男子ちっちゃいものがじたばたと、手と足を振って抵抗した。
「〈悪の軍団に染まってしまった伝説の戦士を助けて、そして真の悪と闘う〉プロジェクトのメンバーに、キミが選ばれたっ! 闘う為には、キミがうんと大きくなって、うんと強くならないといけない。だから、キミを育成する【国】に、僕たちが連れていく……。ことになっている」
胡散臭い。
私は堪らず男子ちっちゃいものを、落とした。
「【国】に行くためには『かぜはやんだ』という、書物を手にするの。それをクリアしないと【国】には連れていけない。あなたが〈プロジェクト〉メンバーに選ばれたから、わたしたちも書物を探すお手伝いをするわ」
今度は女子ちっちゃいものが。しかも、目力を強くさせて私を見上げていた。
とても、出鱈目を言っているような目付きではない。女子ちっちゃいものが言う書物が気になって、仕方なく本棚から一冊の絵本を取り出した。
「あっ! これよ、これのことよっ!!」
私から見せられた絵本に、女子ちっちゃいものは指差しをした。
何でこんなにもあっさりと。しかも、さっき父が下手くそな読み聞かせをした絵本が、まるで冒険ゲームの大事な道具扱い。
嫌だったが、使い方を聞くことにした。
「裏表紙の名前書き欄に、油性ペンであなたの名前を書くの」
それだけかい。
私は机の引き出しから黒の油性ペンを取り出し、キャップを外すと自分の名前を太く書くと、絵本がぺかっと、紅色の光で輝いた。
「おめでとう。これで正真正銘、あなたは【国】に行くための資格を貰えたわ」
女子ちっちゃいものは、満面の笑みを湛えて拍手をした。
「おい」と、私は反応が薄い様子の男子ちっちゃいものを睨み付けた。
「いうことを聞かなくてもいいけれど、怒られないようにしてね」
こいつは、先の先をよんでの忠告をしている。いや、待て。何で『怒られないように』なのだ。
「さっさと、おまえ達がいう【国】に連れていけっ!」
私は、ぶふんっと、鼻息を噴いた。
「その前に、キミの保護者にご挨拶を……。」
礼儀正しいのは良いが面倒臭いから止せと、私は男子ちっちゃいものを踏みつけた。
こうして、私は【国】へと誘われた。
今回は本作の番外編だから、道程の場面は割愛すると、筆者は横着をした。
【国】着いた私はペアちっちゃいものに案内された〈太陽の窖〉で腕立て伏せ、反復横飛び、匍匐前進、バンジージャンプ、ロッククライミング、フォークダンスで基礎体力の向上をさせる為の鍛練に身を投じた。
月日が流れ、師匠からローリングソバットを伝授される。
〔指令、泡割り軍団をぶっ潰せ〕
私が身を置く〈陽光隊〉に、伝書鳩が翔んで持ってきた軍指令部からの伝達事項だった。
「いってらっしゃい」
「私だけで、か」
「奴は“ドスケベの力”の使い手だ。油断と隙を与えるのは、おまえしか、いない」
隊長が塩せんべいをばりばりと食べながら、私に出動要請をした。
泡割り軍団とは、民間人が膨らませて飛ばす泡を片っ端から割っていくをして景気を低迷させる集団だ。私も見たが、街の至るところにアヒルの羽根が散らばっていた。
奴らの無法振りに、国家も頭を抱えていた。そして、我が軍に対応を迫ったのであった。
番外編だから。と、筆者は再び肝心の場面を、私が華麗に軍団を壊滅的に追い込む場面を割愛するという横着をした。
それから、さらに月日が流れたーー。
「ねえ、おとーさん。この異世界図鑑のオカムーラて、どんな生き物なの」
「カナコ。そいつはな、大好きな妖精さんの為に人を辞めた自由な生者なのだ」
「どうして?」
「カナコには、まだ難しいことかも……。」
〈なんちゃってご馳走〉をレンジで加熱している私が見たのは、全身痣だらけの夫が娘を膝の上に座らせて本の読み聞かせをしてる姿だった。
夫は久しぶりの休暇だった。
父親と遊べる嬉しさのあまりに頭突きと回し蹴りを娘から喰らっても抵抗はおろか、叱り飛ばすをしない夫に、私は苦笑いをするしかなかった。
私は幼い頃の記憶を辿った。
私の父も今の夫と同じく娘へと愛情を注いでくれた。
父の下手くそな話術での読み聞かせは、今となっては、懐かしい思い出と変わった。
しかし、曖昧な記憶があった。
現実なのか、空想なのか。はたまた、私が見た夢なのか。思い出そうとすると、決まって頭が締め付けられる感覚になった。
「女の子はふたりのちっちゃいものに連れられた国で大きくなって、悪いものをやっつけると面白くてカッコいいヒーローのお嫁さんになって幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
夫が娘に読み聞かせをしている物語の締め括りだった。
部屋の片隅に置くボックス棚から、一冊の絵本が目に付いた。
〔かぜはやんだ〕
眠れなかったあの頃の、父との思い出の一冊だったーー。




