26両目
世界を新しく変える。
意気込んだわりには壁にぶち当たり、気がつけば回りの足を引っ張った結果が待っていた。
何の為に、誰のために。
ルーク=バースの心は、凍りく手前だったーー。
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風向きは南西から。朝焼けに交じっての大気は冷たく、吐く息を白く吹かせた。
カナコは父親の意思を壊したくなかった。
今頃、母親と口論しているだろう。
特に、母親はわかっていたに違いない。
【国】に入るためには“扉”を開かなければならない。
第一の〈関所〉は【サンレッド】だった。越えるために、タクト=ハインが“鍵”の役割を担った。
今度こそ【国】の“扉”を開く。その前に【国】へと続く路を繋げる。
カナコは路を繋げる瞬間の準備を整える。
「カナコ、途中で止めてもいいからね」
タクト=ハインの過保護ぶりにカナコは「もう、あっちにいって」と、繋ぐ掌を離して抵抗した。
「こら、カナコ」
タクトの口は怒っているが、目尻を下げている。まるで、父親が傍にいると勘違いをするほど、タクトの顔は父親に似ていた。
カナコは「に」と、歯を見せての笑みを湛えた。
「遠く、近く。その距離で十分だ」
カナコに近付こうと、一歩前に脚を広げているタクトを見ていた男の指示だった。
タクトの顔が、瞬時に曇った。
男が言うのは“手は出してはならぬ”と同じだと、タクトは思った。
此処にカナコの両親がいなくてよかった。安堵する一方、この情況は嫌でもふたりに知られてしまう。
ーータクト、あなた【ヒノサククニ】にいきなさい……。
母であるヒメカの最後の言葉は、幾度も心で反響していた。
結果的には、意志だった。気付いた時には、既に後戻りは出来なかった。
「タクト【ヒノサククニ】で待ってるね……。」
カナコは笑っていた。
“暁の光”を輝かせ、カナコはタクト=ハインに手を振った。
ーートキノキザミニ、ミミヲスマセテーー
燦、出づの頃だった。
カナコは路を繋げる為の言葉を“暁の光”に溶かして東の空へと放つ。
ごう、と、風が吹き、枝木の葉が千切れると舞い上がっては地面へと散るが繰り返された。
いよいよ、だ。と、カナコは目蓋を綴じて、路が【国】へと繋がる瞬間を待った。
目蓋を開いた先に見えるのは、と、カナコは目を凝らす。
しかし、だった。
誰かが呼んでいる。ひとり、いや、もうひとり。
身体が揺すぶられる、漸く止まったか思えば今度は耳元での啜り泣き。
ちゃんと感覚はあるのに、動けない。
ちゃんと情況を説明しないとーー。
「カナコッ! 俺たちに黙って何をおっ始めたのだっ!!」
「バース、止すのだ。カナコは目が覚めたばかりなのだぞ」
両親が、此処にいる。
カナコはそれが不満だった。堪らず反発の態度を示すと、父親は手をあげようとしていた。
母親は即、仲裁に入った。カナコを後ろに隠して、父親の脚の脛にブーツの褄先で蹴るをした。
「タクト、わたしに内緒でお父さんとお母さんを呼んーー」
カナコはしゃがみこんで脛の激痛に悶えている父親を押し退けた。
どこかに怒りをぶつけたかった。こうなったのはタクトの所為だと、カナコはタクトの姿を目で追った。
「タクト……。どうしたの?」
タクト=ハインは、草むらの上に横たわっていた。
姿を見たカナコは傍に行こうと一歩前にと動くが、膝の震えが止まらなかった。
「【国】の“血”そのものが“路を繋げる”なのだ。発動させれば命が削られる。生きる為の“余力”があるならまだ良い。別の“力”を発動させないかぎり、命の“余力”は保たれる。タクトは“路を繋げる”役目を担うと共にカナコ、おまえを護る為に“保護の力”を発動させて“余力”を尽かせた」
母のアルマが、転びそうになるカナコの身体を支えていた。
触れると砕ける、息を吹き掛けると溶けてしまうと思った。
「タクト、冷たいよ」
カナコは、動かないタクトの額に指先をそっと乗せていた。
タクトは“路を繋げる”がどんなことかを知っていた。
男が言っていた『衝撃』は、この事だった。
タクトは幾度も忠告をしていた。
どんなに促しても頑な意思を示してばかりのカナコに『降参』の振りをして、男とは口裏あわせをやっていた。
タクトは頻繁に“護られている”を口で突いていた。小言みたいで嫌だと、その度に突っぱねていた。
気付いた時には、遅かった。
命を代償にしてまで“護られる”をタクトは教えた。
タクトが正しかった。
両親を知っていたタクトだから、身をもって“護られている”を教えてくれた。
遮る光景がない、目でもはっきりと見える【此処】から先の、陽の光が照らされている大地で“蒼い光の路”が何処かへと続いていたーー。
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タクト=ハインが“血”を発動させて【国】へと路を繋げた場所が【幻渓谷】の北の方角にある墓群。此所でタクト=ハインは命を尽かせた。
タクトは、二度と目を覚まさない。
事切れているとわかっているが、ハケンラットの立ち合いの結果判断も同じだった。
粛粛と、静かに眠るタクト=ハインの“弔事”は執り行われ、埋葬となった。
〔タクト=ハイン 蒼の路を繋げる〕
「行くぞ」
弔いの言葉が刻まれた墓標の前で敬礼を手向け終えたルーク=バースは、同志へと振り向いた。
カナコは母親のアルマの隣にいた。
今見たのが父親なのか。目付きは鋭く、姿勢はまっすぐでも威嚇を受けているようで、足元が竦んでしまった。
父はこんなに怖い印象だったのかと、カナコは後退りをする。
「カナコ、前を見るをするのだ」
アルマがカナコの左腕を掴んで、怯みを止めた。
カナコが見上げた先の母であるアルマは、声に顔にと、厳しさを表していた。
カナコはぞくっと、身震いをした。
優しくて、綺麗な母。今見た母は、自分が知らない母。
両親の〈仲間〉も同じく、恐い眼差しをしている。
「“戦”だよ。キミのご両親と仲間の皆さんは“戦”の目をしているのだよ」
少年の声がすると、カナコは振り向いた。
「ビルドだったよね。まるで、お父さんを縮めたような姿」
「呑気な言い方だ。キミはこれでも今の情況がわからないとしか、言いようがない」
カナコはかっ、と、顔をしかめた。
「キミの仲間たちは【国】に行くための準備を整えて、あっちで待たせている」
ビルドは顎を突きつけて、その先へと、カナコを促した。
「タクト、いないのよ。どうやって、伝えたらいいのよ」
「嘘をついたら駄目だ。いないは、いない。と、ちゃんとはっきりとさせることだ。見てみな。あの人たちはもう、前を向いている」
ビルドが言う『あの人たち』は、両親と陽光隊隊員のことだ。タクトがいない現実を受け止めて、先に進もうとしている。
“大人”だから、と、カナコは解釈したかった。
都合が悪いときに“子供”と、主張をするのが情けなかった。
「ビルド。もし、此処にまた来れたら、よろしくね」
カナコは深呼吸をすると、ビルドに掌を差し出した。
「勿論だ。美味しい食事と綺麗な景色が悠々な【此所】で、おじさんと一緒に何時でも迎える」
カナコとビルドは、握手を終わらせる。
「え」と、カナコは小さく驚いた。
ビルドの掌を離す瞬間に“暁の光”が放たれ、照らされたことにカナコは驚いてしまった。
ーーカナコ、わたしがあなたの中で時を刻むのは終わりです。わたしは、今からタクトさんの魂を【ヒノサククニ】に連れていきます。わたしたちで、あなた達にしか潜れない【国】の扉を開きます……。
暁の光は少女の姿と象り、カナコに語りかけた。
「カナコ。あなたは、あなたのお父さんとお母さんに会うことを諦めるの」
ーー心配しないで。今度は誰かの中で時を刻むのではなく、新しい時を。わたしが新しく時を刻む為の準備をするの。光にわたしの記憶を預けて、わたしは新しい時を刻む……。
「もう、会えないの」
カナコは涙ぐんで、少女に訊いた。
少女は静かに頷くと、翻して掌を翳す。そして、蒼い光の球体を両手でそっと包むをした。
ーーカナコ【ヒノサククニ】に行きなさい……。
懐かしい声だった。
少女が両手で包んでいたのはタクト=ハインの魂だと、カナコは直感した。
「お姉ちゃん、行こう。みんなと【ヒノサククニ】に行こう」
ビートが、カナコの傍にいた。同じく〈プロジェクト〉メンバーもいた。
「先生の声、私たちにも聞こえたよ。だから、泣かない。先生は“灯”になって、私たちを照らしているから」
シャーウットとホルン=ピアラが、カナコと手を繋ぐ。
「ナルバス、おまえはハイン先生のような『先生』になりたいと、言っていたな」
「今此処で言うことか? ハビト」
「ただの思いつきだったら、ハイン先生に失礼だからだ」
ナルバスはハビトから視線を逸らすと「ごほっ」と、咳払いをした。
ーーみんな、想い描いている“未来”を大切にしなさい……。
タクトは微笑んでいる。声がそうだと、カナコは思った。
6人の子ども達が、まっすぐと背を伸ばしている。
少し離れた場所で、穏やかな眼差しのルーク=バースが見つめていた。
「バース」と、傍にいるアルマが呼んだ。
「ああ。あいつらに、心配はいらないな」
「見守るは、必要だ」
「わかってるわいっ! だが……。」
「カナコだろう。親心を抑え込むは、私も辛い。そうでなければ、カナコの未来はない」
「あいつ、おまえがちっとでも離れたらびーびーと、大泣きしてた」
「それはあいつが乳飲み子の頃だろう。そういうおまえにも、あいつはおまえにべったりとくっついていた」
「『あいつ』とは、随分と冷たい扱い方だな」
「人のことが言えるか。馬鹿親父め」
「あー、そこのキミ達。忘れ物はないかをしっかりと確認して、おじさん達のところに集まりなさい。お弁当、水筒、おやつは持っているかな? あ、おやつは300円以内でバナナは含まれないから注意してね。乗り物酔いをしない為にはみかんを食べるの控える。それからーー」
ーーお父さんの、あんぽんたんっ!!
「……。鼓膜、破れた」
「おまえが、いけない。さっさと、合図をしろ」
至近距離でカナコに叫ばれたバースは、耳を両手で塞いで座り込んでいた。そして、アルマはバースの頭の天辺に肘鉄を喰らわせたのであった。
「目指すは【ヒノサククニ】」
声を高らかに、ルーク=バースは“蒼の路”を指差したーー。




