22両目〈銀の狼②〉
乗るか、反るか。
選択はふたつだった。
ーー闘おうよ……。
明らかに、挑発だ。
今、目の前にいるのが誰かははっきりとしている。再び逢えたのは喜ばしいが、奴の心が何処かに行ったさえなければ掌をしっかりと重ねることが出来た筈だった。
「タクトの“心”を返せ」
ロトはタクト=ハインの身体を被った“渾沌”に要望した。
「そっちを優先なの? 困るよ、折角“これ”が馴染んでいるのだよ。手放すはお断りだ」
“渾沌”は苦笑いをしていた。タクトの身体で、タクトの顔でロトの要望を拒んだ。
ロトは脇を固めて“渾沌”へと視線を剥けた。
「よかった、本気になったのだね」
“渾沌”は、ロトに悍ましい顔つきを見せていた。
「来いよ、タクト」
「僕から?」
「ああ、そうだ」
「……。余裕だね」
ロトは冷静だった。
一方、タクトの身体を被る“渾沌”はロトの態度に押されぎみになっていた。
「どうした? タクト」
「どうもしてないよ」
言葉を受けて返すしか出来なかった。
“渾沌”はロトに目掛けて拳を振り翳すつもりだった。
翠玉の瞳の色が、ロトの瞳の色が行動を阻止している。
惑わされているような感覚だった。
ようやく手にいれた身体なのに、これでは意味がない。
“渾沌”は、苦悩した。
やられるは、確実だ。しかし、身体を脱ぐわけにはいかない。
身体は燃料に必要だと、このままある場所に持っていかなければならない。
「それが、きさまの企み。いや《団体》の企みなのだな?」
ロトが言うことに“渾沌”はタクトの顔で、形相を強張らせた。
ロトは伝説のエスパー。相手の思考を読み取るは出来て当然だった。
誤算だった。被る身体の中にいる我の思考を読み取るとは想定外だった。
「……。今、思い出した。ロト。貴様は《我ら》にそこにいる男と、この身体の奴と共に楯突いた経歴があった。お陰で〔計画〕は白紙になった。ようやく新たな〔計画〕が、月日を費やしての〔計画〕が施行される。其れをも、貴様は揉み消すというのか?」
ロトと“渾沌”の対峙を見守るバースの顔つきが険しくなった。
“奴”は《団体》に関わっている。今いる空間は《奴ら》が操作して見せている。
“渾沌”は、何処かで操作されている。タクト=ハインを被せて視覚を惑わせ、我らを混乱させようと目論んでいたのだと、バースは確実な思考を膨らませた。
ロトもバースの考え方と同じだった。
タクトが“渾沌”に乗っ取られているではなく、タクト自身だったらと、疑念はあった。混乱に便乗しての、タクトの挑発とも受け取られていた。
“力”で追い詰めて、逃がす。そして《奴ら》の居場所を逐う。その手段もあるが、それではバースからの頼まれ事が後回しになる。
ロトは右の掌を硬く綴じた。
タクト=ハインの身体に傷を付けずに助ける方法を、見出だす為にだった。
必ずある。
ロトは“渾沌”をじっと見つめたまま、試行錯誤をした。
「交替だ、ロト」
ロトの情況に気付いたバースが傍にいた。
「いや、俺がタクトを救う。おまえには大切な義務がある」
ロトは笑みを溢していた。そして、柔らかい眼差しをバースが近くに置いてきたカナコに剥けていたのであった。
「ロト。タクトから“奴”を引っ剥がせ」
バースは翻し、カナコの元に戻った。
「あいつめ……。」
ロトは苦笑いをしながらも、バースが突いた言葉の意味を知った。
逃すまい。
ロトは“渾沌“に、右の掌を翳しての照準を合わせた。
「“力”を発動させる。良いのか? 放ったところで“こちら”としては全くもって影響はないのだ」
「逆上せるな。そして、気付け」
勝ち誇るような顔つきの“渾沌“に、ロトは掌を銀の光に輝かせて翳した。
目が眩む。
ロトが解き放す銀の光が迫っていると、解っているが身動きが出来ないと、“渾沌”は藻搔いていた。
「所詮は“朧”だと、な」
ロトは右の掌を水平にと、動かした。
ーースクリーン・ショットッ!!
タクトの身体から離れた銀の幕を、ロトは無造作に掴む。
「お父さんっ!」
「ああ、任せろっ!」
カナコは叫んだ。
タクトが“渾沌”から解放された瞬間をバースも見ていた。
群青色の空間が、切り裂かれる。
バースがタクトを受け止めて、見上げた隙間から見えたのは、あたたかく穏やかな陽の光だったーー。
======
ーータクト……。
懐かしい声がする。と、タクトは微睡んでいた。
「母さん……。なの?」
漸く目蓋を開いたタクトは、目の前にいる女性に驚きを隠せなかった。
ーーしっかりしなさい。
「僕は意外と早く、母さんのところに来た。ごめん、母さん」
ーー私があなたのところに来たの。姫さまが、呼んでくれたの。姫さまがあなたを励ましてと、私をあなたの元に連れて来てくれたの。
「姫さま?」
ーーもう、大丈夫ね?
「母さん、僕は……。」
タクトが掌を差し伸べるのも虚しく、女性は微笑みながら“白”の空間に解けていった。
碧は生まれる。
翠は微笑む。
ある時は陰、またある時は日向。
あたたかく眩しい陽と冷たく暗い闇の狭間で迷うがあれば、道標を目指すがよい。
光の道標が、そなたを導く……。
今度は聞き覚えがない声がする。と、タクトは朧気になっていた。
燦々と降り注がれ、全身に浴びる陽のぬくもりで眠いと、タクトが目蓋を綴じた瞬間だったーー。
======
「待って、直ぐには起きないで」
また、声がする。今度は聞き覚えがあると、タクトは半ば愛想尽きた様子で目を覚ました。
「カナコ、どうやって助かったの?」
タクトの顔は剥れていた。
起き上がろうとしていたが、カナコに押さえつけられるように寝かされた為にだった。
「もうちょっと、やんわりと言えないの?」
カナコは険相なタクトに落胆して、機嫌が悪かった。
「性分だからね」
「いい加減な嘘は嫌よ、タクト」
タクトは寝返りを打って、カナコの言い分から逃れた。
「頼む、僕をしばらくひとりにして」
「みんなは無事よ。直ぐ近くにいるから、タクトが元気な様子になったら会ってくれるよね」
「解った……。」
そう言って、タクトは寝息を吹く。
今いる場所が何処だと、タクトは訊かなかった。
カナコはそれが不満だった。
自然が溢れている場所だと、タクトは気付いていない。
タクトは扱い方が難しい。タクトとの接し方が上手くいかない。
気持ちを表す、伝える。どれもみな、空振りだった。
「カナコ、タクトの様子はどうだった?」
前からロトがやって来たと、カナコは堪らず身を竦めた。
「ロトが付いていれば良かったのよ」
カナコはぶっきらぼうに、ロトに言った。
「タクトと何があったのかは知らないが、俺に当たらないでくれ」
ロトはむっ、と、顔をしかめた。
「そっちこそ、どかどかと人の気持ちに土足で踏み込まないでよっ!」
「可愛くない言い方だな」
ーーなんですってっ!
ーー俺はあんたに『タクトの様子はどうだった』と、聞いただけだっ!
ーー誰があんたよっ!!
「話しにならないっ!」
ロトは怒りを膨らませ、カナコを横切った。
「何処に行くのっ! まだ、話しの途中よっ!!」
カナコはロトの襟首を掴もうとしていた。
しかし、だった。
ーーカナコ、キミはまだ子供だ……。
ぞくっと、凍りつくような振り向き様でのロトの形相に、カナコは手を止めたーー。
トト様、今回もロトくんの出演、ありがとうございます。




