20両目
男に案内された建築物内は、蒼一色の空間だった。
胸の奥が、ざわざわと騒がしい。
ルーク=バースは激しく打つ胸の鼓動が鬱陶しかった。
「きついのか?」
「俺に気にするな」
バースの強がりともいえる、男への返答だった。
「この中で解き放されている色は、例の実験でも輝かせていた。直接浴びたおまえさんにとっては、苦痛な色としか言いようがない」
「おっさん、荒療治か?」
バースはむすっと、顔をしかめた。
男の言い方に悪気はないとわかるが癪に障ると、思ったことを顔に表してしまった。
「此処は思うことが造影される設備。思い描くことがそのまま象になる。これは、強制ではない。おまえさん、その意を示してくれ」
男は設備を動かす為に、壁際に設置されている操作機材の前にいた。
〔パスワードを入力してください〕
男が機材の電源を入れると、ディスプレイに表示された文字だった。
「遠回しに促しているぞ?」
「そうか? ワシは口下手だからな」
「此所まで来て何もしない。は、ないだろう」
バースは男への返答の代わりに右手の拳から親指の先を天井に向けていた。
「承知」
男は頷くと、キーが配列されている端末機を指先で押し始めた。
「随分と旧式なシステムだな?」
「そうだろう。こいつは開発された当時のままの設備だ。今なら改良型が《奴ら》によって造られているだろう」
「と、いうことはあんたは《奴ら》の今を知らない?」
「完全に《奴ら》とは断ち切っている。入り込めないようにと【此所】にセキュリティを施している。特別な客にしか訪れるは出来ないとな」
「あんたがいう『特別な客』は、まさか……。」
バースは唖然となって、男に訊ねた。
「【此所】を気に入って大切にするをした、おまえさんを含めた『あの頃』の一行だ。しかし、こいつのことまでは予測していなかった」
キーを押す左手の動きはそのままで、ズボンのポケットから出した固体物が男の右の掌の上に乗っていた。
「其れか? ああ、何だかべらべらと喋っていたな」
「ワシの“刻ませた時”を《奴ら》は複写して“象”にした。勿論《奴ら》の実験の過程でだ。単体型で味をしめた《奴ら》は大量生産型に目が眩んだ。そして、あの事故が起きた」
男は固体物をズボンのポケットにし舞い込む。
「おっさん、あんたの所為ではない」
「過去は変えられない」
男はキーを押す指先の動きを止めた。
「待てよ。何処の誰かとか、把握出来ていないのだろう」
バースははっと、して、男の肩を掴むのであった。
「慌てるな。何を想像したのだ」
「おっさんがはやまったことをすると思ったからだ」
男は怪訝になってバースの腕を払いのけた。
「ロードが完了した。どれ、本起動させるから、おまえさんはこいつを握りしめろ」
バースは男から掌の大きさでスティック式の機具を渡された。
「どうすればいいのだ」
バースは先端に白色の球体が取り付けてある機具を目の位置に掲げると、さらに表裏と返してみた。
「ワシが本体を操作する。おまえさんは、ワシの合図でそいつに付いているスイッチを押すのだ」
「この豆粒のようなのがスイッチなのか?」
「おまえさんが指先を置いているのは投影させる経口だ。機具の側面にある赤いボタンがそれだ」
「紛らわしい」
バースは口の端を左右に広げて顎を突き出した。
「始める。おまえさんは深呼吸をしながら“象”にしたいのを思い描くのだ」
男は機材の操作盤のキーのひとつに掌を乗せていた。
バースは目蓋を綴じて、息を吸っては吐くを繰り返した。
男は機材のディスプレイの画面を見ていた。
ぼやけて映る人の象を男はじっと、見つめていた。
「よし、スイッチを押すのだ」
男はバースに合図をした。
バースは「ああ」と、握りしめる機具のボタンを親指で押す。
先端の白い球体が蒼と白を交互に点滅させ、蒼に輝くのと同時にだった。
設備の空間に広がる蒼の光沢。バースは眩しいと、たまらず目をそらした。
耳を澄ますと、ちりちりと火花が散るような音。おそるおそると視線を戻すと、目の前に銀の蜃気楼が表れていた。
「はは、すごい設備だ」
バースは男に感嘆を示した。
「随分と起動させていなかった。もう、視ることはないとずっと記憶から遠退かせていた。そうか、これがおまえさんの……。」
男もバースと同じく感嘆を示した。バースが視る先に目蓋を大きく開き、操作した指先を震わせていた。
「そうさ、こいつが本物の俺だ」
銀の蜃気楼はゆらり、と、ひとつのかたちを表していた。
髪と瞳はベージュ色。顔つきは今にもやんちゃをするといわんばかりで、無邪気さが溢れている少年。
それこそが、蜃気楼が晴れて象らせたバースの本来の“芯”だった。
「触れるのか?」
「勿論だ」
バースは男から承諾をして“象”となった“芯”へと歩み寄り、そっと頭を撫でた。
「“器”である俺は、兄貴が生まれる8年前の過去に飛ばされた。そこで俺は“ルーク=バース”という名を貰い、生きた」
造られた“象”を視る今を生きる者の瞳は澄んでいる。それが何を意味しているのかと、男は察した。
名がすべてを表している。
“生まれるを見る”を名付けられ、生きるを誓う。
「“象”を消去する」
男は今を生きる者にかつての“芯”は必要ないと、突いた言葉だった。
「惜しいな。おっさんが言うなら仕方ないが、ちょいと動くところを見たかったな」
風変わりな奴だと、男は堪らず苦笑いをした。
「おっさん。さっき見せた“時の氷結”をどこかにしまうは、考えているのか?」
「何を言いたいのだ」
男はバースの聞き方に、愚問した。
「生かせてやれよ。おっさんが刻まさせた時間を新たに、だ」
「考える時間を与えてほしい……。」
男はバースに背中を向けて、天井を仰ぐ。
鼻の頭が痛く、頬を涙の滴が濡らしているを隠そうとする、男の精一杯の態度だったーー。




