18両目
「馬鹿野郎、大馬鹿野郎っ!」
バースが発動させた“転送の力”で移動した場所でのことだった。
アルマは夫のルーク=バースの胸元に何度も拳を押し当て、叫んでいた。
バースは黙ったまま、アルマの罵声を受け止めていた。
娘が、相棒が。渾沌に捕らわれたカナコとタクトを救うことが出来ず、おめおめと逃げた。
責められるは当然だと、バースはアルマを説得する言葉さえ見つけることが出来なかった。
「お母さん、お父さんを叩くのを止めてよ」
バースはビートの“気力”を感知して“転送の力”を発動させた。転送先に到着したと同時に、アルマはバースを責めたのであった。
「ビート、赦して。母は、母は……。」
アルマはバースを押し退けて、ビートを抱き締めた。
ビートは母親の啜り泣きにどうすることも出来なかった。しかし、目はバースの姿を追っていた。
「ビート、すまなかった」
「お父さん、どうして謝るの? お父さんは僕ら〈プロジェクト〉チームの為にこうして来てくれた。僕は怖くない、何が起きてもへっちゃらだ」
バースの顔がぱっと、明るくなった。
「ビート、おまえを宛にする。やってくれるか?」
「いいよ、どんなことをすればいいのかな?」
ーーお母さんを、守るのだ……。
バースは橙の光を輝かせ、何処かへと目指すかのように“転送の力”で翔び去ったーー。
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ある渓谷に、男がいた。
男は自然を保護する役目を担っていた。
人工の自然。
人の手を施さなければたちまち朽ちると、男は護っていた。
男の頭髪と顎髭は白いが、若人に負けじとがたいがよい。肌は男の生きざまを刻ませたような、皺がくっきりとしていた。
男は不機嫌だった。
人工とはいえ、清らかな川のせせらぎに耳を澄ませるを阻まれた。卵を孵化させて、放流させる寸前で稚魚が死滅してしまった。
ーーお爺さん、長生きし過ぎだよ。
男は怒りを膨らました。
声は少年だが、冷たい形相の“人の象”に厳つい顔を剥けた。
「お主は所詮“造られた象”だ。この自然と同じく、人の手が施されなければ渇れる。そんなお主がわざわざ、この老いぼれの元にやってくる。何が目的なのだ?」
ーーボクが渇れる? お爺さん、ボクを怒らせないで。ボクはお爺さんを助けたくて此処に来たのだよ。
「自惚れるな」
男は静かに口を突いた。
ーー此処でも、ボクは拒まれる。ボクは存在をゆるされない。ボクを生み出して、いらないとボクのことを消そうと躍起になった《奴ら》とお爺さんは同じだよ。
「今一度訊く。お主は何の目的で此処に来たのだ」
ーーもう、いいよ。ボクは消えるを選ぶ。そう、此処で……。
“象”は掌に不規則な瞬きをしている、朧な光を男に向けて翳していた。
奴は無に返るを選んだ。しかも、今いる場所もろとも。奴はひとつの想いを拒まれ、悲観にくれた。
男は静かに思った。
帰る場所がない。失うも同じだろうが、負の思考を膨張させることほど愚かだ。
此処に在しているのは、此処を安らぎの場所と認めた彼奴の為にだった。また訪れるを約束したあの青年の為に、ずっと待ち続けた。
「残念だ、我が想いも帰る場所を失うのか……。」
男は腕を垂らして目蓋を綴じた。
じっと、奴が解き放そうとしている不規則で朧な光を見つめて、目蓋を綴じた。
「はい、おしまいっ!」
ぱんっ、と手を叩く音と、明朗な口調の男の声がした。
ーーふん、お節介な奴が来た。
“象”は冷たく呟き、目を鋭く、細くさせた。
「仲間とはぐれてしまってな、集まるのに一番分かりやすい場所にと、来たのだ。おっさん、あんたが元気でよかった」
男は目蓋を開いた。
目の前にいる、青年の姿と名をはっきりと覚えていた。
ルーク=バース。
境界線の向こう側からやって来た、陽光隊という、軍の隊の責任者。明朗闊達で勇猛果敢の青年と束の間であったが深い交流の思い出があったと、男は心に刻ませていた。
「来てくれて、光栄だ。ご覧の通り、取り込み中ですまないがな」
男は「ふ」と、苦笑いをした。
「間が悪い、そんなことは思うな。偶然だろうがそいつに『お仕置き』をしないといけないと、俺は判断したまでだ」
青年は掌の指の関節をぱきりと、鳴らして“象”を睨み付けた。
ーーボクに罰を与える? 理由が全然わからないけれど。
「《団体》がおまえを創ったは、とっくにバレている。何かを企んで【此所】におまえは来た。俺は容赦なく、おまえをぶっ潰す。おっさんの静かな暮らしを、おまえなんかに邪魔されて堪るかっ!」
ーーははは……。知らなかったのだね? だって、ボクは元々、そこのお爺さんの“昔の時間”から生まれたのだよ。ボクを生んだのは《彼奴ら》だ、そしてさらにボクのボクを切り離した。まるで、玩具だよ。ボクがいらないと、ボクを消そうとした《彼奴ら》はお爺さんを此処にずっと置いてけぼりをしていた。ボクはひとつの考えに辿り着いた。そう、ボクは本当は……。
「ワシに返る。そして《団体》に復讐をする。浅はかで、愚かな思考だ。青年よ、おまえさんはたしかルーク=バースと、言っていたな? 」
「あ、ああ」
冷静な口調の男とは対して、ルーク=バースの顔つきは強張っていた。
「先程までの意気込みはどうした?」
「人を心配する暇があるなら、此処から逃げろ。俺の“力”に巻き込まれるぞ」
ルーク=バースは身震いをしていた。
顔は蒼白、唇も青く。がたがたと、全身を震わせていた。
ーーこの人、どうしちゃったのだろうね? たとえば、ボクの言ったことに何かを思い出しちゃったとか……。
“象”はにやりと、不気味な笑いを湛えていた。
「う、うるさい……。」
バースの呼吸は乱れていた。足元を踏ん張らせることが出来ずに、地面にと膝を着けた。
「ひとまず、おあずけだ。そこのお主、此処から撤退しろ」
男はバースの背中を擦った。そして“象”に促したのであった。
ーーイヤだね、ボクは此処で消えることを決めた。その人も一緒でもいいさ、勿論お爺さんも一緒にだ。
「ならば、お主にはしばらく眠ってもらう」
男は被るマントの裾を捲り、懐に掌を入れる。
男は長さは20㎝ほどはある茶色の棒を取り出した。
ーー時よ、凍てつけ……。
男は棒の先端を“象”に向けていた。そして、口遊むをしたのであった。
“象”は棒の先端から解き放された薄紫の光に包まれた。仕草、顔つきは男へと感情を剥き出すように、腕を伸ばして怒りを顕していた。
光が消え、地面にからり、と、金属音をさせての固体が落ちた。
男はすかさず固体へと近づき、膝を曲げて腰を下ろすと、腕を伸ばして掌で固体を掴む。
ちりちりと、電球のような固体から細い電気の筋が花火のように飛び散る。男は指に軽く火傷を負うが、気にする様子もなく固体をズボンのポケットに押し込んだ。
「立てるか?」
男は蹲っているバースに声を掛けた。
「何をしたのだ? おっさん、あんたは一体ーー」
男が見せた行動に、バースは驚きを隠せなかった。そして、堪らず男の素性を訊ねようとしたのであった。
「ワシがおまえさんに訊きたい。先ずは、落ち着くのだ、身体を休ませるのだ」
男はバースに手招きをした。「こい」と、男はバースを促した。
男とバースは、暗くなりかけている路を歩き続ける。
鳥のしゃがれた囀ずり、鈴の音のような虫の声を歩く森林の路で、バースは耳を澄ませた。
川を跨ぎ、さらに路は続いていた。
そして、着いたのはーー。
「ちゃんと、建っているとはな。丈夫な造りだ」
バースは見える建屋に関心を示した。
「ちっとやそっとでは壊れない。このワシが建てたのだ」
男は建屋の扉の錠を外し、バースを中へと入れた。
「さあ、話してみなされ」
男は部屋の中央に腰を下ろすバースに訊ねたのであったーー。




