17両目
タクト=ハインは違和感を覚えた。
此処は来たことがある場所なのに、まるで初めて訪れたような感覚になった。
何かが違う。
鼓動は激しく、耳鳴りがする。不規則な呼吸と焼けるような喉の乾き。
「タクト?」
列車から下車したカナコが遠巻きでタクトの異変に気付いた。
カナコは【場所】の地を踏みしめる仲間たちの間をすり抜け、タクトの傍に近づいた。
「駄目だよ、ちゃんとみんなと一緒にいないと……。」
「何を言ってるのよ。見たまんま、具合が悪そうにしているじゃないっ!」
立つのがやっとのタクトを、カナコは支えていた。
「……。カナコ、気をつけて。此処は、僕が……。キミのご両親と見た【国】とは何もかも違う場所ーー」
ーータクトッ!!
カナコの支えも虚しく、タクトは地面に吸い付くように倒れてしまった。
「お父さんっ、お母さ……。」
カナコは両親を呼ぶ。しかし、何処を見ても両親の姿がない。
見えるのは、濃く、深い蒼の霧。
カナコは直ぐにタクトの姿を逐った。掌に毛髪、鼻、頬とタクトがいる感触に安堵して、タクトを身体ごと引き寄せた。
カナコは唇をぎゅっと、固く閉じる。
この濃霧では動けない、動けばタクトと逸れてしまう。
ふわり、と、潮の薫りがカナコの鼻腔を擽らせた。
カナコはタクトに触れたまま耳を澄ませた。
ざんざんと、波の音。
歓喜を高らかとさせる、子供の声。
カナコは、はっきりとした。
聞こえるのは、タクトの記憶の音。匂い、感触がタクトを介していると、カナコは心を震わせた。
交ざりたい。タクトの記憶に入りたい、タクトの記憶を直接この目で視たい。
カナコの衝動は止まらなかった。
きっと若い頃の父と母にも会えると、カナコはタクトの記憶と連結させようと“暁の光”を掌で輝かせていた。
ーー暁の風よ、タクト=ハインの記憶へと導いて……。
カナコは口遊む。
“光”はいっそうに瞬きを強くさせ、そしてタクトの額にと翳された。
タクトの額から、蒼く白くの“光”が浮遊する。
カナコは、両手を出した。
“光”を両手で包むを、しようとした。
しかし、だった。
ーーこの、馬鹿っ!!
掌にぴしゃり、と、叩かれる衝撃。さらに身体ごと飛ばされるような風圧。
何が起きたのかと、カナコは戸惑った。
身体に覆い被さる重圧感。何かが乗っていると、カナコは払い除けようと懸命になるが、どうすることもできなかった。
「……。お父さん、重いよ」
「“同調の力”を矢鱈と使うなと、俺が言っていたことを忘れたのかっ!!」
「ごめんなさい」
「二度とゴメンだ。もう、絶対にするなよ」
ふわりと、身体が軽くなる。
優しく、穏やか。
わっと、叱ったあとはころっと、そんな様子になる。
父はいつもそうだったと、カナコはルーク=バースの掌の温もりを、掴まれる腕に刷り込ませていた。
「うん」
カナコは涙を流していた。ぽろぽろと、溢す涙を拭うをせずに何度も頷いた。
「“波”が強すぎる。タクトが耐えられないほどの何かが【此処】で起きている……。」
カナコは聞こえる凜と澄みきる声に、はっと、した。
「ああ、そうだ。例の《集団》の仕業だ」
「入口に仕掛けを施していたとは……。バース、我々の行動が読まれていたとしか思えない」
「それは承知だ。そうでなければ《連中》の目論見に辿り着くは出来ない」
母がいる。そして、父と深刻な話しをしている。
カナコは耳を澄ませるのが精一杯だった。
うっかり訊くでもすれば両親は調子を狂わされるだろうと、カナコは両親の会話を黙って聞いていた。
だが、これだけは言わなければならない。
タクトはご覧の通りのうえに、もっと気にしなければならないことがある。
「また、みんなとはぐれてしまった。今度はお父さん達の仲間も一緒にだよ」
「あ、ああ。そうだな、カナコのいう通りだ」
ばつが悪いと、口ごもってのバースはカナコに受け答えをした。
「カナコ、案ずるな。心を静かにしてみなさい」
落ち着いているさまの母、アルマに、カナコはぱっと、顔を明るくさせた。
「お父さん“力”を使っていいかな?」
「加減をする。を、約束しろ」
渋々と、バースはカナコの申し出に賛同をした。
にっ、と、カナコは満面の笑みを湛える。
カナコは歩幅を一歩横に広げ、両手を頭上にと翳す。
ーーわたしの中の暁よ、大地に被る蒼の霧を吹き消しなさい……。
眩い、暁の光。
果てしなく、遠くと、何処までも照らされていた。
空が見えると、バースは仰ぐ。
カナコが霧を吹き飛ばしたと、アルマは驚きを隠せない面持ちだった。
「おい、アルマ」
「口を綴じろ。カナコががっかりするぞ」
「カナコがど偉く“力”を強めているのは、どういうことだ?」
「わからない。私が訊きたいくらいだ」
バースはくしゃりと、頭髪を握りしめていた。
アルマはバースに肘を押し当て、背筋を伸ばすようにと促した。
「お父さん、お母さん。みんなを見つけようっ!」
カナコはバースとアルマに駆け寄って、腕組みをした。
「待つのだ。彼らが何処にいるのかと、位置を確認をしなければならない」
バースは、はしゃぐカナコを落ち着かせようと懸命になった。
「1名は、いる。だが……。」
アルマはふんっ、と、鼻息を吹いて眉を吊り上げていた。
ーー愚か者め……。
足元が突き上がる、痺れるような感覚。悍ましい声に衝撃を受けたカナコとバース、そしてアルマはある方向に視線を剥けた。
「タクトを解放しろ」
バースは見ていた。目の前にいる、朱色の一枚布を被ったような服に身を纏う半透明な姿をしている『物体』に捕らわれているタクトが朦朧としているところを、バースは唇を噛み締めて見ていた。
ーーこの者は我々にとって貴重な資源。長い年月をかけて造り上げた容器を満たす為の燃料。しかしだ、貴様らに運搬をさせた覚えはない。この地に踏み込むを許可したのにもだ……。
「〈プロジェクト〉はカムフラージュ。狙いはタクトだった。其処のところは、以前と懲りない企て。タクトは【国】に入る為の“鍵”そのもの。大したものだ、そこまでしてタクトに拘るおまえ達のタクトへの執念にだ」
アルマもバースと同じく、ぐったりとしているさまのタクトを見ていた。
ーーだが、さらに収穫を獲られた。貴様らがいうカムフラージュは、我々にとっては此れも資源を集める手立てだった……。
奴が微動した。
すっ、と、伸びる指先。にやりと、不快な目付き。
バースとアルマは瞬時にある方向に振り向くのであった。
ーーカナコッ!!
バースがあと少しで、カナコと触れるところだった。
カナコの身体に黒い霧が覆われ、アルマは深紅の光を解き放す。
霧は晴れたが、カナコはいなかった。
ーーふはは……。資源の“器”に詰まっている“芯”だ。素晴らしい、この娘が“芯”の“器”と知った瞬間、堪らず歓喜をあげた……。
『物体』は、指先をバースとアルマに差していた。
タクトとカナコを担いだままの『物体』が解き放す黒い光が迫り来る最中、バースは泣き叫ぶアルマを抱き上げると“転送の力”を発動させたーー。




