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寺田龍臣

 彼女の話は終わった。

 ずいぶん昔に、僕と彼女との接点があったのだという話は理解した。だからどうだっていう感慨はない。肉饅をくれた婆さんが、『浦島がカメと呼ばれて叩かれていた子を助けたとは運命ね。』と発言し、それを彼女が『僕を運命の人』って勘違いしたのだろう。そういうことだったら、こちらとしては迷惑なので勘弁してほしい。

 浦島太郎の昔話は、助けた亀に連れられて、竜宮城で乙姫に接待を受ける話だ。接待してくれた乙姫が婆さんだったのは非常に残念だ。そのうえカメと入籍してしまったのだから、不満を言っても手遅れすぎる。


 チャイムが鳴った。(かおり)は呼び出しに応じて立ち上がる。

「佐藤さんですね。ごくろうさまです。鍵を開けますから、どうぞ入ってください。」

彼女の応答を聞きながら不思議に思う

「佐藤って、佐藤係長かな?休みを取ったのかな?仕事は大丈夫かな?」

 勝手口のほうから音がして、やってきたのは女性だった。知っている人だ。佐藤係長の奥さんだもの。係長を家に送っていった際、何度か顔を合わせたし、一度は夕飯をいただいたこともある。僕は思わず立ち上がる。

「奥さん、いつもお世話になっています。浦島です。」

僕の挨拶に、佐藤係長の奥さんはヒラヒラと手を振りながら笑う。そして香のほうを向いて言った。

「お嬢様、おはようございます。こちらのお手伝いに伺いました。よろしくお願いします。」

「よろしくお願いします」

香が挨拶を返すと佐藤さんは、ぐるりと周囲を見渡し一言付け加えた。

「ところで、今日最初の仕事はアレですか」

 アレというのはもちろん、壊れたソファーのことだ。まだプルプルしているので、もしかしたら元に戻ろうと頑張っているのかもしれない。心の中で応援は続けるけど、修理の件は佐藤さんに丸投げしよう。助かった。

 壊れたソファーに話が振られ、香は一瞬固まったけれど。

「すみません。お願いします」

と頭を下げた。佐藤さんは僕のほうを向いて

「ウチの主人がお世話になっています。」

と挨拶してから

「私はこの家に雇われているのよ、そんなわけだから畏まらないでね。」

と言って笑った。

 結局ソファーは僕と佐藤さんとで階段下の納戸に押し込んだ。後で工房に連絡してくれるそうだ。

「浦島さんの車が外に止まっていましたが、あれはウチの主人の仕業かしら。ガレージに入れたほうがいいと思うのだけど。」

佐藤さんが思い出したように言う。

「そうでした。私、忘れていました。山本さんにも注意されたのに。浦島さんお願いできますか?」

佐藤さんの言葉を受けて香がそういう。

「浦島さん、こっちよ」

 佐藤さんは、既にこの家の事情に詳しいらしく、先に立って歩きだす。呼ばれて僕はついていく。書斎脇の扉を開けると、ガレージにつながっていた。ガレージには既に国産のデカイ車が一台鎮座している。オフロード車っていうのかな。車高があってごついタイヤを履いている。ガレージは広くて脇にもう一台余裕で車を収納できそうだ。

「空いているところに入れていいと思うわ。」

佐藤さんがそう言いながらキーボックスを示し、使い方を教えてくれた。

「なるほど。ガレージから徒歩で出られる通用口もあるのか。」

そのまま外に出ようとして自分の車のカギを持っていないことに気付き、書斎に取りに戻る。ガレージに履物はあったが自分の靴が履きたくて玄関に行く。車のカギだけ持ってそこから庭にでた。

 いい天気だ。太陽が眩しい。昨日は夕方だったので様子が良くわからなかった。玄関前の庭には花壇が作られていて、季節の花々が咲き誇っている。庭を散策するためだろうか、飛び石が置かれている。庭の向こう側には背の低い生垣が作られていて、更に外側には高い塀が巡らされている。玄関から門まで敷かれたレンガの上を歩く。門扉は鍵が掛けてあって開けることが出来なかった。僕の車は塀の外側だ。

「失敗したな、ガレージのキーボックスに門扉の鍵もあったかもしれないのに。解除してから来ればよかった。」

慣れていないので、行く先々で用事が足りない。もう一度玄関に戻った。

 玄関から家に上がり、靴を持ってガレージに戻る。そこからようやく外に出て車に向かった。門の脇に来客用の駐車スペースがあって、そこに僕の車は止めてあるのだ。

 車に向かっていくと、門扉付近でうろうろしている人影を見つけた。近づいていくと向こうもこちらに気が付いたようで、顔を向けた。見覚えのある顔だった。ただ、この人がここにいるのは意外だった。

「寺田先輩ですよね。こんなところで奇遇です。体調どうですか?」

 相手は、ノイローゼで休職中の一歳上の先輩だ。先輩の残した仕事で、ここ数か月本当に苦労したのだが今は言うまい。先輩は休職に入る前よりも体格が一回り大きくなったようだ。ゆったりしたジャージの上下を着て、両手はポケットに突っ込んでいる。先輩の視線は、迷うように動き、定まることがない。そのうえ僕と目を合わせない。

「浦島か?何でここにいる?今日は仕事だろ?」

 寺田先輩は至極もっともな疑問を口にした。しかし僕の問いには答えてくれないので会話になっていない。違和感が半端ない。

「連休中出ずっぱりだったので、代休とれって言われました。」

「ここで、何している?」

 寺田先輩は、挨拶などすっ飛ばして僕を尋問する。何をしているのか聞きたいのはこちらも同じなのだけど。結婚してここに住むことになったとは言えないな。僕の中でも折り合いがついていないもの。だからこう言った。

「佐藤係長に連れてこられました。休みやるから行けって感じで。係長の奥さんも来ていますよ。」

 嘘は言っていない。

「職場の方は休み取らせておいて理事長の家で使用人をやらせるのか?相変わらずブラックだな。労基に言いつけてやれよ。」

 僕がここで働いていると思ったらしい。ここの家は香の名義で理事長が用意した家だ。まあ、理事長の家ってことで、ほぼ合っていると思う。理事長の家と知って、うろうろしていたのなら用事があるのだろう。

「ところで先輩、何かご用ですか?」

 素直に質問してみた。

「お前、昨夜は来なかっただろ。ヘタレが。約束破んじゃねえ!」

 質問には答えてもらえず、唐突に僕をなじりだした。何を言われたのか分からなくて、一瞬ぽかんとしてしまった。少し考えてようやく思いつく。昨夜の約束というのは、オンラインゲームのイベントのことだ。一年程前に先輩に誘われて始めたゲームだ。誘われるままに、先輩の率いるギルドとかに入っている。ここのところ残業が続いて、碌にログインしていない。課金もしていないから僕は弱い。だからあてにして欲しくないのに、イベントの参加人数が集まらないとかでSNS経由で連絡が来ていた。それにしても参加する約束なんてしていなかったと思う。理事長室に呼び出される直前まで残業が続くと思っていたのだから。

「すみませんでした。昨日はいろいろあって、ゲームすっぽかしちゃって。」

一応謝っておこう。先輩は怒らせると面倒だから。

「始まってから呼び出したのにも気が付いてねーだろ。色々あったってなんだよ。ヘタレ。」

 呼び出したっていうのは夜中に着信があったが、あれか。出なくて良かった。それにしても先輩、僕の呼び名をヘタレに決定させたみたいだ。嫌だな、尋問紛いなことされるだけでもストレスなのに。でもこの人、取り扱いを間違えるとすぐにキレルから困る。適当に合わせよう。

「連休中はずっと仕事をしていまして、昨日は倒れて点滴してもらいました。なんだか眠くなる薬を使ったってドクターに言われまして、それで起きていられなくて。」

事実を編集して話す。

「倒れて仕事休んで、理事長の家の仕事引き受けるの?バッカじゃないの、お前。そんなもの断れ。やっぱヘタレだわ。」

 約束でもなかったゲームの件で文句は言うし、夜中に呼び出しているくせに、理事長の用事は断れとか言いたい放題だな。ひょっとして先輩は僕を挑発しているのだろうか。言葉尻を捉えて攻撃してくる人だ。いじめっ子が罠を仕掛けてくるような、嫌な気配を感じる。面倒だな、さっさとお帰り願いたい。

「今日はずいぶんといい服だな。それにその指輪、なんだ?」

 寺田先輩はまたしても唐突に尋問の矛先を変えた。嘗め回すように僕の全身を観察した揚げ句、僕の左手に気が付いたのだろう。気味悪く目をギラギラさせながらそう訊ねる。

「服は借り物です。着替えがなかったので。それと、ああ、指輪ね。自分で装備しちゃいまして、外せなくなりました。呪いのアイテムですかね?外し方とかわかります?教えてもらえると助かります。」

「装備ってなんだよ。取れなきゃ石鹸塗り付けろよ?だめなら外科で切ってもらえよ。指輪をさ。」

ゲームの話から連想した、指輪を装備するなどという言い回しを使ったのが正解だったのだろうか、一瞬、攻撃の気配が緩み、まともな返事が返ってきた。

「そうでしたね。僕らが勤めているのは病院でしたよね。どうして外科のことに気が付かなかったかな。でもこの指輪を切ったら困るな。返さなきゃいけないと思うから。」

「切ったら修理しろよ、貴金属店に行ってさ。」

「ああなるほど、先輩博識ですね!さすがです。でもお金がかかりそうだな。まいったなぁ。」

「じゃあ、指のほうを切れ。そしたら修理代はかからない。」

 僕が弱ってみせると寺田先輩はすかさず物騒なアドバイスに切り替えた。僕は冗談を言われたように軽く笑って見せる。先輩は、物騒なアドバイスをしたことが気に入ったらしい。少し機嫌が良くなったみたいだ。

 その後も相変わらず値踏みするような目つきで僕を見ていたし、僕の服が安物ではない理由を尋問した。借り物である服の価値を知らなかったと答えておいた。実際知らなかったのだが。先輩の相手をするのは本当に面倒くさいと思いながらも、言葉を交わし続けた。やがて尋問にも飽きたのか先輩は去っていった。結局、先輩自身のことや用事のことは何も話さなかった。

 先輩が見えなくなるまで見送ってから、僕は車をガレージにしまった。

 僕がダイニングに戻ると、香が床に座り込んでいた。佐藤さんが抱きかかえるようにして何かを飲ませている。手伝えることがないかと近づこうとしたところ

「また少し膨れてしまったから胸を寛げたの。あまり見ないでやって。」

と佐藤さんが制した。そして

「タオルケットを取ってきてもらえると助かるわ。」

そう頼んできた。僕は収納棚にタオルケットを探しに行った。ついでにクッションも見つけた。それを佐藤さんに手渡す。香は佐藤さん経由で渡されたクッションを抱きかかえる。少し震えている背中にタオルケットが掛けられた。

「防犯カメラ越しに見えたのよ。門のところの様子がね。龍臣君が来たでしょう。あの人、お嬢さんのストーカーなのよ。」

 佐藤さんからストーカーなどという犯罪臭い単語が出てきたことに驚いた。寺田先輩は付き合いにくい人ではあるけど、同じ職場の先輩が犯罪者紛いの人物とは思いたくない。今は休職中だけど佐藤係長の部下でもあるから、奥さんが軽々しくそんなこと言うのはまずい気がする。でも香は間違いなく怯えていた。佐藤さんの言葉を鵜呑みにするつもりはないが、確かに先ほどの先輩の言動は変だった。

「気づいたと思うけど、あの人、この家を覗こうとしていたのよ。覗けるような作りでないのが救いよね。でもお嬢さんはショックを受けたの。どうやってこの家のこと調べたのかしら。ここを手に入れたのは最近のはず。秘書の山本さんが相当に気を配ったのだから簡単に調べられるはずがないの。関わっているのも数人のはずなのに。」

佐藤さんは何やら思案している。

「お嬢さんがこんな風に膨れてしまうのも、あの人の仕業よ。私はそう思っているわ。呪いをかけているのよ。全く碌なことをしないやつよね。」

 佐藤さんは、自問自答しているかのようにつぶやいているのだが、話が変な方向に傾いていく。

『百歩譲ってストーカーの件を呑んだとしても、呪いをかけるって何ですか?平安時代ですか?寺田先輩って陰陽師の家系ですか?そもそも彼女が膨れるのは体質じゃないの?理事長も本人もそう言っていましたよ。』

 佐藤さんのつぶやきに、僕は頭の中でツッコミを入れてみたけど、佐藤さんはすごくまじめな顔つきで眉を顰めていた。





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