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4話

 竹薮の中ほどまでに到着し、星野を見つけたとき、彼女は足をくじいて泥の上にだらしなく尻をついていた。泥や雑草がこびりついたワンピースは、今朝の見る影もない。雨に濡れた髪の毛が同じく雨によって落とされた化粧の上に乗って、雫を滴らせていた。水気を含んだ洋服が星野の女性的な身体をくっきりと浮き彫りにし、かすかに除く下着の線に、結果として天川を赤面させる羽目になった。その様子を見られて、星野に天川が笑われたのは言うまでもない。彼はそれから視線を逸らすために、自分の着ていたコートを差し出した。

 懐中電灯の一つも持たずに飛び出してきた天川が、視覚的な意味合いで真っ暗なことに気付いたのはそれから数分経った後だった。星はおろか、月光すらも届いていない夜の竹薮は、一歩踏み出すにも注意を払わなければならないほどの暗闇に包まれている。道中、何度か転んだ天川は、星野に馬鹿にされないように、すりむいた足の痛みをやせ我慢している。もっとも、互いの表情すら近くに寄らなければ見えないほどの暗闇なのだが。

 星野を背負った天川は、背中にやらわかな、甘い感触を感じながら竹薮を捜索し始めた。首に回された腕といい、支えているふとももといい、雨に濡れて冷たいはずの肌がどうしてか熱く感じた。それは星野も同じようで、ほのかに頬を染めながら天川の背に身を委ねている。天川は傘を差しているため、自然と星野がきつく抱きしめる形になる。

「なんだか、こういうのって懐かしいよね」

 内心緊張の汗で溺れてしまいそうなほどの天川に対して、母親に背負われた赤子のように落ち着いた様子で星野が言った。

「俺は恥ずかしくて堪らないけどな」

「そういうのも懐かしいんじゃない?」

「昔は恥ずかしくなんかなかった。だ、大体お前だって恥ずかしくねえのかよ。男に背負われてるんだぜ?」

「憧れじゃん。お姫様抱っこの次くらいには」

「それも昔してやったろ。小学二年くらいだけど」

「もう忘れちゃった」

 おどけた様子で言う星野を見て、天川は笑う。今朝の別れ際の彼女の態度が気になって仕方が無かったのだが、いつもの調子の彼女を見て、安心していた。

 二、三時間探したという星野の言うことを頼りに、二人はしばらくの間竹薮を歩き回った。水気を含んだ服を着ている星野と密着している成果、次第に天川の身体も冷えてきた。タオルの一つも持参しなかった自分に軽い自己嫌悪をした。時折、後頭部のほうから星野の心配する声がある。彼女は彼女で、自分の体重を気にしている様子だったが。

 しばらく五里霧中の道を進んでいた。すると、ふと首元にかかる星野の吐息がやけに熱を帯びていることに気付いた。雨音から意識を逸らして聞き耳を立てると、彼女の息遣いが荒いことにも気付いた。

「おい、大丈夫か?」

 一度立ち止まって、首だけ後ろを向いてたずねた。

「な、何が?」

「なんか気だるそうだけど、熱でもあるんじゃないか?」

 全然考えられる事態だ。これだけの間、雨風に当てられていれば体調も悪くする。星野はううん、とうなって自らの額に手を当てた。

「……あはは、ちょっと辛いかな」

 声色はおどけた様子だったが、表情は明らかに引きつっている。天川が現れて安心したせいもあるのか、疲れがここにきて一気に襲い掛かってきたようだ。

「帰るか?」

「ヤダ」

 頑固として提案を受け入れようとしない。やけに確固たる意思を持っていることに、天川は感心し、同時に首をかしげた。

「短冊なんてまた作れば良いじゃんか」

「だめ。あれと同じものなんて二度と作れない気がするもん」

「……気持ちの問題か?」

「わかってんじゃん」

 星野は弱弱しく微笑した。

 願い事は高校受験成功ではないだろうと思う。人生の一つの関門であっても、星野をここまで奮い立たせる要因にはなりえない。

「恋愛成就か何かか?」

 女子の願い事といったらこれだろう、と思って言ってみる。

「どうなんだろう。違うけど、そうかもしれない」

「どっちだよ」

「わたるこそどっちだよ」

「な、何?」

 何故か怒気を含んでそう言い返してきた。話の脈がまったくつかめず、天川は混乱した。

「……なんでもない」

 星野はそっぽを向いて黙ってしまった。その様子がまったく解せず、自分の落ち度がどこにあったのか悩んでみたが、結局見つからず、天川は肩を落とし、再び歩を進め始めた。

 静かになったことでより一層星野を強く感じるせいか、ふと昔のことを思い出す。

 そもそも二人が生まれる前から、天川家と星野家は仲が良かった。加えて家も隣同士だったために、二人の出会いの逸話、なんてものは存在しない。物心ついたときには一緒だった。

 そんな二人がまだ、互いを「くん」や「ちゃん」をつけて呼び合っていた頃、同じ竹薮に遊びに来たことがあった。その頃はまだ星野も可愛らしいこどもで、天川の後ろをちょこちょことついてくるような子だった。逆に天川は好奇心旺盛な男児で、いわゆる冒険のような気分でその時は心躍らせていた。

 そんなデコボコな二人だったせいか、ふとした拍子に星野が大怪我をしてしまったことがある。転んだ際に中くらいの石に膝を打ち、子どもが見ても酷いと思える出血をした。今の星野からは考えられないような大きな泣き声を星野は上げた。水筒はおろか、ハンカチすら持ってこなかった天川はそれに異様に慌てた。

 しかし、急に落ち着きを取り戻したかと思えば、突然星野を抱き上げた。そして全力疾走で下山し始めたのだ。ただの一度も止まらずにだ。

『悩んでいる暇があったら、その時間を誰かのために使うんだ!』

 それは朝に放送していた子ども向けアニメの主人公のセリフ。猪突猛進で、勇猛果敢な主人公は、彼の仲間の信じる心を糧として力を得る特殊能力を持ち、そのあまりの熱血さに、少年期の天川は憧れていた。

 だから家に帰り、星野に「ヒーローみたいだった」と言われた時の嬉しさは、まだ忘れられない。今でも思い出すと、胸の奥に温かな太陽が出来たような気分になれる。

 そんなことを思い出して、少しにやけていた時、星野が突然うっ、と声を漏らした。

「お、おい」

「ごめん、気持ち悪い……」

 一度背から降ろし、膝を付かせる。口元を押さえる星野の顔色は最悪だった。やはり無理を言っても帰らせるべきだったんじゃないかと激しく後悔した。背負われていても、気温の低い夜の空気は確実に星野の体力を奪っていた。

 ゆっくりと背中をさすってやると、次第に星野が落ち着きを取り戻してきた。

「やっぱり帰ろうぜ。まずいってこれ以上は」

「……じゃあどうするの」

「どうするって、短冊か? 仕方ないだろ、新しく作ろうぜ」

 すると、星野は苛立って天川の腕を払い除けて言った。

「あたしの、あたしの一番強い願いが詰まってるの! 信じれば護利益があるんでしょう!? だったら、だったら……」

 真っ青な顔で言う星野には異様なまでの力強さを天川は感じた。その感極まる怒鳴りにたじろいだ。何がここまで彼女を動かすのか理解が出来ない。占いを信じる天川でさえ、この願いに対する想いの強さに心を打たれた。

「なあ姫子」

 天川の中身は急速に冷え、そしてそれでいて内側はふつふつと煮えたぎっていた。

「雨、降ってるけどさ、織姫と彦星は会えるんだよ」

「……まだ、晴れるかもしれない」

「そういうことじゃない。あのカップルさんはさ、宇宙っていうでっかい世界で生きてんだ。俺たちのちっさな地球が雲に包まれた程度じゃ、邪魔にもならないんだよ。星が見えないだけで、織姫と彦星は再会を果たしてる」

 空を見上げる。天川たちからはその様子が見えない。けれども彼はそう信じて止まなかった。

「世界で一番宇宙に近い場所を、俺は知ってる」

 ポケットの中に手を入れた。雨で湿っているかもしれないそれを握り締め、天川は傘を星野に差し出した。

「ここで待ってろ。姫子の届けたい願いを、俺が探して来てやる。だから信じろ、俺が必ずそれを見つけ出せるって」

 呆けた様子で星野はそれを聞いていたが、すぐに表情をほころばせて言った。

「アニメの影響受けすぎ。でも、信じてあげる」

 幼馴染に信じられたヒーローは、その言葉を胸に駆け出した。


 彼を信じる星野はさながら"純白"を名乗るベガのようで、彼女に信じられた天川は力強く飛翔する"鷲"を名乗るアルタイルのようだった。

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