2.get back the taste.―18
「調べてみてくれるか? その、カメレオンとやらについて」
龍二が言うと、春風は頷く。「わかった。調べてみる」と言って、そのままリビングの床を開き、アトリエへと降りていった。アトリエの一角に特殊回線を用いたそういう類の情報を調べるためのスペースがあるのだ。龍二は使っていなかったが、春風が仲間となった今は春風のスペースとして使ってもらっていたのだった。
リビングの床が完全に締まりきった所で、龍二は嘆息した。
ついこの間までは殺しの世界から完全に身を引いていた(つもり)のだ。こうやって立て続けに気を使うこの様な――殺しの――話が舞い込んでくると久々のその感覚に気疲れしてしまうのだろう。が、立ち止まるわけにもいかない。
だから龍二は、
「なんだよ」
気を抜くなんて手抜きはしない。
「龍二様」
その声が聞こえてきたのは玄関の方からだった。龍二は再度嘆息し、重い腰を上げてリビングを出た。廊下に出て、玄関へと向かい、玄関扉を解放する。と、すぐ目の前に見覚えのある老人の顔があった。
エッツァだ。
「何の様だ?」
訝しげに眉をひそめた龍二は疎ましそうに問うた。敵意がない事は感じ取っているが、警戒を解くわけにはいかない。
「忠告しに来ました」
龍二の態度等気にしない、と言わんばかりにエッツァは吐く。喋る度に整えられた白髭が微かに揺れている。
龍二は少し考え、答えた。
「……カメレオンとやらか」
龍二の読みは見事当たっていたようで、エッツァは「そうです」と深く二度頷いた。そして説明する様に続ける。
「知ってはいると思いますが、カメレオンはここ最近で急に頭を出してきた野良の殺し屋です。実力の露顕から仕事の依頼が殺到しているようです。それに、カメレオンと呼ばれる所以でもある変装、がまた売れているようで、特殊な仕事で大金を巻き上げているようで、協会も手を焼いていると聞いています。そのカメレオンが龍二様を狩ると言い出したのは恐らくは、ここ最近での仕事の好調ぶりから来るモノでしょうが、実力を持っているのは確か、十二分に気をつけてください」
そこまで一方的に語ったエッツァは、こちらを、と言ってポケットから二枚のメモを取り出して龍二に渡した。小さなメモだ。手の平に収まるサイズの何処にでもありそうなモノだった。
龍二は無言のままそれを受け取り、内容を確認する。カメレオンの情報だった。
書いてある事を要訳すればこうだ。『性別は不明、身の丈は一六○強。銃器の扱い、ナイフの扱いに関しては未知数。だが、奇襲や罠を得意とし、場合によっては毒を用いる事もある。仕事は基本的に選ばないが、変装を生かした仕事を優先するらしい』
それらを黙読した龍二はまず、と問う。
「情報の出処や信憑性についてグダグダと言うつもりはない。信頼はしてないし、信用もしてないのはアンタもわかってるだろうし。敵意がない事も俺はわかってるから、敢えて何も言わない。だが、気になるんだが、性別不明ってのはどういう事だ?」
龍二は本当に不思議そうに目を細めた。
性別不明。カメレオンは短期間で名前を売ったとはいえ、今十分に名前が知られていて、仕事も大量に受けている人物だ。性別くらいは割れていてもおかしくないだろう、と龍二は思った。
だが、エッツァは首を横に振って残念そうに答える。
「それが、仕事を依頼したと割れている人間やその仲介人等出来る限り当たってみたのですが……皆さんいってる事がバラバラなのです。ある者は声の低い若い男の様だったと言えば、またある者は年老いた女性だと言ったりと、様々なのです。それ故、カメレオンと呼ばれるのだと思いますが……」
「なるほど、カメレオン、ねぇ……」
龍二は納得行かないと言わんばかりの低いトーンでそう呟いた。そこまでの変装がこの現実世界で可能なモノなのか、と龍二は考えた。
殺しの仕事として当然変装が必要な場合が出てくる。龍二はこの若さ故そのレパートリーが縛られ、本人も変装よりも影に身を隠して隠密行動で進むのを好むため、あまりしない。そのため、変装等の技術に関しては疎いが、それでも一般人以上の知識はある。その知識を振り絞っても、わからなかった。
今の話から推測できるのは、声の変更が出来る、容姿の変更もかなり精密に、かなりの数のレパートリーをこなす、という事。
カメレオン、なるほどな、と再度思う龍二だった。
「私も気を払ってはおりますが、なにゆえ相手は変装の名人、気をつけていてください……龍二様」
エッツァはそう言って一礼した。
「なんか悪いな」
こうやって確かなモノかは別として、情報を無償で譲り受けた立場の龍二は少しだけエッツァにもうしわけなさを感じていた。そんな感情を抱きながら、ため息を吐き出す様な低いトーンでそういった龍二は、春風に情報を渡さないとな、と思いながらメモに再び視線を落とす。
「気をつけていてくださいと言ったでしょ?」
が、その些細な行動すら、この世界ではミスとなった。
すぐ目の前から聞こえてきたのは、恐ろしく冷たい『女の声』だった。刹那、殺気も発せられた。敵意もだ。今までそんなモノは全く感じ取る事が出来なかったというのに、まるで、最初からそこに合ったかの様に、突如として、それは龍二をおおった。
戦慄する暇すらなかった。
ズブリ、と水月に落ちる鋭利な感覚。それが刺されたのだと気づくまでに龍二は時間を要さなかった。過去にこなしてきた訓練の成果だろう。だが、刺されてしまった事自体が負の意味を持つ。
刹那、恐ろしい痛みが龍二の体を走った。ナイフの刃が身を半分以上埋めた水月から、両手両足の指先まで駆け抜ける様な激痛だった。
視線を落とさずとも、ナイフの刃に龍二の鮮血が伝うのが感触でわかった。今、出血しているのだ、と気づく必要すらない。窮地だった。
「なっ……、くっ……」
出血が酷くなるのは理解出来た。何せ一○センチ以上はあると推測出来る刃がその身を深く埋めているのだ。恐ろしい程の刺し傷。だが、距離を取らないわけにはいかなかった。
数秒も経っていない。龍二はとっさに目の前で悪魔の様に表情を暗くしたエッツァ(であった何者か)の腹めがけてだらしない蹴りを放つ。龍二がそこまで踏ん張れた事に驚いたか、そんな蹴りでもエッツァを後退させるには十分だったようで、龍二が後退したのと同時に、ナイフは龍二の腹部から引き抜かれた。
刃が身から抜ける瞬間は気を失いそうにまでなった。だが、龍二はここで諦めるわけにはいかなかった。相手の確認をしている場合ではない。とっさに腰の後ろ、ズボンに挟んでいた銃を取り出そうとするが、エッツァの方が早かった。彼の手には既に小型の拳銃が収められていて、その銃口を龍二へと向けようと持ち上げていた瞬間だった。
痛みからうめき声がどうしても漏れてしまう。が、龍二はなんとか自身を奮い立たせ、跳ぶ様に後退してリビングの中へと飛び込んでエッツァの拳銃から放たれた銃弾を間一髪の所で交わした。
「がっ、あ、ぐっあ、」
リビングの床に飛び込んで体をフローリングに打ち付けた龍二は体を駆け巡る痛みにもがく。が、すぐに動かなければならない。
エッツァの手にしていた銃はそれなりのインチ数を誇る銃弾を詰めているようだ。リビングから僅かに見えた廊下に打ち込まれた銃弾の跡を見ればそれは明瞭だった。一撃でもくらってしまえば、動きは封じられてしまうな、と龍二は緊張と戦慄の息を呑んだ。




