2.get back the taste.―17
「……なぁんか納得いかねぇ話だよな」
龍二はそう言って、なぁ、と春風にも男にも語り掛けた。男は目を伏せて、全くだと自虐めいたつぶやきを漏らした。
「そうだね。依頼を受ける事自体がまずおかしな話だけど、そんな依頼は存在する事すらおかしいね。殺しの世界に関わるのが初めての依頼主でもまずしないでしょ」
春風の的確な言葉に、そうだな、と龍二は頷いた。目の前の男を縛るロープがギシギシと擦れる音をたてた。
数秒の間を埋めるのは龍二が何かを考える沈黙。春風は最初から龍二に全てを任せるようで、龍二の言葉を待っていた。自由を奪われた男もまた同様である。そんな数秒があっという間に過ぎ去って、龍二はため息と共に吐き出した。
「夏休みを目前に控えたこの状況で、何か仕掛けられても面倒だしな……。ちょいとばかし足を踏み入れてみようか」
龍二の言葉に春風は即座に分かったと頷いた。実働役でありながら龍二の補佐を勤めている彼女はライカンについて調べる、という事だ。
ついで龍二は立ち上がり、目の前の男に近づいて、何処からともなくナイフを取り出し、男の体を椅子に縛り付けていたロープを断ち切り、彼の体に自由を与えた。その龍二の突然の行動に男は驚いた様子で、しばらくは目を開いて龍二を見上げ、せっかく得た自由を有効に使わず、ただ彼を見上げていた。
「俺をどうするつもりだ?」
一応の様に男は問う。この場――龍二の家――に連れ込まれた時点でおかしいな、とは感じていたようだが、彼はここでやっと確信する。龍二《この男》は、人質を殺す気がないのだ、と。殺し屋の一般であれば、敵対した人間は捕まえる前に殺す。鉄則だ。だが、龍二は、男を殺すどころか捕まえて自宅に連れ込み茶まで出したのだ。こんな異常な事があるだろうか、と解放されたばかりの男はどうしてもそこに不安を感じてしまうのだった。
「どうもしねぇよ。ただ、聞きたい」
龍二はそう言って、一度ため息を吐き出して続けた。
「俺たちに協力する気はないか? 当然、ライカンは関係なしだ。個人で、な」
龍二はそう言って一度春風を一瞥した後、男に視線を戻す。
「こいつ《春風》も最初は敵だったんだぜ? それもウルフの殺し屋だ。今じゃこうやって俺に協力してくれてる。賢いからな。ま、これからもずっと俺の配下につけってんじゃなくて、今回だけの協力を提案する。お前も賢いなら分かるだろ?」
脅し文句だった。無駄に言葉を並べはしたが、要訳すれば『命が惜しければ言うことを聞け』という事だった。
男は一瞬固まって動きを見せなくなった。また、驚愕したのだろう。男も殺し屋だ。当然今の『要訳』を察する。だが、そんな条件を出して生還させるという選択肢が出された事に驚いたのだ。素直にさっさと殺せばいいものを、生かしてやろうという考えに、驚いたのだ。一般の殺し屋が相手だったら、男は既にコメカミか眉間に風穴を空けられ、死んでいただろう。
そして同時に、こんな殺し屋もいるのか、と感心もした。考えを一新した、新たなタイプの殺し屋だな、と男は思う。殺し屋だけでなく、業界は業界内の古い決まりごとを当然と扱う節がある。それをぶち壊し、進化させる存在が、龍二だな、と男は確信した。
そして男は頷く。
「何をすれば良い?」
程よい沈黙を打ち破った男の返事に龍二は満足そうに頷いた。
「そのままライカンに帰って普通に仕事をこなしてくれれば十分」
龍二はそう言った。
依頼主は恐らくだが、男が龍二に負けると予想していた。その先の事は全くと言って良い程に分からないが、殺し屋の根城で相手の殺し屋に『負けた』男が生還した事実は、相手へのアクションとして最適だ。それに、男が生きている事が確認されれば、仲介人からの連絡がある可能性も十分にある。
つまりはこうだ。お前は泳いでいろよ。餌に引っかかる本命を狙うからな。
19
夏休み目前に、餌が食われた。
男が死んだと知ったのは春風の調査の結果。ライカンを探っていた春風の手元にはライカンに関するデータがまとめられたテキストデータがプリントアウトされたモノがある。その最後の一枚の下部に赤ペンで男の死が記載されていた。要点をまとめる様に一部の文には下線が敷いて有り、そこから最後の男が死亡した、という赤い文字に繋げられた線があった。
学校が終わり、帰宅した龍二は春風からそれと飲み物を受け取ると、紙に目を通しながら飲み物を飲み干した。暑い夏に冷たい飲み物は室内と言えどやはりうまいな、と龍二は満足げにグラスを春風に返した、受け取った春風はキッチンにそれを置きに戻り、再度龍二の下へと戻ってくる。
「でね、ライカンとは関係ないんだけど、ちょっと気になるモノがあって……」
春風は横からそう言って、また新たなプリントアウトしたデータを龍二に渡した。それに目を通す龍二。三枚のその紙切れをあっという間に読み終えた龍二はただただ首を傾げた。
「カメレオン?」
「そう、カメレオン」
首を傾げて不思議そうに呟いた龍二にそう返した春風は続ける。
「なんか最近になって急に名前が出てきた殺し屋みたいね。本当に最近出てきたから詳細は不明。噂も訊いた事なかったわ。わかってるのはそれに書いてある通りで、変装の達人で、『龍二を狙っている』って事」
春風の説明めいた言葉に龍二はうんざりした様に吐く。「面倒なのが出てきたな……」
もうすぐ夏祭りだ。それを考慮し、それまでに面倒ごとは排除しておきたいな、と龍二は暢気にもそう思う。そして、その考えは『攻めるか』という決意に変わる。




