1.open it.―15
きたな、と龍二は秘かに笑み、春風は背筋を奮わせた。振り返ると、朝見た、あの男の影。間近で見た感想は遠目から見てもまた、変わる。随分と背丈の大きな男だった。ガタイは良いが、そこまで細くもなく、太くもない。目付きの悪さと黒の強いスーツが印象的だが、龍二は恐れ等しない。
「何か?」
率先して龍二が問う。わざとらしい口調に春風は龍二を一瞥し、思わず眉を顰めるが、すぐに視線をキバへと戻す。龍二という存在をどの立場に置けばよいかと悩んでいる様で、彼女からは中々言葉が出てこない。
キバは春風を一瞥する。そこに意味を感じさせない辺りがプロの仕業だといえるだろう。
まだ、キバは気付いていない。龍二はただ、春風の可愛さに引かれて言い寄ってきた男程度の存在に思われているだろう。付け加えて、少し生意気な、だ。
キバはニコニコ笑いながら龍二に言う。
「お兄さんな、この子の親戚なんだよね。少し話したいから、外してもらえるかな?」
思わず笑ってしまいそうになった。龍二は心中で「馬鹿か、この男は」と嘲笑していた。
余りに不自然な口実だった。これは完全に龍二の存在に気付けていない、と確信した瞬間だった。
「そうなのか?」
余りに自然に、龍二は春風にわざとらしい視線をやる。その先には困った様に口角を吊り上げて固まる春風。私に振るな、とでも言いたげな表情だが、ここですぐに反応しなければ何か怪しまれると思ったか、春風は挙動不審になりながらもなんとか言葉を搾り出す。
「え、あ……、あ。うん。そう」
肯定した。春風はキバに時折視線をやるが固定はしない。春風は完全に格下だった。本人の口から「私は下っ端」と聞いていた龍二だが、ここで改めて実感し、思いなおす。
(さて、どうるか。本当に頷きやがったし。かと言って、むざむざ引き渡すのも、ねぇ)
ここで一旦春風をキバに引き渡しても、後をつけて、いざという時に出れば龍二の腕なら十分だ。だが、これでは「つまらない」と龍二は思う。だから、食い下がる。
「へーマジか」
そう言った龍二の視線は春風からキバへと上がる。キバの笑みにぶつかる龍二のあざけるような、ふざけた笑顔。キバは内心、このガキ、と彼を罵り続けているだろう。だが、龍二はソレに気付いているし、敢えて気付かないフリをする。そして、まだ気付けないのか、と龍二は心中でキバを笑ってやる。
三人とも演技と嘘で表情を塗り固めた場だ。場所が場所だけにちらほらと見知った顔の連中が近くを通るが、誰も彼等に話しかけようとはしなかった。
「で、話しって何さ? 今俺ぁ桃とデート中なんだっての。邪魔すんなよ。親戚だかなんだか知らねぇけどさ」
龍二の口から出たのは挑発だった。ただの遊びじゃない。お前ら協会所属の人間が総出で狙ってもいいターゲットが目の前にいるんだぞ。早く気づけ、殺してやる。という殺し屋としての挑発。
「……そうか。デート中とは。邪魔したね。急ぎの用でもないし、また時間を改めるとするよ」
取り乱さず、そう言うキバだが、一瞬、本当に一瞬、眦が動いた事に龍二は当然の如く気付いている。
(怒ってる怒ってる。まぁ、それでもまだ、俺の事には気付けないみたいだがな)
たった一回言葉を交わした。たったそれだけの数秒の間だというのに、この時間の間、春風の心臓は鼓動で破裂してしまうかという程に動悸を引き起こしていた。途中、何度龍二を止めようかと思った程だ。
「じゃ、ごめんね」
そう言って笑い、春風の親戚のお兄さんを演じたまま、キバは背中を向けてスタスタと歩いてこの場をあっという間に去っていってしまった。
彼の影が見えなくなってやっと、春風は胸を撫で下ろす。そして、
「ちょっと! 何ふざけた事してくれてんの!? 本気で怖かったんだけど!?」
まるで普通の女子高生だ。大音声を上げて、龍二に叫ぶ。
「ハハ、まぁそう怒るなって」
気さくに宥めようとする龍二だが、
「それにデートって何!? そんな事してる実感はないけど!」
「そりゃあ挑発ってもんよ!」
「なんでそんなに胸張って言えるのか理解できない」
ぎゃあぎゃあ、と騒ぐ二人。道行く人々の注目を集めるが、命の危機まで確かに感じ取っていた春風はもうふっきれたようで、暫く殺し屋としての存在を薄めていた。これでは、本当にただの女子高生ではないか。
7
敢えて、龍二達は神代家へと帰らなかった。理由は簡単。神代家の表札で何かを悟られるわけにはいかないし、尾行されていたからだ。いつから、というタイミングは掴めなかったが、気付けば尾行されていた。
一度、ウルフの連中、若しくはキバに調査されているであろう春風の家だ。
殺し屋団体として儲かっていないのか、と思える極普通のマンションだった。ウルフの予算はそんなにないらしい。
五階建ての横に広いマンションだが、外装は目立つし場所も余り良くない。
春風の家は三階の奥にある三○五号室だった。極普通に進入する。入ればフローリングの廊下とその両脇に部屋が二つ。少し進んだ所に洗面所とお手洗いがあり、その奥に和室とリビング、キッチンとある一家族が住めそうな場所だった。
たった一人殺すためにこんな場所を借りても、こんなところに女子高生一人が住んでいる、という状態は恐ろしく目立ち、噂が立つ。場所は良くなかった。
二人はリビングまで進んで、やっと腰を落ち着かせる。
龍二はリビングの一人には大きすぎるソファーに深々と座りながら部屋を見渡す。表向きには極普通の部屋だったが、龍二はその極普通の中に隠された様々な武器の存在を感じ取っていた。
「まだ、いるな。玄関先だ」
「そうだね」
二人は気配やちょっとした違和感を頼りに、追跡者キバの存在を認識する。まだ、キバは龍二を『元』殺し屋だなんて思っていない。春風に付き添う一般人だと思われているだろう。だから、キバは油断しているのだ。
龍二は無害。ただ邪魔なだけ。そういう認識だから、推測が間違った方向に進んでしまう。
春風には存在を気付かれている、と分かっているキバ。だが、龍二を一般人だと思っている以上、春風が気付いた存在の事を龍二に言う事もなければ、仕掛けてくる事もない、そう考えているのだ。
だが、現実は違う。
龍二一人でも、キバの存在には気付いている。それも、春風より数倍正確に位置を把握した状態で、だ。
(玄関先から動かないな。……何を仕掛けてくる気だ?)
対処は出来る。この春風の家の中では殺しも容易だろう。何せ目撃者がいない。一般人がいない。殺しは気付かれてはならない。認知されてはならない。故に、ここで決着をつけても良いのだ。
だが、懸案がある。
ここでキバを殺せば、ウルフもまた、こちら側(春風側)を警戒し、怪しみ、疑い、キバ一人送ってきたこの状況より更にランクが上がった警戒で仕掛けてくるだろう。そうなれば、
(そうなれば、暫く家に帰れなくなるしな……面倒だわ。本当)
龍二は推測する。恐らくキバは龍二の帰りを待って、春風が一人になったところを狙うだろう、と。そうなれば答えは簡単だった。
「よし、今日泊まるわ。明日休みだし」
「は!?」




