1.open it.―12
その突然の異質な行動に春風はギョッと目を見開く。何か仕掛けてくるのか、と警戒し、殺し屋の鉄則として視線を話さないまま辺りの状態を確認する。が、気になる点は見つかりそうにない。三人で住んでいたとしても大きく思えるが、極普通なリビング。インテリアにも目を留めるべき場所は見当たらない。そもそも、インテリア類はそんなに多くない。その様に流れて、あっという間に辿り着くは、龍二の持ち上げられた右足の真下。だが、やはりそこはリビングの床。フローリングの木目が綺麗な、高そうな床だった。
春風はただ警戒し、驚く事しか出来なかった。
そして、数秒もしない内に、龍二の足は軽く、元に戻すようにフローリングの床に落とされる。
すると、驚く事に、この部屋全体から響いているのではないかと疑う程の古く巨大な歯車が軋む様な、初めて聞くとやたら耳障りな音が聞こえて来た。
「大丈夫だ、音は外に漏れない」
そう言う龍二だが、春風は何がどう大丈夫なのか釈明を求めたかった。だが、そんな話しをしようとしている間にも、動く。
龍二の足元が、足元の床が、正確に言えば、龍二が足を下ろしたその前の一メートル四方が、――開いた。ポッカリと、大口を開けた。
驚愕だった。この光景まで見て、春風はついに言葉さえ出せなくなっていた。龍二が足を下ろしたそのすぐ前から、大体一先メートル前まで、床が突如として沈み、スライドして他の床の下に滑り込み、その下に続く『階段』を出現させたのだ。
「まるでからくり屋敷ね……」
その謎の入り口が完全に開ききってやっと、春風は呆れたようなその言葉を吐き出す事が出来た。事実、その言葉には嘆息も混じっていただろう。
「まぁ日本の殺し屋は忍者がルーツだなんて謳う連中もいるしな。これくらい不思議じゃないだろー」
龍二にはやはり見慣れた光景で、これが日常、と言わんばかりに何気なしにそういい、春風を手招く。
「まぁ、とりあえず下りるぞ。紅茶なら入れなおしてやる」
あの階段を下りる。長さはそれ程はない。だが、降りてすぐにリビングへと通じる床が自動で閉まったため、灯りは完全になくなり、視界が真っ黒に染まる。だが、その暗闇に驚く間もなく足元の左右に在った小さなライトが光を点し始め、頼りなくはあるが視界は悪くない状態で落ち着く。
十数秒程階段を降りると、一枚の重厚な扉が見えてきた。そこだけはしっかりと灯りが点いており、扉の存在は異様に浮きだったモノとなっていた。
「…………、」
階段を下りている間、春風も龍二も無言だったが、姿勢はまた違う。春風は数歩分先を進む龍二とこの狭い空間を警戒していて、正直、怯えているように見える。だが、龍二はいたって気楽な、極日常といった表情で、春風を警戒すらしないでいた。
その扉の前に立つ二人。ここでやっと、春風は龍二の隣に並ぶ。
龍二は春風に目もくれず、ただ静かにその銀色に鈍く輝く扉に手を伸ばした。龍二の掌が静かにその扉に触れると、扉は二人を押し退けるかの如く、ゆっくりと、だが、力のある動きで外に開いた。もし、部外者が侵入してきた時、というのを想定しての外開きなのだろうか。
向かってくる扉を一歩身を引いて避けた二人は、やっと、その中へと足を踏み入れる。
雰囲気はがらりと変わった。
重厚な雰囲気の扉の先は、洋館を連想させるような、薄暗い中で濃い赤と黒が目立つ大きな部屋だった。
「すごい……」
春風でも、その想像を絶する光景には思わず感銘の溜息を漏らした。整った顔が相まって妙に艶めかしかったが、龍二には聞こえていないのか、彼は何の反応も示さずただ部屋の中央に進んでいた。
部屋の広さは一瞥して感じ取れる程だった。素人目での判別はむずかしそうだが、春風は三○畳か四○畳くらいかな、と予想する。
奥の方には、一応セーフルームの役割を果たすのだろうか、と予想させるようにキングサイズの巨大なベッドやお手洗いに繋がるであろう小さな扉、それにキッチンを確認出来る。そして部屋の中程にはビリヤード台の様な作業台が三台程並んでいて、そのすぐ側の壁に様々な武器が並べられているが、数は多くない。どこかにまだ隠しているのだろう、と殺し屋である春風は予想する。部屋入ってすぐの場所にはタンスらしきモノが並べられているが、その中身は不明である。タンス自体も部屋の雰囲気にマッチするように色や製造年代を合わせられているようだ。
とにかく、薄暗く、不気味であったのは間違いない。
「ここが仕事場だ。いや、事務所とでもいうかな?」
と、龍二が春風に部屋を紹介した。
が、春風は動かず、ただ一度部屋を見回して――、
「で、何なの? 私に何をして欲しいの?」
眉を顰めて、ついでに首まで傾げて不満をアピールする。こんな大発表はいいから、早く用件を言え、と言っているようだ。当人もそう言いたいだろうが、神代の力を前にストレートには言い出せないようだった。だが、急かしたいという気持ちは現れている。一種の女心か。ついつい強がってしまっているように思えた。
「まぁまぁ、そう急かすなよ」
春風の気持ちを知ってか知らずか、相変わらず気さくにそう言う龍二は、近くの作業台の上に手を置くと、春風に悟られない程度の遠い目をして、静かに言う。
「実は、調べたい事があってな。最悪、他の殺し屋とぶつかるかも知れない。そう思っててよ。それに、その調べたい事ってのがどれだけ早く調べられるかわからねぇんだ。また言うが、最悪、協会の連中に質問をしなきゃいけない可能性もあって……つまりだな、」
何か隠したい事でもあるのか、龍二の言葉はどうしても遠回りになる。
「その、調べたい事ってのを教えてよ」
状況が状況だが、ここまで来てついに緊張が解けたか、春風は急かす。もはや言葉に振るえや怯えはない。もう、どうとでもなれと言った様子である。
急かされている、と分かっているのか、龍二はちらちと春風を一瞥して、溜息。その大変気だるそうに吐き出された溜息は静かに部屋の僅かに思い空気に溶け、静謐と化した。
そんな静まり返った部屋に、龍二の声がやっと響く。
「……この部屋は『アトリエ』って呼んでる。まぁ、名前なんて聞かないでも見ての通り、いざという時のセーフルーム兼、作業場だ。主に後援役の、な」
「それくらいは予想できたかな。……ここで話すって事はここに関係のある話しなの?」
春風の問いに龍二は頷き、作業台の側から離れ、壁に並べて掛けられていた鉈の様に大きなナイフに手を伸ばした。ここまで来て、突然殺される理由はない、と察したか、それとも、どうとでもなれという気持ちが主張しすぎているか、春風は龍二が武器を手にした所で最早反応は見せなかった。
龍二は手に取った武器を確認するように一度見ると、ほれ、とその刃が剥き出しの武器を少し離れた距離にいる春風に放り投げた。が、春風も一応ながらプロの殺し屋だ。刃を上手く避けて柄を見事に掴み取り、その獲物を確認する。
舐める様にマジマジと見入る必要すらなかった。
「これって……、」
「あぁ」
理解したようだ。
春風が武器を見る目には驚愕と呆れが混じっている。
「凄く、ボロいね」
春風の小さく、だが妙に色っぽい口から吐き出されたのはその言葉。龍二はすぐに頷いて返した。
「そうだ。……毎日メンテしてて、それに、滅多に使わない武器だってのに、その状態だ」
龍二の声色が僅かに暗くなったのを感じ取った春風は首を傾げながら、問う。
「何で?」
これが、本題なのか、と感じ取ったのだろう。春風はここぞとばかりに言葉を急かし、待っている。が、期待をしているようではなかった。
「良く見てみろ。見た事ない素材だろ?」
真実を告げる雰囲気はなかった。余りに短絡的な、だが驚愕すべき事実を龍二は吐き出したのだ。
「はい?」
眉を顰め、そんな馬鹿な、とでも言わんばかりに大袈裟に首をかしげて見せる春風。当然だった。今の時代、新しい素材が見つかる方が難しい。それに、神代家のこの地下の出来具合や、龍二の持つ金の事を知っていれば、容易く調べをつける事が出来るのも分かる。だから、冗談か、と吐き出してしまいたくなったのだ。
だが、
「……本当だ。感触と見た目、切れ味、バランスがおかしいよね」
春風も気付く。そうだ、と頷く龍二を見るが、そこに冗談めいた表情や雰囲気を感じ取る事は出来なかった。




