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AI統治の近未来で刀一本で始末屋をしていたら、ある依頼が私の人生を変えてしまった~死者の記憶を映す残影刀~

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/06/01

 その日も、霧が出ていた。


 二〇九五年の夜は、いつもこんな感じだ。

 御柱が管理する大気循環システムのせいで、川沿いの低地には毎晩白い霧が溜まる。

 発展した都市の底に、霧だけが昔と変わらないまま取り残されている。



 刈夜は古い高架橋の下に立っていた。


 黒の着流しに、腰に一本の刀。

 刈夜には家も家族もなかった。それだけで、今まで生きてきた。


「ねえ聞いてる、聞いてるよね?聞いてるとして話進めるからね」


 通信機から声がした。

 朱鷺の声だ。


「今回の標的はね…名前は碓氷 錬。歳は四十二歳!元・御柱技術開発部門のエンジニアで、結構優秀だったらしいよ。まあ私はそういう評価できる立場じゃないんだけどさ~」


 刈夜は黙っていた。

 喋らない刈夜にお構いなく、朱鷺は話し続ける。


「んで、本題ね。この人は柱の機密データを持ち出したとして、処断対象に登録されてる。依頼主は旧四院の残党ね。依頼内容…は御柱より先に、データごと消してほしい、ってこと」


 川面に霧が流れている。白く、ゆっくりと。


「で、受けるの受けないの?…まあどうせ受けるんでしょ」


 刈夜は答えなかった。しかし通信機を切らなかった。


「はい答えないってことは受諾ね~ありがとうございます、私の一番無口なお得意様~。じゃあ場所とかの詳細送信するからよろしくね~ん」



 四院崩乱から四十年。

 日本は、見た目だけは整っている。

 街は清潔で、物流は途絶えず、御柱が管理する治安統計は低く保たれている。


 でも。


 籍なしには、何もない。

 医療も、住居も、合法的な仕事も、名前すらない。


 刈夜の両親は籍なしだった。

 四院崩乱の第一世代孤児として育ち、戸籍を持てないまま出会い、刈夜を産んだ。


 当然、刈夜にも戸籍はない。

 御柱の管理台帳に「存在しない人間」として記録もされていない。


 十歳のとき、両親は死んだ。

 違法な仕事の最中に、始末されたと、のちに聞いた。

 遺体も、形見も、何も刈夜には残らなかった。


 誰も弔わなかった。

 それから刈夜は、持っていた刀一本で生き延びてきた。



  


 碓氷 錬を見つけたのは、依頼を受けてから三日後の夜だった。


 廃工場の裏手。かつて四院のひとつが持っていた製造施設の跡地。


 御柱の監視センサーが薄い場所を、籍なしたちは本能的に知っている。


 錆びた鉄骨の匂い、剥がれたコンクリートの床。 

 それでも籍なしが集まるのは、御柱の目が届かないからだ。


 ターゲットの碓氷は、一人でそこにいた。


 端末に向かって何かを打ち込んでいた。

 指は全く止まっておらず、急いでいるように見えた。



 刈夜は物音一つ立てずに近づいた。


 しかし、気配に気づいたのか、碓氷が振り返った。



 四十代の、疲れた顔をした男だった。

 目の下に影がくっきり残っていて、ここ数日眠れていないのかもしれない。


 逃げなかった。


「……来たか」


 低い声だった。覚悟を決めた人間の声だ。怯えていない。


「データはどこにある」


「送信済みだ」


「…どこへやった、吐け」


 碓氷は少しだけ笑った。

 なぜか、笑顔にどこか安堵が混じっていた。

疲れが抜けたような、それでいて苦しそうな。


「お前が持っているべき場所へ、隠した」


 意味がわからなかった。

 だが碓氷はそれ以上を語らなかった。

 語る気がないのか、語る時間が残っていないと思っているのか。


 刈夜は刀を抜いた。


 碓氷は目を閉じなかった。

 最後まで、何か遠くを見ていた。



  

 刀を引いた瞬間、刀身に光が走った。


 この光は残影と呼ばれている。


 この刀で斬った相手の「最後の瞬間」が、刀身に数秒間映し出される。


 映るのは映像だけではない。

 相手が最後に感じた感情…恐怖、後悔、安堵、怒りも、ぼんやりとだが伝わってくる。


 刈夜はこの能力が好きではなかった。


 斬るたびに、望んでいないのに相手の「死の瞬間」を見せられる。



 でも目を背けたことは一度もなかった。


 斬った相手の最後を見ることが、弔いだと思っているから。

 誰かがちゃんと見ていないと、その人間の死が本当に消えてしまう気がするから。



 刈夜の両親の死は、誰も見届けられなかった。誰も弔わなかった。

 刈夜は、ただ同じ様になってほしくなかっただけだった。


 霧の中に、映像が浮かんだ。



 浮かんできたのは、見知らぬ女の顔だった。


 三十代くらいの、黒髪を短く切っていて、身体は細い女だった。

 疲れているように見えたけれど、その人は笑っていた。


 刈夜の手がぴたりと止まった。




(…これは…母さん?)



 わからないはずなのに、なぜかこの目はその女を母だと認識していた。


 十歳のときに死んだ母の顔を、刈夜はほとんど覚えていなかった。


 十六年が経って、記憶の中の母の輪郭はとっくに霞みきっていた。

 声も、思い出も、少しずつこの厳しい生活の中で失くしていた。


 でも…これが、母の顔だ。


 残影が消えた。刀身がまた黒くなり、静まった。


 霧はまだ晴れていない。

 誰もいない廃工場は、静かだった。


(なぜ碓氷の記憶の中に、母がいたのだろうか)



 刈夜は考えながら帰路についた。





「ねえ、聞いてる?これちょっと聞いてほしいんだけど」


 通信機を起動したとたん、朱鷺が喋りだした。


「ターゲットの碓氷錬のことなんだけどね…実はちょっと前から噂があって。御柱のシステムに、御柱の内側から籍なし登録の抜け穴を作ろうとしてた人間がいたらしいの」


「……碓氷」


「うん、そう。彼、技術者だったから。御柱のコアシステムに干渉できる立場にいたみたい。でも御柱に気づかれて、処断対象になったって話」


 刈夜は碓氷の端末を見た。

 送信済みの画面が、まだ開いていた。


「碓氷は、送信済みだと…言っていた」


「……そう」

朱鷺は、珍しく静かな声で言った。


「それ、なんのデータか知ってる?」


「知らない」


「…そのデータはね、籍なしの子どもたち全員のリストと、御柱システムへの合法的登録マニュアルよ。ずっと前から完成してたんだって。そのプログラムを実行できれば…御柱の管理下に存在しない子どもたちが、この世界に存在できるようになる物」


 刈夜は黙っていた。


「碓氷 錬ってね…」

朱鷺は続けた。声がいつもと少し違った。



「四院崩乱のとき、孤児だったんだよ。第一世代の籍なし。でも何かの運で御柱に拾われて、自分だけ登録してもらえたらしいの」


「……だから」


「そう。自分みたいな子どもを、もう出したくなかったんだって」



 霧はまだ、夜の光を包み込んでいる。

 高架橋の向こうに、街の光が見えた。御柱が管理する、整然とした光。


 その光の中に、籍なしは映らない。

 

 でも確実に、私たちはここに生きている。




 刈夜は端末を拾い上げて、送信先を確認した。


 端末に残っている送信先は複数あった。

 一つは籍なし支援の非公式ネットワーク。


 これはバックアップのためだろう。


 そして…


 二つ目の送信先は、刈夜の通信機に宛てたものだった。


 

「受け取ったでしょ」


 通信を切り忘れていた通信機から、朱鷺の声がした。



「碓氷さんね、あなたのことを知ってたんだよ。始末屋の刈夜…籍なしで刀一本で生きてる女って、影の世界ではあなた、結構な有名人だから」


「……なぜ、私に?」


「さあ。でも…あなたのお母さんのことを知ってたって言ってたよ、一度だけ直接会ったときにさ…。昔、一緒に動いてたことがあるって」


 刈夜は、少し強く端末を握った。


「お母さんたちもね、籍なしの子どもたちを助けようとしてたんだって。ずっと前から。でも途中で死んで、続きができなかった。碓氷さんはその話を聞いて——ずっと、代わりにやろうとしてたらしい」



「……碓氷は、続きを引き継いでいた…ってこと、か」


「そういうことね」


「私の…両親が、やりたかったことの」


「……うん」


 刈夜は、動かなかった。いや、動けなかった、何も考えられなかった。




 十歳の刈夜は何も知らなかった。


 両親が何のために危険な仕事をしていたのか。何を守ろうとしていたのか。


 何も教えられないまま両親は死んで、何も知らない刈夜だけが残った。



 刈夜は生き延びるために刀を持った。


 持たざるを得なかった。


 それだけだった。



「刈夜」

 朱鷺が、珍しく名前を呼んだ。



「これから…どうする?」



 刈夜は碓氷の端末をポケットに入れた。



「……このデータを使う」


「おお…珍しい。あなたが自分から何かしようとするの、初めて見た気がする」


「籍なしの登録を、通すんだ」


「そんな簡単に言うけどね、御柱のシステムに干渉するって相当な話だよ?まずこの依頼を裏切ることになる。見つかったら処断対象だし、技術者も必要だし、そのために資金もいる。私みたいな連絡役も——」


「手伝ってくれる…ということか」


 朱鷺が黙った。

 珍しく、長い沈黙だった。


「……聞いてた? 危険だって言ったんだけど」


「ああ」


「捕まるかもしれないんだけど」



「はあ……。まあ私も籍なし出身みたいなもんだしね。全然関係ない話でもないか…」


通信機の向こうから、キーボードの音と、ポリポリと頭を搔くような音声が聞こえる。


「わかった…手伝うよ。ただし報酬は多めにね。もちろん前払いで」


「…ない」


「え?」


「今は…金がない」


「は?今まで何の仕事してたの?たくさん依頼受けてたでしょう?」


「使ったんだ」


「何に?」


「食費と、刀の手入れだ」


「……あなたって本当に」


 霧の中で、朱鷺の笑い声がした。


 刈夜はその声を聞きながら、高架橋の下を歩き始めた。



 足元には濃い霧が流れている。


 遠くに、街の光が見えた。

 御柱が管理する、整然とした光。


 その光の中に、籍なしは映らない。

 でも…それが過去の話になる未来も、あるかもしれない。




 刈夜は、十歳のときのことを思った。

 何も知らなかったあの夜。両親が帰ってこなかったあの夜。


 何のために生きているのかわからなくなって、それでも刀を拾って、ただ身を守るのに精一杯だった日々。


 


 そうやって、今日まで生き延びてきた。


 でも今日は、初めて違うことを考えた。


 続けよう、両親が続けられなかったことを。

 碓氷が完成させて、そして死んでいったことを。



 今度は、誰かを殺すために刀を抜くのではなく、誰かが生きるために。


「刈夜」

 朱鷺がまた声をかけた。


「とりあえず今夜はどこへ行く?」


「…このデータを御柱に入れられる、技術者を探す」


「あ、あてはあるの?私はないよ!?」


「ない」


「そりゃ…そうよね…。はあぁ、長い旅になりそう…」



 霧はまだ濃く、月の光を包み込んで夜道をぼんやりと漂っていた。


 でも足元の道は、見えていた。


 刈夜は歩いた。

 立ち止まらずに、歩いた。


 その先の、光の方へ。



               ——完


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