勝手に自滅してどうしたの? 黙れと言われたので黙っただけなのに。
幼い頃の私はお転婆で、よく笑う子供だった。
少々やんちゃな私の相手をしてくれたのは、一つ年上の幼馴染イグナーツ。
同じ侯爵家という家柄である私達は、両親同士の仲が良かった事もあって互いの家で良く顔を合わせていた。
「イグナーツ!」
「エルヴィーラ……ッ、ああ、もう」
イグナーツの家――シュトラウス侯爵邸を訪れた私は庭園で本を読んでいた彼を見つけて駆け出す。
そして彼が立ち上がった瞬間、その腕の中に飛び込む。
イグナーツは体勢を崩し、私を抱き留めたまま再び座り込んだ。
「全く。怪我をしたらどうするんだ」
「イグナーツが止めてくれるでしょう?」
「一緒に転んだんだけど?」
呆れながらも彼は私の頭を優しく撫でてくれる。
大切な宝物に触れるような彼の手が私は大好きだった。
「ねぇ、イグナーツ。あちらで遊びましょう」
「また鬼ごっこや木登りなんて言わないよね」
「なんで?」
きょとんとする私を見たイグナーツが長い溜息を吐く。
「ここで一緒にのんびりしないか? お菓子とか用意してさ」
「ピクニック? でもじっとしてるだけではつまらないわ」
「そう? 俺は君の歌に耳を傾けながら過ごす時間も結構好きだけどな」
これは彼の常套句だった。
動き回るのが好きな私を大人しくさせる言葉。
母が口遊む歌やピアノの授業で聞いた曲などを歌うと、イグナーツは必ず褒めてくれた。
じっとしているのはあまり得意ではなかったけれど、彼が褒めてくれるのは好きで、私は素直に歌うのだ。
「うん、やっぱり綺麗な声だ。……普段からこうしていればなぁ」
そしてこの日も、彼は私の声を褒めてくれた。
けれど次いで聞こえてきた呟きに首をかしげると「何でもないよ」と苦笑される。
「……変な虫がついてしまうのもいやだからね」
彼はそう言いながら私の頬を撫でてくれた。
***
さて、それから七年が経って。
成長した私は王立学園に通っていた。
尚、私の傍にイグナーツはいない。
彼は七年前、元々優れた頭脳を持っていた事と教養の為にと隣国の学校へ留学に行ってしまっていた。
その後も手紙を送り合ってはいたものの、実際に顔を合わせる機会はなかった。
彼が一時帰国を果たすこともあったのだが、単純にその時期に都合が合わせられなかったのと、あとは……私に婚約者が出来た事が大きかった。
イグナーツという遊びに付き合ってくれる相手がいなくなり、また両親からそろそろ落ち着きなさいという指摘を受けた事もあり、私は落ち着いた振る舞いをするようになっていた。
お淑やかさや品格を身に付けた私は、お陰で社交界での評判も良かった。
立ち居振る舞い、容姿、そして小さく控えめな大きさでも良く届く声。
それらを褒められる私へ真っ先に婚約の話を持ち出したのは、やはりそんな噂や私の外面につられたテオバルト・フォン・エルケンスという侯爵令息だった。
私に一目惚れしたらしい彼は、婚約が成立してからというもの、私を傍に置きたがった。
初めはそれだけで満足していた。
周囲は勝手に羨むし、彼も私の事をアクセサリーの延長程度にしか見ていなかったと思うから。
しかし、彼がいくら私に自分が優れているという事を主張しようとも、私の心が彼へ向く事はなかった。
おまけに、周囲の異性が私を称賛する声も耳に届いていたらしい。
「夜会で挨拶が出来た」「笑いかけてもらった」「相変わらず心地良い声音で」等といった言葉。
そういったものが気に入らなかったのだろう。
「いちいち口を開くな! その煩わしい口を閉じて黙ってろ!」
ある日、私はテオバルトにそう言われた。
彼の前で騒ぎ立てた事などないのにも拘らず。
「その耳障りな声が周りに迷惑を与えているとは考えられないのか? この無能が。婚約者がいるというのに異性に媚を売る卑しい女め!」
彼は散々と罵倒する。
テオバルトは一度怒りだすと、こちらが発した言葉は全て反発や見下しといった悪意ある言葉に捉えてしまう性格なので、私はそれを静かに聞いていた。
それに……都合も良かった。
社交界のように本心を隠して遠回しな言葉を選ぶことが美徳とされる場所で、いちいち場にそぐう言葉選びをするのは、私には骨が折れる仕事だった。
けれど彼が『黙ってろ』と言った事でそうしなくても良い理由が出来たのだ。
それからというもの、私は無言を徹底した。
家の中や学園、夜会などでも。
やがて私への称賛は減った。
心配の声が増えたのだ。
何故はなさなくなったのか。どこか悪いのか。
そんな声が次々と溢れる。
テオバルトはある日焦って「何故話さないんだ」「気味が悪い」などと言ったけれど、彼はこうなった原因が自分にあるとは思ってもいなかったようだ。
私を罵倒する事は彼にとって日常茶飯事だったから、「黙れ」と言った事すら忘れていたのだと思う。
そんなこんなで周囲から心配や疑念の視線を浴びながら過ごしている内。
テオバルトは私から距離を置くようになり、代わりに別の女性と過ごすようになった。
そのくらいの時期から、私がその女性――わかりやすく言うならば浮気相手を虐めているという話が出始める。
私が口を開かなくなった理由にはテオバルトの横暴な態度が絡んでいるのでは、という噂がそれ以前に流れ始めていたと記憶しているので、恐らくは自衛の為だと思う。
私を悪人に仕立て上げることで自分の立場を悪くする事を避けようとしたのだろう。
けれど彼は残念な事に、非常に頭が弱い。
そこで、簡単に助言をくれ、協力者となってくれたカティンカ・ベッケラート子爵令嬢に相談するようになったのだ、と……。
私は浮気の目撃情報や二人の動きからそう踏んでいた。
さて、そんな日々が一ヶ月程続いた頃。
相変わらず私は一言も発さないが、内心は上機嫌であった。
「ねぇ、今日編入してくるお方って」
「ええ、とても優秀だと噂の……」
噂話が好きな女子生徒達の脇を擦り抜け、教室へ向かった矢先――。
その進路を塞ぐようにしてテオバルトが立った。
「エルヴィーラ・レーゼル! お前との婚約を破棄するッ!!」
唐突なその発言に私は目を丸くした。
テオバルトの隣ではカティンカ様が笑みを浮かべて立っている。
「お前は俺を貶める為に敢えてか弱い女のふりをし続けた! その裏では自分より立場の弱いカティンカへ陰湿ないじめを行っていたというのに!」
全く身に覚えのない言い掛かりである。
その後も彼はカティンカに対するいじめとして具体的な例を並べては私を罵倒した。
大勢の生徒の前で。
この婚約破棄については想定外の出来事だった。
けれど同時に――都合がいい展開でもある。
今、周囲の視線は私達に集まっている。
このような場面に出くわした際、私はある行動を取ろうと前々から決めていたのだ。
そして――
私は『困っています』という顔をした。
瞬きを堪え、瞳を全力で潤ませて、伏し目がちにする。
彼が何を言おうが、困り果て、傷付いたふりだけをするのだ。
たとえでっち上げの噂であったとしても、先に流された言葉は強い。
しかしそれは――『本当に』先に流れていた場合である。
私の場合、日頃の行いがとにかくよかった。
称賛される程の淑女を演じていたのだから当然だ。
おまけに、テオバルトとカティンカが私を嵌めようと動き出すよりも前から、テオバルトが私を虐げているのではという噂は流れつつあった。
私の印象やテオバルトの悪い噂が先行している今、分が悪いのは実はあちらなのである。
そして……テオバルトはやはり非常に頭が悪い。
私が困ったようにテオバルトを見やると、彼は早口で捲し立てた。
「な、何だその物言いたげな目は! 全て事実だろう。何か文句があるなら今言ってみるといい! まあ、これまで口を閉ざしてきたお前が急に口を開けばそれこそ怪しいだろうがな。いいか、こちらにはお前がカティンカにした悪行とその日時までもが詳しく書いてある。彼女の体にだって、突き飛ばされた時の傷がある……! 立派な証拠があるんだ! それに――」
良く舌が回る事。
私は一言も発していないのに、私の顔を見ただけで、テオバルトはひたすら話し続けた。
確かに言葉は先に出されたものの方が信ぴょう性が高くなりがちだ。
けれど同時に――多ければ多い程、信ぴょう性も低くなる。
テオバルトは自らの口で、自分達が用意してきたものを崩してしまったのだ。
「何だか……こじつけのように思えない?」
「ああ、そう思うよ」
そんな声が上がり始める。
「な……ッ、何故――」
驚くテオバルトの声。
その裏で……。
「――そもそも、こんな状況でもエルヴィーラ嬢が話せないとは。やはり心に傷を負っているのでは?」
そんな言葉が聞こえた。
聞き覚えの無い声だった。
けれどやけに心が躍るのを感じる。
私は笑みが込み上げるのを何とか抑えた。
「という事はやはり、テオバルト殿のあの噂は本当だったのか」
「エルヴィーラ様を虐げているという」
「可哀想。声が出せない程に心に傷を負ってしまって」
私は何も言っていない。
にも拘らず周りからは憶測と同情の声が飛び交った。
「な、ち、違うわ!」
カティンカ様が声を荒げる。
「こいつが、カティンカを虐めたんだ! この悪女が――」
「失礼」
続いてテオバルトが私を指して叫ぶが、その声は別の声によって遮られた。
声がしたのは集まった周囲の人だかりの中から。
そこから姿を現した男子生徒が、私の前に立つ。
その後ろ姿はとても大きいけれど、懐かしい面影を感じさせる。
「無暗に他者が罵られているような場は好きではなくてね」
「だ、誰だお前!」
「名乗らず、勝手に首を突っ込んでしまったのは謝罪しよう。――イグナーツ・シュトラウスだ」
その名は、テオバルトもカティンカ様も知っていたのだろう。
社交界で噂になっている、シュトラウス侯爵家の天才。
留学先の学校で優秀な成績を修めた彼は最近帰国し、今日付でこの学園に編入する事が決まっていた。
「今日編入したばかりでね。その様な者が口を挟むのもとは思ったのだが……周りの方々の話を聞いてみれば、どうやら彼女は口がきけないようじゃないか。そんな相手に何を必死に話しているんだい? もし本当に自分達の主張に正当性があるのだとすれば、堂々としていればいい」
「こちらが嘘を吐いているとでも言いたいのか!」
「いいや。それを決めるのは俺ではなく――周りだと思うけれどね」
テオバルトとカティンカがハッと周囲を見回す。
疑念の目が二人へ集中していた。
「な、あ……っ」
「片方だけが必死に言葉を連ねれば、自然と疑わしく映るものだ。まぁ……もうこのような忠告も必要ないかもしれないが」
そう言ってから、イグナーツは私へ向き直る。
黒い髪に青い瞳――記憶の中の少年と同じ特徴を持った美青年が私へ微笑み掛ける。
「大丈夫かい、エルヴィーラ嬢。顔色があまり優れないようだ」
イグナーツはそう言うと手を差し出す。
私は小さく首を横に振りながらそれを取った。
「失礼するよ」という言葉と共に、私はイグナーツに手を引かれてその場を去るのだった。
そして人気のない場所までやって来てから。
「――『近いうちに騒ぎが起きたら、私の無口について言及して』……まさかこれは、君が仕組んだ事なのか?」
その文章に心当たりはあった。
最近……イグナーツが帰国した直後に送った手紙の内容だ。
「まさか」
無口の令嬢を演じていた私はけろっと言葉を返す。
「ただ、今回の件が無ければ私からあれと同じ様な状況を作り、テオバルトの評判を下げていたわ」
「全く……綺麗になっても、年相応の落ち着きが備わっても、君という人間は変わらないのか」
「でも、そんな私に協力してくれると言ったのはイグナーツでしょう」
テオバルトのような人間と結婚するなど、私はごめんだった。
だからこそ、彼の悪評を広め、『婚約を解消されても仕方ない』理由を植え付けるべく、『婚約者が声を失う程に病ませてしまった』という状況証拠を作ろうとした。
その過程で、イグナーツには、編入後に私がテオバルトと騒ぎを引き起こした際には『エルヴィーラが声を出せないのはテオバルトの横暴な言動のせいでは?』と指摘して欲しいと頼んでいた。
けれど結果は……まさかの自滅。
婚約破棄を提示したのはあちらであり、私は勿論内心で喜んでいたし、それに加えておまけに彼は勝手に自分の評価を下げていったのだ。
「まあ、もう全て終わった事よ。……それよりも」
私はテオバルトへ笑いかける。
「おかえりなさい」
「……うん、ただいま。……全く、こんなに綺麗になって」
そう言って彼は私の頬を撫でる。
「やっぱり余計な虫がついていたし。留学なんていくんじゃなかった」
「何、それ」
不満げなイグナーツの様子に私はプッと吹き出す。
「どうせ婚約は解消。独り身になるのよ。そうしたら……勿論、貰ってくれるのでしょう?」
上目づかいで訴える。
すると、イグナーツは目を瞬かせたあと、長い溜息を吐いた。
「そんな事まで覚えて……」
「返事はないの?」
「……当然、誰かに渡すつもりなんかないよ」
その言葉に満足して笑みを深める。
するとどこからか始業前の鐘が聞こえてくる。
「あ。教室へ向かわないと。魔法研究棟ってむこう?」
「ええ。途中まで一緒だから、ついていくわ」
「助かるよ」
そう言ってイグナーツは先に歩いていく。
私は涼しい顔をしながらそんな彼の後に続く。
そして、彼の死角に自分がいる事を確認してから――
――頬が緩み切った、満面の笑みを浮かべるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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