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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

言いたいこと、言えないこと。

作者: 海月いおり


「ねぇ、伊吹(いぶき)くんと弦本(つるもと)くんって、そういう関係? 付き合っているとか、そういう感じ?」

「……え?」

「あっ……ごめん。変な意味はないの。ただ、あまりにも近いから」


 カンカン照りの太陽の下。とは言っても、その太陽の光が暑いというわけではなく、ただただ心地良い。4月の独特な匂いを乗せて吹き抜ける風と相まって、快適な気候だ。

 写生部に所属している僕らは、中庭のベンチに座って目の前にある桜の木を眺めていた。青々と太陽に向かって伸びる葉。それを何ひとつ見逃さずに手元の画用紙に描き写す。市が主催の写生大会に応募する為の作品制作だ。


 写生部の部室は特別教室棟の1階にある。そこを出るとすぐ目の前に中庭が広がる。ここが基本的に活動拠点となっていた。


「近いって、なんのこと?」

「いや……ふたりの距離って言うか……」

「別に普通じゃない? 女同士で抱き合ったりしてるじゃん。なんで僕らがくっついていると、そういう風に見られるわけ? それとも抱き合う女同士は、みんな付き合っているとでもいうの?」

「そうではないけれど……」


 桜の木と画用紙を交互に眺めながら適当に返事をする。

 変なことを聞いてきた女子生徒は写生部の部員ではない。僕の返答を聞いた彼女は、困惑した表情を浮かべながら逃げるようにその場から去って行った。


遥也(はるや)も冷たいな。多分今の子、お前のことが好きだぞ」

「……知らないし。響生(ひびき)の方じゃない?」


 僕、伊吹(いぶき)遥也(はるや)弦本(つるもと)響生(ひびき)は小学校の時からの友達。距離が近いと言われたら、そうかもしれない。現に肩をくっつけて絵を描いているこの光景、付き合っていると思われても、仕方ないのもなんとなく分かる。


「けれど、俺のせいで遥也まで嫌な思いをさせてごめんな」

「……別に。響生のせいじゃないし」

「遥也は、ほんとうに優しいよな」

「……」


 風に乗って、桜の花びらが散っていく。

 僕の肩にもたれかかった響生の頭の重みと共に、ほのかな温もりが伝わる。中庭に流れる静かな空気に安心感を覚え、つい僕自身の頭も響生に寄せてしまうのだ。


 ただ何度も言うが、付き合っているわけではない。


 そう自分にも言い聞かせる。

 高校3年生になったばかりの春のこと。



 突然だが、響生は人肌に飢えている。誰かの肌に触れていないと落ち着かないという響生は、ある種の依存症だ。


 昔はタオルが手放せない人だった。いつでもどんな時でも、響生はタオルに頬を摺り寄せる。タオルが無いと落ち着かなくて、いつもソワソワしていた。

 その響生がタオルを卒業できたのは中学校3年生の時のこと。初めてできた彼女が、タオルの代わりになったのだ。彼女の肌に摺り寄せ、心の安泰を得る。それで響生はよかったのだが、彼女の方はそうではない。最初こそ『愛されている』と思い込み喜んでいた彼女だったが、段々とそれが重荷になってくる。いつでも、どこでも。人目があってもなくても。心に渇きを感じると響生は彼女の肌に触れた。それが彼女にとってストレス源となって別れを告げられる。


 男の僕から見てもイケメンな響生は、高校に入ってからも彼女には困らなかった。高校2年生までの2年間で5人の彼女がいたことがあるが、全て破局した。5人とも理由は中学の時と同じ。響生のことが、段々と重荷になったからだ。



「ねぇ、遥也」

「……うん」


 響生に呼ばれ、教室を出る昼休み。

 お弁当を持って誰も居ない非常階段に向かい、ふたり肩を並べて座る。


 誰もいないことを確認した響生は、そっと近寄り僕の頬に自身の頬をくっつけた。摺り寄せながら、大切な物を扱うかのように優しく顔を動かす。


 最後の彼女と別れた響生は、そこから女性と付き合うことを止めた。自身の癖がおかしいことは分かっていたけれど、誰ひとりとして理解してもらえないことに苦しんでいたからだ。

 その後の響生は、最初こそ大丈夫そうだった。思い込みなんだよ――そう思っていたのも束の間。彼女と別れて2ヶ月過ぎた頃から禁断症状のようなものが出始めたのだ。

 昔のようにタオルを手に取るも、暴れ、嘆き、感情を抑えられない響生。この時の響生を抑えたのは、紛れもない僕だった。体を抱きしめ、頬を擦り寄せる。男では駄目かもしれないと思いながらの行動だったが、予想に反して響生は大人しくなった。


 男も女も関係ない。結局響生には、人肌が必要だったのだ。


「……遥也」

「落ち着いた?」

「うん」


 隣で嬉しそうに目を閉じている響生の頭を僕は優しく撫でる。響生は「こうされるのが嬉しい」のだと、そっと微笑む。そうして小さく息を吐いて、より距離を縮めてくるのだ。それもまた、いつも通りの僕たち。


 響生が落ち着いた後は、ランチタイムだ。他愛のない会話をしながら、どうでもいい話で盛り上がる。


「……はぁ、遥也。安定だわ」

「……」


 話の合間にまた僕に寄りかかり、そっと頬をくっつけてきた。「遥也に彼女ができたら、俺死んでしまうかも」なんて言うから、つい僕の心が波を立てる。僕が誰ひとりとして受け入れず、どれだけの女性を振って来たかを響生がいちばん知っているはずなのに。


「……響生。じゃあさ、僕と付き合おうよ」

「え?」

「僕と付き合えば、すべて解決すると思わない? ずっと響生の隣にいることもできる」

「遥也……?」


 それは僕の本心だった。

 ずっと胸の内に秘めた、響生に伝えたくても伝えられない思い。本人には言えないけれど、僕はずっとそういう思いを抱えて生きている。


 驚いた表情の響生は、しばらく固まった。そうして少し考えたあと「またそうやって冗談を言う」と言って僕の肩を叩くのだ。


 冗談ではない。

 だけど僕自身も臆病者だから、それを「冗談ではない」と言い切る度胸もない。


 僕は響生の方を向いて、真剣な眼差しを向ける。それを見た響生が驚いた表情をした時、僕はフッと小さく笑う。そうして「冗談だよ」と言ってふたりで爆笑をする。


 いつも通り。

 あくまでも、いつも通りの僕たち。


 そう思っていたけれど、恐らく僕は〝変わってしまう関係〟が怖かっただけなんだ。



 放課後は写生部の部室に行き、また中庭で桜の木を描いた。

 今日はすこしだけ風が強くて、僕らの胸元で朱色のネクタイが揺れ動く。風に乗って飛んで行く花びらに儚さを感じながら、画用紙の上で一生懸命に手を動かす。


「早く描かないと、全部緑になってしまう」

「そうだね」


 いつものように響生と肩を寄せ合いながら手を動かしていると、またゆっくりと知らない女子が近付いて来た。短く巻いたチェックのスカートが揺れ動くその人は、僕と響生の目の前で立ち止まり、小さく息を吐く。そして意を決したように口を開いた。


「ねぇ、伊吹くん」

「僕?」

「うん。突然で悪いんだけどね。私、伊吹くんのことが好き。付き合って欲しいの」


 空気の読めない告白に理解が追いつかなかった。

 彼女が同級生だということは分かるが、名前は知らない。ここで名前を聞くのも失礼だから、僕は当たり障りのない返答を考える。


「……響生が隣にいるのに、この状況で告白するの?」

「弦本くんがいつも伊吹くんの隣にいるからだよ。君がひとりでいるタイミングを狙う方が難しくない? むしろ、伊吹くんはいつひとりでいるの?」

「……」

「君のことを見続けて、ずっとタイミングを図っていた。だけどいつまで経っても言えなくて。気が付けばもう3年生だ」


 自分に問うような呟き。消え入りそうな声に耳を傾けつつ、僕は描く手を止めない。一方、隣の響生の手はしっかりと止まっていた。横目に見える響生は、複雑そうな表情を浮かべている。


「……伊吹くん、何か言ってよ」

「僕そういうのは――」

「遥也」

「ん?」

「もし俺が原因なら、気にするな。遥也には、無理をして欲しくないから」

「……は?」


 響生は視線を大きく逸らしたまま小声でそう呟いた。不思議そうな彼女と、沸々と怒りが湧く僕。


 その感情は抑えつつ、彼女に向かって困った表情を浮かべて「ごめん、君とは付き合えない」と伝えた。

 僕の言葉に涙を浮かべた彼女が走り去って行ったことを確認すると、勢いよく椅子から立ち上がり響生の胸倉を掴む。その反動で僕の画板が地面に落ちてしまったが、それには目もくれずに響生をまっすぐと見つめると、驚いた様子で僕から目を逸らし悲しそうに顔を歪ませていた。


「……響生、いい加減にしてよ」

「意味が分かんない。俺は遥也に怒られるようなことをしていない」

「……そう」


 乱暴に響生から手を放した僕は、全ての荷物を持ってひとりで写生部の部室に戻る。そして顧問と後輩たちが不思議そうに僕を見つめる中で「写生大会への応募は止めます」と一言呟き、桜の木を描いていた画用紙を粉々に破り捨てた。

 2年生の女子が小さく悲鳴を上げて涙を零したのを機に顧問が飛んできたが、それすらも無視して部室を飛び出した。


 悔しかった。

 響生に僕の思いが何ひとつ伝わっていないことが。


 だけど、そんなの当たり前だ。

 だって僕は、響生にちゃんと思いを伝えていないのだから。


 いつも冗談だとはぐらかして、笑って流してきた。

 真剣に思いを伝えようとしたことなんて一度もなかった。

 関係が壊れてしまうのが怖くて、怯えて、核心に触れられなかった臆病な僕。


 自身が悪いってことは痛いほど分かっているのに、それでも先程の響生の言葉が許せなかった。



「――遥也っ!!」

「……」

「おまっ……何してんだよ!!」


 歩き続けて学校の校門に差し掛かった時、後ろから猛スピードで走ってきた響生が背後から抱きついてきた。その手には画用紙の破片が握られており、微かに震えている。

 僕は身を捩って響生の抱擁から抜け出して無言で歩き出す。するとまた背後から抱きついてきた。


「響生、なに?」

「なにってこっちの台詞だろ! 何してんだって聞いているだろ!? 答えろよ!!」

「……僕に彼女ができたら死んでしまうかもって、響生が言っていただろ。それなのに、どうしてあんなこと言うんだよ」

「えっ」

「僕がどうして告白してくれた女性全員をお断りしてきたのか、言葉にせずとも響生がいちばん分かってくれていると思っていた。冗談と言ってはぐらかしてきたけれど、ほんとうは付き合いたい。僕は本気で響生のことが好きなんだよ」

「……」

「だけどやっぱり、ちゃんと伝えないと伝わらないよね。ごめん……じゃあね」


 また身を捩って抱擁から抜け出して学校の敷地を出る。響生は立ち尽くしたままで何も言わなかった。

 響生との関係は終わりだ――そう思った時、引くほど大きな声が背後から飛んできた。


「だ……だからといって、せっかくの絵を裂くことはないだろっ!!」


 クソっ、と大きな声で言葉を吐き捨てると、また猛スピードで走ってきてそのまま背後から抱きついた。

 僕の正面でそっと手を組み、頬を擦り寄せる。甘えたような声を出しながら僕の名前を呼ぶ響生に対して、心臓が激しく騒ぎ止まらない。震える体を抑えながら響生の手に自身の手を重ねると、強く握られ動きを封じられた。そして響生は僕の耳元に唇を近づけて小さく囁くように言葉を発する。


「俺のせいで、遥也が無理をしていると思っていた。俺は女の子とお付き合いをすることを止めたけれど、遥也はその必要ないのだから。俺のせいで女の子とお付き合いしないのならば、一言伝えておかないといけないなって思ったんだ」

「……でも僕、付き合おうかって言ったことあるよね? あれも無理して言っていると思ったの?」

「うん……だけど、結局俺は現実から目を背けていただけなんだ。遥也には女の子の方がとか、色んなことを考えた。遥也の付き合おうって言葉も本当は嬉しかったけれど、そんなこと有り得ないって思い込むようにしていた」

「響生……」

「って、遥也に甘えて心から助けてもらっていた俺が、いったい何を言ってんだって感じだけどね」


 ほんとうのことを言うと、俺は遥也のことがずっと前から好きなんだ――そう囁いた響生の言葉が、僕の脳内を支配する。


 女の子の方がいいかもとか、関係を壊したくないとか、お互いがお互いのことを勝手に思い合って、気持ちにすれ違いが起きていた。いちばん近くで、いつも傍にいたのに。お互いを思うあまり心の距離は遠ざかり、もうすぐ取り返しのつかなくなるというところまで僕らはきていた。


「不器用だな、僕ら」

「それもまた、俺ららしさかもしれないな」

「うん」

「……それより遥也、絵はどうするんだよ」

「それについては……また、考える」


 体の向きを変え、響生と向い合わせで抱き合う。

 周りが一切見えていない僕らは、小さく愛を囁き合いながら強くお互いを抱きしめた――。



 翌日、なんだか気まずい空気感の教室及び部室。

 まさか誰かが昨日の光景を見ており、それが学校中に噂として広まっていることを……僕らはまだ知らなかった。


 だけど、僕には響生がいればそんなことどうでもいい。


 今日も桜の木の前に向かい、響生は絵の続きを描き、僕は静かにそれを眺める。

 ふたり肩寄せ合いながら眺めるいつもの桜に、不思議と心躍るような感覚がした――。






 終





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