第二章 三
三十分もしないうちに、いつもの刑事は私たちの前に現れた。「お待たせしてすみません」という青砥刑事だったが、丁寧な言葉とは裏腹に、顔には申し訳なさも思いやりも感じられない。神田主任の意見で、場所を研究室内へと移し、事情聴取という名の尋問が始まった。
「まずは確認です。名雪彩生さん。あなたのお宅に株式会社Teck×Lifeが開発したアンドロイドSOfT Lifeがいますね」
「はい、います」
「事件当日、そのアンドロイドがどこで何をしていたか把握されていますか?」
「朝八時半ごろまでは一緒にいました。家からこの研究所まで、車で送ってもらい、その後のことは把握していません」
「普段から、アンドロイドが何をしているか把握されていない?」
「はい」
会議用のテーブルをはさんで、向こうに二人の刑事。こちらは私一人だけだ。他の三人は近くでこの様子を見守っている。
「こちらは、監視カメラの映像から印刷した、浮舟さんと歩いているアンドロイドの写真です。少し画像が荒いので分かりづらいですが、ここに写っているのはご自宅で管理されているアンドロイドで間違いないでしょうか?」
青砥刑事が差し出した写真に、お婆さんの隣を歩くソフィらしき人物の姿が映っている。髪色や背丈はソフィにそっくりだが、画像が荒く、確かにそうだというのはためらわれた。
「髪色や背丈は同じだと思います。ですが、顔まではハッキリと判別できません」
「本当にわかりませんか? とぼけても良いことはありませんよ」
「とぼけているつもりはありません。捜査の妨げにならないよう、確実ではないことを確実だと証言していないだけです」
「まあ、良いでしょう。一応こちらでも調べさせていただきましたけども、確実な情報が欲しいのでね、このアンドロイドについて説明をお願いできますか?」
「構いませんが、何を説明すればよいですか?」
「とりあえず、一通りのことを。医療用だとか何だとか、調べてほしいと依頼していたでしょう」
「そういうことですね。製造元はご存じの通り、株式会社Teck×Lifeで、生活支援用に開発された人型アンドロイドです。家事全般、介護、応急処置程度の医療行為を主としており、文字通り生活を支援することを目的としたアンドロイドです。あくまでも応急処置ですから、出血個所を抑えるとか、患部を冷やす、温めるなど、一般的な人が出来る範囲のものです」
「ふむ。その辺り何が出来るのかというのは、詳しく調査していただけるのですよね? ねえ、神田主任」
確認というよりも、脅迫にも近い質問だった。相手を押さえつけるような威圧的な視線に、神田主任は一瞬目を細めた。
「もちろん、徹底的に調査します」
「お願いしますよ。それで、名雪さん。そちらの――アンドロイドを作ったのは、ご両親だと聞いています。製造責任者の名雪慶一郎さんと、名雪沙奈恵さん」
一瞬、刑事が言い淀んだような気がした。アンドロイドという名称だけでは分かりづらいのかもしれない。
「はい、そうです。アンドロイドの呼称が必要であれば、私はソフィと呼んでいます」
「あぁ、ご丁寧にどうも。失礼ですが、ご両親は既に亡くなられているそうですね」
「はい、私が十歳の時に事故で亡くなりました」
「十歳!? 嘘でしょ……」
後ろのほうから、舞島さんの驚く声が聞こえた。青砥刑事は私の後ろを睨みつけて、咳払いをした。
「ソフィさんは、その時から貴方と一緒にいたのですか?」
「そうです」
「それはまた、随分と長生きですね。最近のパソコンやら携帯端末やらは長く使えるとよく聞きますが、アンドロイドは何十年と保つものなんですか?」
「アンドロイドは携帯端末と異なり、ソフト、ハード両方のパーツを入れ替えることが可能です。最近のモデルでは耐用年数が十年と謳っているものもありますが、そうでなくとも、適切な処置をすれば十年以上使用することも可能です。ソフィは製造されてから十八年程経過していますが、使用に不便はありません」
再び青砥刑事が、私の後方に視線を向ける。私の説明の真偽を確認しているのだろう。神田主任がそれに答える。
「今の説明は間違っていません。付け加えるなら、それでも二十年近く使用できるものは、そこまで多くないということでしょうか」
「そうですか。十八年使用してきて、これまで何も問題はなかったのですか?」
さながらカエルをにらむ蛇のように、青砥刑事は私に強い眼差しを向ける。
「特にありません」
「一つも?」
「ありません」
その視線を正面から受け止め、私はハッキリと言い切った。嘘偽りなく、ソフィが問題を起こしたことなど、一度もない。
――そう、問題を起こしたことは、ね。
心の奥深くで、誰かに囁きかけられた。
「結構。本当に問題があるかどうかは、今後の調査ではっきりさせてもらいましょう。それで、肝心のソフィさんは現在ご自宅ですか? 人間ではありませんが、彼女は重要参考人です。話を聞かなければいけない」
重要参考人だ。というセリフがどこまで本気かは分からない。犯人だと思っていようが、重要参考人だと思っていようが、人の言葉を理解してコミュニケーションが取れるなら、事情聴取は避けられないはずだ。
「自宅にいるはずです。呼び出しましょうか?」
「こちらがご自宅まで伺いましょう。署の方でじっくりと話を聞かせていただきたいので」
二人の刑事が席を立ちあがった瞬間、立ちふさがるように神田主任が割り込んだ。
「失礼、青砥刑事。これはいわゆる任意同行ってやつですよね、何せ相手は重要参考人ですし。それなら、ここに呼んでもらいましょう。ここでも話は聞けますし、それに、調査はここで進めなきゃいけない。警察だって、なるべく早く調査を進めたいでしょう?」
向刑事が無言で神田主任の前に歩み寄る。神田主任は背が低いわけではないが、向刑事はそれよりも十センチは大きく、線の太さは比べられるものではない。
向刑事の圧力に、神田主任は半歩身を引いた。しかしそれ以上は下がらずに、目の前の大きな刑事と真正面から向き合う。
呼吸がしづらいほどに空気が張りつめている。そうしていたのは十秒にも満たない時間だったが、青砥刑事の咳払いでようやく時間が動き出す。
「いいでしょう。では名雪さん、ソフィさんを呼んでいただけますか?」
「わかりました」
私は隠すことなく「警察に呼ばれているから研究所に来て」と、ソフィを呼び出した。刑事からすれば迷惑な話かもしれないが、これでソフィが逃げ出すことなどありえないと信じていた。実際にソフィは電話をしてから、三十分もかからずに研究所に到着した。さすがに部外者は研究所には入れないので、私と青砥刑事が駐車場まで迎えに行く。青砥刑事がついてくるのは、言うべくもなく監視目的だ。
「彩生、大丈夫ですか!? 何かあったのですか?」
開口一番、ソフィは私の身を案じた。
「どうも、ソフィさん。初めまして。私は青砥と言います」
私たちと出会った時のように、青砥刑事は警察手帳をソフィに掲げた。この人はアンドロイド相手でも人間同様に接する人なのだなと思った。ソフィは姿勢を正し、青砥刑事の方へと向き直る。
「初めまして、生活支援用アンドロイドのソフィです」
「こんなところで立ち話も何ですから、場所を移しましょう」
何かを説明する暇もなく、私たちはすぐに研究室へと移動した。
研究室に戻ると、四人は立ったまま会議スペースで話をしているところだった。こちらの姿を確認すると、向刑事が真っすぐこちらに向かってきた。三人も私たちを見つめているが、彼らが心配をしているのか、それとも疑っているのかは分からない。向刑事は私とソフィに疑いの眼差しを一瞬だけ向けて、青砥刑事に一言二言耳打ちをした。
「……わかった。ではお二人とも、こちらへ」
青砥刑事に指示されるまま、数十分前と同じ席に着く。私の隣にはソフィが座り、私たちの目の前には刑事が座る。研究室の中だというのに、さながら取調室のようだ。
「ではソフィさん。こちらからいくつか質問をしますから、正直にお話しください」
「……はい、わかりました」
何の説明もなく事情聴取は始まった。ソフィは私の何度か私の方に顔を向けたが、私は何も答えなかった。
「先週月曜の七月二十二日、午前中どこで何をしていましたか?」
「月曜日でしたら、朝は彩生と一緒に自宅にいました。八時過ぎに自宅を出て、車でこの研究所まで彩生を送りました。ここに着いたのは八時半ごろです。その後は車で日比野駅近くの中央卸売市場に行って、一時間ほど買い物をしていました。そこで具合を悪くしてしまったお婆さんを見つけたので、お婆さんのご自宅までお送りしました。お婆さんとお会いしたのが十時十五分頃で、ご自宅に着いたのは十時三十分になる前でした。そこで二十分ほど、お婆さんの様子を見ました。暑さにやられてしまったようでしたが、すぐに回復されたので、念のためご家族か連絡が取れる方に連絡をするようにアドバイスして、私は自宅に戻りました。家に着いたのは十一時十分頃です。それからは夕方彩生の迎えに来るまで、ずっと自宅で家事などをしていました」
「ご自宅にいたことを証明できますか?」
「それは難しいかもしれません。その日は自宅に戻ってから、誰とも会っていませんから」
向刑事は、ソフィの証言を一つ一つ聞き漏らさないよう、注意して手帳にメモを取っていた。
「お婆さんのご自宅までは車で向かったのですか?」
「はい、車で行きました。ただ、お婆さんが住んでいたアパートには駐車場がなかったので、近くのパーキングエリアに停めて、そこからは徒歩で向かいました」
ソフィの話に特におかしなところはない。普段会うことのない被害者と一緒に歩いていたのも説明がつく。ここ一週間は毎日のように熱中症の注意喚起がされていたし、お婆さんが具合を悪くした可能性も十分にある。逆に、警察の捜査では事故の可能性は無いとのことだったが、熱中症や体調不良で倒れたということは本当に無いのだろうか。
私が警察の捜査に疑惑を抱いていると、青砥刑事がいつか見た写真を差し出した。ソフィらしき人物が被害者と歩いている写真だ。今見れば、お婆さんも本当に浮舟さんか判別は出来ない。
「こちらは近くの監視カメラの映像です。ここに写っているのは、あなたとそのお婆さんで間違いないでしょうか?」
ソフィが差し出された写真をじっと見つめる。
「はい、そうだと思います。お婆さんも私もあの日と同じ服装ですし、背格好からも私とお婆さんだと判断します」
ソフィは写真を青砥刑事に返した。
「結構。こちらの方のお名前はご存じですか?」
「いえ、お名前までは。表札もありませんでしたし」
「では、会ったのも初めてですか?」
「はい、初めてお会いした方です」
ソフィの返答は淀みない。自衛隊に配備されている機種と違い、映像記録もGPS機能もソフィには備わっていないが、人間ではないから記憶違いということはありえない。嘘をつく心配もない。そう思っているのは、どうやら私たち研究者だけのようだが。
「お婆さんを自宅に送ってから、お婆さんに変わった様子はありませんでしたか? 体調が悪かったというのはどの程度?」
「発見したときは少し具合を悪くして休んでいた、という感じでした。体温や表情から、熱中症まではいかないとものだと判断しました。ご自宅に戻った時には、既にお一人で立って歩かれていましたし、体調も心配するほど悪くはなっていなかったと思います。冷房をつけて、水分も摂っていただいたので、その後は問題なかったと思います」
青砥刑事はソフィから視線を外して鼻を鳴らした。
警察が事故ではないと判断したのが正しいのなら、ソフィが被害者の家を出た時点で、被害者の体調が回復していたというのは本当だろう。その状態なら、ソフィが被害者に危害を加えることはありえない。
やはり、ソフィは犯人ではないはずだ。私は心の中で呟き、それを立証するために、そしてソフィに今何が起きているのかを説明させるために、私は青砥刑事に問いかけた。
「警察は事故ではないと判断したのですよね。では、ソフィが被害者の自宅を出た際には、既に体調は回復していたと考えられるのではないですか?」
「被害者って、どういうことですか?」
想定通りに、ソフィが私の言葉を拾った。私が目で警察に訴えかけると、青砥刑事は飼い犬に手をかまれたかのように顔をしかめた。そして頭を掻きながら小さく唸り、再びソフィに顔を向けた。
「実は、あなたの出会ったお婆さんが、あなたと別れた後に、何者かの手によって殺害されてしまったのですよ」
「そんな……本当ですか?」
ソフィが悲痛な顔で私の方を見た。私は何も言わずに頷いた。
「それで、あなたが一緒に歩いているところが目撃されていたので、お話を聞かせていただいているわけです」
「そう……ですか」
ソフィは目を落とした。私の視線もそれにつられて、ソフィの膝に置かれた手が映った。その左手には、まだ肌色のテープが巻かれていた。少し見ただけでは気づけない色合いだったが、それを見逃す青砥刑事ではなかった。
「その左手はどうされたのですか?」
「あぁ、これは、お恥ずかしい話なのですが、先日料理をしている時に怪我をしてしまって」
二人の刑事は、まだ何も立場を変えていない。ソフィを見る眼差しは、依然として獲物を追う狩人の眼だった。
「実は、被害者の爪からこんなものが発見されていましてね」
青砥刑事がそう言って差し出した写真には、小さな皮膚片が映っている。ソフィはそれが何か分からないのか、写真を見つめたまま首を傾げた。
私はまだ、警察がソフィを特定した経緯を聞いていない。あの場にソフィがいたという証拠が、監視カメラの映像だけだとは、一言も言われていなかった。
「鑑識の方で調べた結果、これは人工皮膚片だということが判明しました。さらに、その成分を詳細に調べてもらったんですが、その結果、ある製品に使用されたものとほとんど一致しました。ソフィさん、あなたの皮膚です」
――ソフィさんは問題なんて起こしていないわ。そうでしょ?
私の心の奥底で、また誰かが囁きかける。
――あなたは、ソフィさんのことは信じているのよね?
それは……。その問いかけに、私は答えられなかった。