第二章 二
警察との二回目の話し合いを終えた翌日、私たちは予定していた全試験を完了させた。想定外の問題なども見つからず、この研究所で製作されたアンドロイドには、犯行は不可能だということは判明した。当たり前の結果でも、一人の人間は救われたようだ。
「まあ、それはそうだよな。何かあったら最近じゃ聞かないレベルの責任問題だし。とりあえず俺の首は守られたわけだ」
試験を終えた私たちは、一度休憩を取ることにして研究室を出て、またテレビ前の休憩スペースで休んでいた。他には一人で休憩している研究員がちらほらといる程度で、私たちのことを気にかけている人はいない。
神田主任がテレビをつけると、いつか見た人物がワイドショーに出演していた。
「うわ、また出てる」
舞島さんは嫌悪感を隠そうともしない。その相手はもちろん、社会学者の横山だ。
ワイドショーでは丁度私たちが捜査協力をしている、浮舟歩佳さんの件が取り上げられていた。
緊急! 高齢女性が自宅で殺害 アンドロイドの犯行か!?
スタジオの大型ディスプレイには、必要以上に目立たせた議題が映されている。
「おいおい、捜査情報じゃないのかよ」
神田主任があきれて声を上げる。あの刑事たちの話によれば、事件だというのは世間には公表していなかったのではないだろうか。それともその話は捜査当初の話で、今はそういうわけではないのかもしれない。
しかし、アンドロイドが事件に関与しているかもしれない。という話をするのは、軽率な判断ではないだろうか。誇張されて報道されるのが目に見えているし、現にこうして、アンドロイドが犯人だというかのように報道されている。神田主任があきれるのも当然だ。
「どれだけ隠そうとしても、メディアはこういうのをどこからか嗅ぎつけてきますからね。警察に張り付いている人もいるって話を聞いたこともありますし」
水無月さんもそう言って、ため息をついた。活き活きとしているのは、テレビの中にいる横山だけだ。
「私はね、こうなることを危惧していたのですよ。以前話した教授はね、人型アンドロイドに危険性は無いと言っていましたが、こうやって事件になっているじゃないですか。我々はアンドロイドにはこういう危険性があるんだってことを理解して、声を上げていかなくちゃあいけないんです」
相変わらずジェスチャーの大きい人だ。それにしても、なぜこの男はアンドロイドが犯人だと決めつけて、会話を進めているのだろうか。前後の話を聞いていないから分からないが、ニュースとしてもそういう方向で話を進めようとしているのだろうか。メディアが公平で正しい報道をしているとは思わないが、この事件に関しては、あまりに偏った報道ではないかと思ってしまう。実際は、普段気にしていないだけで、こういった報道が多いのかもしれないが。
「亡くなられたのは市内に住む浮舟歩佳さん。八十歳近いご高齢でしたが、周囲の人からはとても元気で、親しみやすい人物だったと言われています。事件当日に浮舟さんと接触のあったアンドロイドは未だ詳細不明となっており、事件との関わりが疑われています。万が一アンドロイドが事件に関わっていた場合ですが、こうした事件は過去に例が無く、今後の人工知能研究に大きな影響を与えると、専門家は見ています」
犯人を決めつけているわけではないが、アンドロイドが犯人だという方向で進めたいらしい。専門家も呼ばずに、声が大きいだけのアンドロイド否定派ゲストを呼んでいるのがいい証拠だ。お茶の間で見ている視聴者には、ショッキングで話題性の高いニュースを見せておけば良いんだよ。とでも考えているのだろうか。テレビ業界もずいぶん昔から厳しいという話は聞いたことがあるが、注目と数字を求めるだけの報道に価値があるのかというのは甚だ疑問だ。
テレビから聞こえる根拠のない主張を右から左に聞き流していると、画面が変わり街を歩く人々が映された。どうやら街の人へのインタビュー映像を流し始めたらしい。六十代くらいの二人組の女性が映し出され「人型アンドロイドについてどう思っていますか?」というテロップが流れる。
「アンドロイドねぇ。私たちみたいなのにはあんまり関係ないけど、実際どうなの? って思っちゃうわよねぇ。すごいすごいって言われても、こっちは何がすごいのかわかんないんだもん」
「そうそう。こういう風にすごいんだ! って言われても、へぇ、すごいんだぁ。としか言えないわよねぇ。一回近くで見たことあるけど、あのほっぺのやつが無かったらアンドロイドだなんて分からないし、なんかすごいんだなっていうのは分かるんだけど」
二人は相槌を打ちながら、大きな声で笑った。「そりゃ、何にも気にしてないおばちゃんには分からんでしょ」と舞島さんがツッコミを入れる。
「でもあれよねぇ。アンドロイドは危ないぞって言う人もいるから、どうなんだろうとは思っちゃうわよねぇ。私らなんて特に詳しいわけでもないからさ。ちょっとでも危ないことがあるって言われたら心配にはなっちゃう」
世間一般の認識というのは、こんなものなのだ。専門家の話は難しい。どれだけ簡単に話を進めようとしても、特定の知識を必要とする話をするのだから、理解にはどうしても考えることが不可欠だ。一方で否定派の意見は簡単だ。危険だ。研究をやめろ。製造を中止しろ。とりあえず声を大にして反対しておけばいいだけなのだから。
画面が切り替わり、二十代のサラリーマン風の男性が映る。
「人工知能とかAIは仕事で触ることがあるんですが、個人的には便利だなと思っています。いちいち調べ物をしなくても答えが返ってきますし、うまく使えば面倒な作業を全部やってくれるわけですから。今以上に便利になるなら、どんどん推進していってもらいたいですね」
次は七十代の男性。
「あぁ、あれね。最近見かけるよなぁ。おれぁ、ああいうのはあんまり好きじゃないね。人の温かみってやつが足りねぇよなぁ」
「あ、そうなんですね。アンドロイドは優しくないですか?」
「いやぁ、優しいとか優しくないとかじゃなくてなぁ。あれだろ、前にテレビで言ってたけど、あいつらには感情が無いんだろ。それを聞いてからさぁ、あいつらが笑顔で近づいてくると、何考えてんのかわかんなくて、怖くなっちまったんだよ。あいつら別にこっちに優しくしてあげようとか、年寄りだから親切にしてやろうなんて考えてないんだろ。しかも、こっちは何にもしてねぇってのに。適当にあしらうことだってあるんだぞ。それなのに、ずっとにこにこして優しくされるわけだから、一体こいつらは何なんだって」
そういうものなのか。と意表を突かれた。人型のアンドロイドに限らず、人工知能を有する機械は人に友好的に接するようにプログラムされている。人のために開発されているのだから当然だが、人によっては、その優しさが不気味なものに感じてしまうのか。相手が人ならざる存在ということもあるが、このお爺さんが言うことを全く理解できないわけではなかった。他の人はどう感じているのだろうかと、三人の顔を盗み見る。三人とも平常時と変わらず、お爺さんのインタビューを気にしている様子はなさそうだった。
画面がスタジオの映像に戻り、キャスターがインタビューの内容を振り返り始める。アンドロイドに対する人々の印象がどうだとかいう話をしていた気がするが、私の頭には入ってこなかった。
既に顔も思い出せないお爺さんのセリフと、他の誰よりも見ている顔が、私の頭の中をぐるぐると巡る。
ソフィは私のことをどう思っているのだろうか。「あいつらには感情が無いんだろ」お爺さんの言葉に、いつかの光景がフラッシュバックした。
――雨が降っていた。
小さな私を抱えるソフィの頬に水が流れている。彼女は痛みではない何かに顔を歪め、まるで泣いているかのようにも感じた。
涙?
そんなわけがないと思っていた。事故に遭って、記憶も定かではない私が見た幻覚だと思っていた。
ソフィと視線がぶつかり、その大きな瞳が、さらに大きく開かれる。驚いているの?
「…………ぁ…………あ、い?」
その瞳が震えて、一滴の水が私に落ちる。
あれは本当に雨だったのだろうか。それとも――
突然、低く唸るような大きな音に、私の意識が現実に戻される。テーブルの上に置かれていた神田主任の端末が、大きな音を立てて震えている。電話のようだ。画面には「青砥刑事」と表示されている。神田主任は端末を手に取って、その場で応答した。
「はい、神田です。お疲れ様です。はい、はい。えぇ、大丈夫です。今ですか? 研究所にいますよ。はい、全員います」
水無月さんがテレビのリモコンを取って消音モードにした。それでも端末から漏れてくる音は聞こえなかったが、私たちは事件の進展を気にして、神田主任の様子を静かに見守っていた。
「はい。そうですね、特に出かける予定はないと思うので、それは問題ありませんが。……本当ですか! それが分かれば再現実験も進められますね。えぇ、ありがとうございます」
アンドロイド判明。と神田主任が口パクで伝える。「おぉ」「ついに」と、二人が声を出さずに言った。
「……はい? はい……。それは、問題ありませんが……」
ふいに不審がる声になった神田主任と私の視線がぶつかり、そして外される。明らかに私の方に視線が向けられた。それだけでなく、先ほどまでの相槌も少なくなっている。よくない雰囲気を感じ取ったのだろう。他の二人も、心配そうに耳を傾けている。
「間違いないんですか? そうですか……。わかりました。まずは私の方から伝えます。はい。刑事さんたちは? こちらに向かわれるんですね。はい。お待ちしております。はい、ではまた」
電話を切った神田主任が一度大きくため息をついた。アンドロイドが判明したというのに、それ以上に何か憂うことが出来てしまったようだ。
「え、何があったんですか?」
「……ふぅ。まずは、事件当時に浮舟さんと一緒にいたアンドロイドが判明したらしい。で、そのアンドロイドの製作元と、現在の管理者をあらってもらった。そしたら、一件だけヒットした」
一件だけ。ということは、アンドロイドの機種だけでなく、接触があった機体本体が見つかったということだ。これで疑惑のかかっている機体で再現実験を実施することが出来る。予想していたよりも良い結果だと言える。それにも関わらず、神田主任はおろか、私を除いた三人全員が次の言葉を待っていないのは、神田主任の態度を見てのことだろう。
「詳しい話は、この後青砥刑事たちがやってくるから、そこでも話すが、とりあえず全員ここで待機。何か用事があって、いま直ぐ帰らないといけないやつとか、いないよな?」
「今日帰れないとかでなければ、私は大丈夫ですが……」
「僕も同じくですね」
「問題ありません。必要があればここで泊まります」
「泊まりって名雪……ないですよね?」
電話をしている途中、神田主任が私の方をちらりと見たことは、おそらく二人とも気づいていない。しかし、私と神田主任の様子から、私に関して何かあったのだと察していた。
こうして、大して必要とも思えない確認をしているのは、たぶん神田主任の戸惑いと、優しさの表れだ。
私は何を言われるか、なんとなくわかっていた。
神田主任はこめかみに手を当て、もう一度、今度は短く息を吐いた。やがて決心したように顔を上げ、まっすぐ私を見据える。
「特定されたアンドロイドは、製造元、株式会社Teck×Life」
舞島さんは私の方に振り向いた。顔を見なくても分かる。その目は驚愕に見開かれている。
「製造責任者、名雪慶一郎、名雪沙奈恵」
視界に映る水無月さんの顔がこちらを向いた。どうやら彼も何が起きたか理解したらしい。
「機種名、SOfT Life。現在の管理者は……名雪彩生」