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第一章 五

 朝食を食べ終えたあと、食器の片づけをソフィに任せて、早々に自分の部屋に戻った。部屋の中は、ついさっきソフィが整えてくれたので、ベッドにはしわ一つなく、磨かれたかのようにフローリングの床が、朝日を反射してまぶしいほどだ。

 机の上には、昨夜調べていた資料の束が置かれている。そのほとんどが自分のメモだ。科学技術の発展し続けている時代だが、デジタルなメモよりも、アナログなメモのほうが都合が良いと言う人は、今でも少なくない。私もその一人だ。

 事故の影響か、私は記憶力が悪い。人の五感による知覚の割合は、視覚が八割だと言われているが、見て覚えることが苦手な私は、触覚でその処理能力を補っている。時間をかけて文字を書くと、その分言葉として印象に残りやすいのかもしれない。

 パソコンの電源を入れて、一通りの機能が立ち上がるのを待つ間、書類の束に目を通す。

 調べていたのは、医療用のアンドロイド開発について。

研究チームでの会議で、医療用アンドロイドが犯人の可能性があると意見を出したが、私より知識も経験もある二人が、その考えにいたらなかったのには、おそらく、大きく二つ理由がある。

一つは、医療用アンドロイドは、ほとんどが医療行為を施すことを目的としたものではないということ。あの日テレビで岩倉教授が、特に医療分野では、なくてはならない存在になりつつある。といったのは、この大部分に当たる用途のことだろう。

一般に――医療用アンドロイド自体が一般的ではないということは、ここでは置いておくが――医療用アンドロイドは、人工臓器を活用した、臨床試験に利用されている。端的に言えば、人型のモルモットだ。

この数十年で発達してきたのは、アンドロイドのような科学技術だけではない。物理化学、生物学、医学の発達により、人工臓器

の開発も進んでいる。

従来の人工臓器は、臓器の役割を果たす機器を利用していたが、最近では、実際の臓器や細胞から培養した、生体的な臓器が活用されている。これまでの人工臓器では代替できなかった機能も、元から人に備わっていた臓器であれば、何も問題はない。いわば臓器移植と同じことなのだから。

しかし生体的な人工臓器も完璧な臓器ではない。臓器移植と同じく、拒絶反応が出る可能性がある。人工臓器のほうが拒絶反応が出る可能性が高いという話を聞いたこともある。

そこで白羽の矢が立ったのが、アンドロイドだった。痛みを感じず、失敗しても死のリスクがない。量産こそできないが、何度でも、どんな臨床試験でも実施することが出来る。人のように、一つの生命体としては動いていないが、一部の臓器の試験を実施するだけなら、まさに理想の実験体だ。

 そんな機体が外を出歩けるはずもなく、基本的に病院か研究施設に軟禁状態だと、誰でも予想がつく。だから普通は、医療用アンドロイドが犯行など考える余地もない。

 二つ目は、私が個人的に医療の知識をある程度持っていたことだ。ほとんどは脳神経外科医だった父親に関することだが、両親のことを調査するうえで、医学的な知識が必要になることも多かった。気づけば自分の部屋にある本棚の一つが、脳科学や生化学を中心として、様々な医学書に埋め尽くされていた。

 結局は母の後を追って、アンドロイド研究の道に進んだのだが、ソフィは私に、両親と同じ道を歩んでほしくはなかったようだ。今でこそ言われなくなったが、私は私のやりたい道を進めばよいと、それこそ親のように何度言われたことか。

 両親の職業と事故の関連性はどこにもない。私が医者になろうが、研究者になろうが、両親と同じ道を辿るわけではなく、同じように事故に遭うわけでもないというのに、何故そんなことを言われていたのだろうと不思議だった。それは今でも解決しているわけではないが。

 手に取った書類には、人工皮膚の製作方法や、活用例が一覧形式で書かれている。被害者の爪に人工皮膚片が入っていたというのは、紛れもない事実だ。少なくとも、亡くなる前に人工皮膚を持つ何者かと接触をしていたことに疑う余地はない。

 アンドロイドが人を殺せるかどうか、という問題が解決できない場合、別の視点からの捜査が必要だろう。そんなことは警察の役割だということは理解しているが、あの刑事たちと事件の相性は決して良くはない。事件としての捜査を彼らに任せて、専門的な調査をこちらで請け負うのが道理だ。そして、関係者の中でこの道に一番明るいのは、間違いなく私だ。被害者には悪いが、事件自体には何の思い入れもない。私の関心は、この事件の先にある、アンドロイドの可能性に注がれている。だから、この事件を解決することは、私にとっても非常に大きな意味を持っている。

 壁に掛けられたディスプレイに、検索用のブラウザと、昨日調べている途中だった資料が映される。

 そこで、ドアが三度ノックされる。

「彩生、入ってもいいですか?」

 首だけを九十度回して「いいよ」と返事をする。

ドアが開かれ、タンブラーを乗せたお盆を持ったソフィが入ってきた。デスクの端のほうにタンブラーが置かれると、中に入った氷がカラリと音を立てた。

「楓さんからもらった紅茶で、アイスティーを入れました。今日も暑くなるみたいなので、しっかり水分を取ってくださいね。家の中でも熱中症になるんですから」

 クーラーの効いた部屋で熱中症になるとも思えないが、水分不足にはなりやすいので、アイスティーを一口飲む。職場で嗅いだことがあるような香りがした。

「舞島さん、いつの間に家に来たの?」

「いえ、うちに届けてもらったわけじゃありませんよ。この前彩生を研究所に送った後に、ちょうど楓さんと会ったので、お話をしていたら、良い茶葉が入ったからと、送っていただけることになって、それが昨日届いたんです」

 舞島さんとソフィは仲が良い。ソフィにはいつも研究所まで送ってもらっているが、舞島さんと出勤時間が被った時は、必ずと言っていいほど二人の雑談が始まる。

 私自身そんなにお喋りというわけでもなく、二人の話を隣で聞くだけのことが多い。舞島さんとも全く仲が悪いわけではないが、二人の様子を見ていると、本当に仲が良いんだなと感じる。

 ソフィも舞島さんも、世間一般の人と比べて非常に友好的だ。だからお互いに気が合うのだろう。毎日一緒にいるとつい忘れてしまうが、ソフィには人に好かれる要素しかないのだ。嫌われるとしたら、嫉妬かアンドロイドに対する嫌悪感くらいのものではないだろうか。

「そうなんだ、何かお返しをしないとね」

「そうですね、何がいいでしょうか? 楓さんの好みといえば紅茶ですが、紅茶のお礼に紅茶を送るのも変ですよね」

「あの人なら、それでも喜びそうな気がするけどね」

「うーん、それはそうかもしれませんが、せっかくなら違うものを送ってあげたいじゃないですか。何がいいですかね……あっ、せっかくだから、日奈ちゃんと一緒に使えるものとかよさそうじゃないですか?」

「日奈ちゃん? あぁ、娘さんの。いいんじゃないかな。何歳になるんだっけ?」

 舞島さんの娘の日奈ちゃんとは、何度か会ったことがある。以前あった時は、確か小学生に入ったばかりだったような気がするが、よく覚えていない。

「この前偶然ショッピングモールで会ったんですが、そろそろお誕生日で、八歳になるって言っていましたよ。手元に残るものは好みとかあるでしょうし、使いきれるものがいいですよねー」

 もはや職場の同僚である私より詳しいことに違和感はない。むしろ私よりも、ソフィのほうが子供にも好かれるはずだ。たぶん、ソフィが二人に似合うだろうと贈ったものであれば、実際二人の好みに合うだろうし、舞島さんも日奈ちゃんも喜んで使ってくれるのではと思った。

「それなら食べ物とか、日用品とか」

 そう思うだけで、無難に消えものを提案した。ソフィのセンスは信じているが、私に意見を求められても困るからだ。

「それがいいかもしれませんね。いくつか候補を挙げておくので、一緒に決めましょうね」

 楽しそうに言うソフィに、ほら見たことかと心の中で呟く。

「これ……本当に仕事の調査ですか?」

 突然、ソフィが訝しむように言った。その発言に違和感を覚えて振り返る。

「そうだけど、何で?」

 私の視線に気づいたようで、ソフィは慌てて取り繕ったように見えた。

「え、あぁ、別に何でもないですよ。ただ、いつもこんなこと調べてたかなーって思っただけです」

 ソフィは何かを否定するように、顔の前で右手を振った。その手の奥、お盆を胸の前に持つ左手の中指に、肌色のテープが貼られているのが見えた。

「最近、ちょっと別の案件が来たから。ところでそれ、どうしたの?」

 私の質問の意図が分からず、ソフィは小首をかしげた。

「それってどれですか?」

 私が左手を指さすと、ソフィはさっと左手を隠した。

「あ、これは……ちょっと昨日の夜、料理中に怪我してしまって」

 ソフィは恥ずかしそうに視線をそらした。

 怪我?

 嫌でも一つの可能性が頭に浮かぶ。女性型のアンドロイド、人工皮膚片、指の怪我。

 事件があったのは研究所の近くの住宅街。被害者とアンドロイドの姿を見られたのは何時だったのだろうか。そのころソフィはどこにいたのだろう。朝なら少なくとも、私を送った後だから研究所の近くにいたはずだ。

昼なら? 夜だったら?

「彩生、どうかしましたか?」

 その言葉で我に返る。ソフィはキョトンとした表情で私の顔を覗き込んでいる。

「何でもないよ」

 そう答える時には、私は平静を取り戻していた。

「そうですか。ならいいのですが」

 ソフィは何でもなさそうに、かがんでいた上体を起こした。

これは偶然だ。事件とは一切関係のないことだ。事件があったのは数日前で、これまでにソフィの手を見る機会はいくらでもあったが、そのテープに気づいたのは今朝になってからで、昨日の夜に怪我をしたという証言と一致する。それに、怪我がばれた瞬間と、今のソフィの表情が物語っている。ソフィは怪我がばれて恥ずかしがった、それ以上に気にしている様子はない。ソフィが犯人だった場合、それは恐れることで、恥ずかしがるわけがないのだ。さらに言えば、ソフィがあの祖母と接触する理由もなく、接触したとしても、殺す理由など欠片ほども存在しない。それに自分で言ったはずだ。一般用アンドロイドに犯行は不可能だと。

言い訳がましくなってしまった推理をまとめて、ディスプレイに向き直る。あり得ない妄想を膨らませるよりも、私にはやるべきことがあるはずだ。

「それじゃあ、私はこの辺で。お昼になったら声を掛けますけど、何か用事があれば呼んでくださいね」

 ソフィはそう言って、部屋から出て行った。静かに扉が閉められる音を背中で聞いて、小さく息を吐いた。

 昨夜の調査も含めて、この半日で急に考えなければいけないことが増えたような気がした。調査を始める前に、一度頭の中を整理しようと、アイスティーを口に含んで、何度かにわたって飲み込む。

 昨日の時点では、まだ警察から人工皮膚片の詳細な情報は届いていない。基本的には、アンドロイドによって使われる素材が大きく異なるということはない。素材に含まれる成分の違いから、どこが製作したものか特定しているのだろうが、参考にできるのがあの小さな皮膚片だけだということを踏まえると、正確に特定することは難しいかもしれない。コストの違いから、美容用か医療用はハッキリと違いが出るはずだから、せめてそこまで判明してくれれば、やりようはいくらかあるのだが……

 私はそこで考えることをやめた。この件は、これ以上気にしても仕方がない。昨夜に数時間をかけて人工皮膚の成分表を用意したから、後はおとなしく警察の調査結果を信じて待つことにしよう。

 そしてもう一つ、警察を信じなければいけないことがある。それは、これが事故ではなく、事件だということ。被害者は何かしらの理由をもって殺されたという大前提のもと、この事件に向き合わなければならない。殺人事件の捜査に関しては、素人でしかない私がどれだけ考えたところで、警察の捜査を覆す推理などできるはずもない。

鋭く私たちを見つめる、青砥刑事の眼を思い出す。あの刑事たちが事件だと判断したのだから、そこを疑っては話がこじれるだけだ。

私が考えるべきことは、なぜ犯人は浮舟さんを殺したのかということだ。それこそ警察の仕事だと言われてしまうだろうが、それは違う。犯人が人なら良い。それは警察が動機を考えるものだ。しかし、この事件の容疑者はアンドロイドだ。その場合、人と同じように考えてはいけない。人が人を殺すには嫉妬や怨恨、復讐、怒り、絶望といった感情がつきまとう。

 しかしアンドロイドは、それが理由で人を殺さない。であれば、それ以外の、それ以上の理由があるはずだ。人を傷つけてはいけないという制約を反故にし、相手を殺してでも成し遂げなければいけない何かが。

 気づくと、目の前の画面には、一つの会社のホームページが開かれていた。考え事をしているうちに、ブラウザのブックマークに登録しているページを開いてしまったようだ。

 そこには「生活のための科学をあなたに」というキャッチコピーが大きく表示されている。

 下にスクロールしていくと、何度も見た目次が流れていく。

 「ストレスのない幸福な生活のために」

 その見出しとともに、見慣れた顔が表示されている。株式会社Teck×Lifeの主要製品だったSOFFEの顔だ。

 ふと「幸福な生活のために」という文字が浮かんだような錯覚がした。

 幸せのために――

 私はさっきの自分の考えに、一つの理由を追加した。時に人は、大切な人のために、愛情をもって人を殺すのだと。

だとしたら。

私は目を伏せた。デスクの上には、飲みかけのアイスティーが置かれている。

アンドロイドは、大切な人のために人を殺せるのだろうか。そんなことが出来るなら――

そんなのまるで、人間みたいじゃないか。

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