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第一章 一

「あら、名雪じゃない。おはよ」

 四階から降りてくるエレベーターを一人で待っていると、聞きなじみのある声が、後ろから聞こえた。

 振り向くと、そこには同じチームで働いている、舞島さんが立っていた。

「おはようございます」

 ひらひらと手を振る舞島さんに頭を下げる。

「なんか今日、外騒がしくなかった?」

 そう言って、舞島さんは私の横に並んだ。

「そうですか? あまり気にしていませんでした」

「んー、なんか来客っぽかったんだよね。守衛のおじいちゃんも受付の子も、道案内みたいな電話してたし」

「今日は、監査の予定は入っていなかったと思いますが」

 私たちは国営の研究所に所属しており、監査目的で他所から人がやってくることがある。今日はそういった予定は入っていないから、来客という舞島さんの予想が合っているなら、予定外の来客なのだろう。

 それに、道案内が必要だというなら、普段はこの施設に用がない客ということになる。

 ここは主にアンドロイドの開発、研究を目的とした研究所で、機体を製造する工場も併設されているため、敷地面積はかなり広い。似たような外観の建物が並んでいるため、ある程度慣れていないと迷子になってしまう。と守衛の人から話を聞いたことがある。

「そうだよね。少なくともうちの部署では聞いてないし、何かあったのかもね」

 そんな話をしているうちに、エレベーターが一階へ到着した。二人で乗り込んで、三階のボタンを押す。

「それにしても、随分暑くなったよね。梅雨はジメジメしてて嫌だけど、明けたら明けたでこの暑さでしょ。自然の容赦のなさを思い知るわ」

「今日の最高気温は三十六度だそうです。これで三日連続の猛暑日ですね」

「うわぁ、そりゃ暑いはずよ」

 連日の猛暑日に、天気予報では「熱中症に注意しましょう」が合言葉のようになっている。ニュースを聞いている限りでは、今年も既に、熱中症で病院に運ばれる人が続々と出ているようだ。

 エレベーターが三階に止まり、ドアが開く。

 三階はエレベーターの目の前が、広い待合兼休憩スペースになっており、その一角にはテレビも設置されている。昼や夕方には食事をする人や、軽いミーティングをする人であふれているが、朝はそこまで人が多くはない。今も、テレビの前に二人組の男性が座っているだけだ。

「あれ、神田さんと水無月君じゃん。何してるのかしら」

その男性二人組は、私たちと同じチームメンバーの、神田主任と水無月さんだった。

 私たちは神田主任をリーダーとして、この場にいる男女二人ずつの、四人でチームを組んで研究を行っている。三十代前半と若くして主任の地位に就いた神田主任に、他の三人も平均年齢三十歳と、研究所の中でも比較的若いチームだ。

舞島さんは研究室には向かわず、まっすぐ二人の元へ歩きだし、私は舞島さんの後を追った。

「おはようございます。二人そろって何してるんですか?」

 二人がこちらに気づいたところで、舞島さんが声をかけ、私もそれに続いて挨拶をした。

水無月さんは会釈とともに挨拶を返し、神田主任は右手を軽く上げた。

「ちょ~~っとだけ研究が上手くいってなくてね、息抜き中」

 神田主任は上げた右手の人差し指と親指を、すれすれまで近づけて言った。この人がこういう時は、すぐには問題を解決できないことのほうが多い。

「もしかして、昨日泊まり込みでした?」

「いや、泊まってはいないよ。今朝早く入っただけ。だから今日は早めに上がる予定」

 神田主任はあくびをかみ殺して、テーブルに置かれていたペットボトルのお茶をあおった。

「僕も今日は早めに上がります。主任の手伝いも、今日中には終わらなさそうですし」

 水無月さんの言葉に、神田主任は不貞腐れながら答える。

「すみませんねぇ、まだまだ時間がかかりそうで」

 そんな態度の神田主任に、愚痴をこぼした水無月さんは笑っていた。そこまで不満には思っていないのだろう。

 私たちの研究内容は、汎用型AIにおける自律的な情報処理能力の確立だ。と説明をしても、一般人には伝わることが少ないため、人に話をするときは「アンドロイドが人のように考えて行動するための研究」をしていると言うと、概ね理解してくれる。

「あ、この人またテレビ出てる」

 舞島さんの言葉に、私を含む三人の視線がテレビに注がれる。

 画面では朝のニュース番組が放送されており、ゲストとして社会学者の横山誠二という男と、O大学でアンドロイドの研究をしている、岩倉教授が出演していた。

 この横山という男は、はっきりとした物言いから、世間からの好みが二分されているらしい。ここ数年は特に、アンドロイドが社会に及ぼす危険性というものを、声を大にして言っている。

「アンドロイドというのは、既に我々人間を脅かす存在になっているんですよ。ここ十年で急速に人型アンドロイドが普及し、普段の生活の中で、彼らを目撃することも多くなりました。彼らは機械ですからね、人間にはできないようなことも平気で実行できます。我々に近いところで言えば、生体認証なんかは簡単に突破できるでしょうね。さらに、その頭脳を悪用しようと思えば、どんな犯罪だって可能になってしまう。そういった暴走の危険性があるということが、一番の問題なんです」

 犯罪や危険といったわかりやすい言葉を強調し、大きなジェスチャーを加えて話している姿は、何も知らない人からすると、わかりやすい説明をしてくれる人という印象になるのだろうか。

 そんな横山の発言に、ニュースキャスターの男性が反応する。

「横山さんが危惧されるような危険性は、世間でも問題視されています。国はそのための政策として、二十年程前に人型アンドロイドが世に発表されてから、人型アンドロイドの製作・販売に関しては、新たな法律を制定しています」

 ニュースキャスターがそう言うと、スタジオのスクリーンに、法律を簡単にまとめた資料が表示された。

人工知能をもつ機械に関する法律

・他者に不利益を与えることを目的とした機械を開発してはならない

・法律に抵触する可能性のある機械の開発には、国家資格の取得と、開発申請書・開発設計書の提出が必要

・人に危害を加える行動を抑制する機能を、一定数搭載しなければならない

・緊急時には、即座に全ての機能を、手動で停止することが出来なければならない

 もちろん他にも詳細なものはあるが、わかりやすいところを抜き出すと、このあたりだろうなと思った。

「これらは人型アンドロイドが人へ危害を加えないために、法律で定められているものです。この他にも数多くの厳しい条件を満たさなければ、アンドロイドを開発、販売することは出来ません。岩倉さん、このアンドロイドの安全性については、いかがお考えでしょうか」

 話を振られた岩倉教授が画面に映った。

「おっしゃる通り、人型アンドロイドの開発には非常に多くの制限がついています。これはアンドロイドが暴走することを防ぐためではあるのですが、おそらく、横山さんのおっしゃる暴走と、我々のような研究者が考える暴走は異なるものだと思っています」

「それはどのように違うのでしょうか?」

 キャスターの質問に、岩倉教授は続ける。

「一般に人々が考える暴走というものは、アンドロイドが製作者や利用者の制御から外れて、誰かに危害を加えるとか、罪を犯すとか、そういったものを想定されているのだと思っています」

 横山は黙ったまま、しかめ面をして教授の話を聞いている。

「一方で、研究者の考える暴走とは、設定された許容値を超えたことで、彼らの防衛機能が過剰に実行されることを指しています」

「それのどこが違うっていうんですか」

 横山が大きな声で口をはさんだ。教授は特に気にする様子もなく説明を続ける。

「まず、皆様に理解していただきたいのは、現在開発されているアンドロイドには、自我というものは備わっていないということです。これは感情と言い換えてもいい」

 教授の言葉に、キャスターは驚くような声を出した。

「岩倉さん、アンドロイドに自我が無いというのは、ちょっと意外なお話ですね。人型アンドロイドではありませんが、例えば、介護現場などで利用されている、いわゆるおしゃべりAIがありますよね。画面に架空の人の姿を映し、会話を楽しめるものです。それは特定の返答パターンがなく、表情も豊かで、本当の人と話しているようだと評判ですが、それは自我や感情とは違うのでしょうか?」

「良い質問ですね。では、その例に倣って説明しましょう。おしゃべりAIには、言語や喜怒哀楽に関する、様々なデータと点数のようなものが備わっています。広辞苑の内容を一字一句覚えている人はいないでしょうが、AIであれば簡単です。その語彙力をもってすれば、様々な返答や会話をすることが可能です。あとは人工知能としての精度の問題だけですから」

 それまで黙ってテレビ画面を見ていた神田主任が、ぼそりと「簡単に言ってくれるなぁ」と呟いた。

「そして感情についてですが。例えば、良い挨拶をされたら喜びにプラス一点、悲しみにマイナス一点、相手が泣いていたら喜びにマイナス二点、悲しみにプラス二点、のような感じで点数を数え上げます。そして、ある感情の点数が決められた点数を超えたら表情を変える。簡単に説明をすると、こういう仕組みになっているわけです」

「それは感情とは違うのでしょうか。点数付けこそしていませんが、私たち人間も似たようなことをしていると思うのですが」

「そうですね。しかし、私たちの喜怒哀楽は自然と備わっていくものですよね。誰かから、これをされたら喜びなさい、と決められたものではありません。アンドロイドはそこが逆なんです。誰かが喜怒哀楽を定義してあげないと、それが喜びなのか悲しみなのか判別できないんです。極端なことを言えば、何をされても悲しむ、というプログラムにすれば、喜怒哀楽が哀哀哀哀になってしまうし、何も定義しなければ、喜怒哀楽のないものになってしまうというわけなんです」

 岩倉教授が話し終えると、横山はあまり納得していない様子で質問を投げかける。

「岩倉さんの話は分かりますよ。でもそれとこれとは話が違うんじゃないですか? 実際のところ、アンドロイドに怒りというパラメータは存在していないわけじゃないでしょう」

「えぇ、怒りの感情も定義されていることが多いです」

「私が気にしているのは、その負の感情が溜まったら、アンドロイドが何をするか分からないということです」

「横山さんがおっしゃっているのは、こちらの『危害を加える行動を抑制する機能』についてだと思うのですが、実際にアンドロイドが人に危害を加えることはあるのでしょうか」

 少しの間、画面上にスクリーンの一部が大きく映し出される。

 その質問に岩倉教授は即答せず、考えるような仕草をした。

「まず、人のように嫌な気持ちを溜めこんで、ある日突然発散する、ということはありません。怒りの感情を定義していないものもありますし、定義されていても、継続的に負の感情を減衰させる仕組みが備わっているからです。さらに言えば、アンドロイドは怒りを感じづらいように設定されているものが多く、人の数十分の一ほどしか怒りを感じさせないようにしている。という機体もあります。こうした結果になっているのは、わざわざ怒らせる必要がないからです。私が知る範囲だと、専門機関での実験目的か、子供への教育を目的とした場合か、それくらいしか思いつきませんね」

 その通りだ。どうすればアンドロイドが怒るのか、なんて考えているのは、一部の悪戯好きな子供たちと、私たちのような研究者だけだろう。

――じゃあ、何で彩生はそんな研究をしているの?

 いつか知人に言われたセリフを思い出す。

もしかしたら私は、感情というものが何なのかを、知りたいだけなのかもしれない。

「それは答えになっていないでしょう。結局、アンドロイドが人に危害を加える可能性は、確実にゼロだと言えるんですか?」

 画面の中の横山は、問い詰めるように言った。

「私この人好きじゃないわ。普通に考えて、『絶対』なんて言える研究が世の中にあるのかって話よ。それでゼロじゃないって言われたら、大げさに喚くんでしょ」

 舞島さんの言葉が現実になるように、画面の中で会話が交わされる。

「確実にゼロだという保証はありません。アンドロイドに限らず、プログラムで動くものは、想定しない動作をする可能性を常に持っていますから。しかし、そうなる可能性は非常に低いと考えています」

「危険性がゼロじゃないものを、世に解き放っているというのがそもそも間違っているとは思いませんか?」

 舞島さんは「ほら見ろ」と口をとがらせる。

「私はそうは思いません。リスクとリターンを秤にかけて、リターンが大きいものを発展させる。これまで人類がやってきたことと同じです。現にアンドロイドは、様々な分野で需要が大きくなっています。特に医療分野では、なくてはならない存在になりつつあるとまで言われていますから」

「さて、そちらのお話は、この後詳しく聞いていきたいと思います。それではここで一度、天気予報をお伝えします」

 画面がスタジオから変わり、一人の女性キャスターが映し出される。それと同時に、九時を知らせるチャイムが鳴った。

「それじゃ、そろそろ行きますか」

 神田主任は大きく伸びをすると、立ち上がって研究室へと歩いていった。

 消される直前のテレビ画面では、女性キャスターが熱中症の注意喚起をしていた。

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