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婚約者を解放してあげてくださいと言われましたが、わたくしに婚約者はおりません

「奥様。アイリーン・ユリファ子爵令嬢が奥様を訪ねておいでですが……」


「お約束もなく、面識もないお方だけども……ユリファ子爵とは面識があるからお通しして」


「かしこまりました」


 いつも通り、家で領地の仕事をこなしていると、突然来訪者が現れました。アポイントもなく、面識もないお方のため、わたくしもメイドと目を合わせて首をかしげます。お父様であるユリファ子爵とは面識があるため、お断りすることもできません。

 




「マリエル様を解放してあげてください! 別れたがっている、マリエル様を脅して結婚しようとするだなんて、最低ですよ!」


 ハンカチを握りしめ、勇気を出した様子でそう語るユリファ子爵令嬢。ピンク色のふわふわした髪に愛らしい容姿で今にも泣きだしそうな彼女。悪いことをしているわけでもないのに、わたくしが悪いことをしているように傍からは見えるでしょう。

 ……マリエルは夫の名前ですわ。婚約者? 脅して? 何をおっしゃっているのでしょう?


 アポイントもなしに来訪したのにも関わらず、格上の伯爵家の者であるわたくしに無礼な態度をとるユリファ子爵令嬢に、ここまで案内したメイドが憤った様子を見せています。お客様の前よ、落ち着きなさい?



「マリエルは夫の名前ですが……?」


 わたくしが問いかけると、ユリファ子爵令嬢は大きな目をさらに見開いて言いました。


「え? もう結婚なさったんですか? もしかして、マリエル様のお父様が勝手に書いたという書類を使って、マリエル様の意思を無視して婚姻の届け出を終わらせたのですか?」


 ……何をおっしゃっているのでしょう? お互いの意見に食い違いがあることに気づきました。一つずつ解明していきましょうか。




「……何か勘違いをなさっているようですね。まずは、貴女とマリエルの関係から教えていただきましょうか?」


「はい……」


 不思議そうな様子でユリファ子爵令嬢は語り始めました。


「私とマリエル様が出会ったのは、二年前です。夜会で迷った私を、お一人で参加なさっていたマリエル様が助けてくださったのです。そこでお互いに一目ぼれしました。しかし、マリエル様には家同士で決めた婚約者がいらっしゃる、と。しかし、婚約者にも想い人がいるため、近いうちに婚約を解消するんだとおっしゃっていました」


 事情が少し判明し、わたくしは頭を抱えたくなりました。メイドが必死に証拠を記録用魔術機に残しています。執事が顔色を悪くして走っていきました。


「そう……それで?」


「はい、私たちは恋人同士になったのです。正式に婚約者と別れるまでは、人目を避けてこっそりと逢瀬を重ねました。マリエル様を惜しく思った婚約者がなかなか別れてくれず、時間がかかってしまいましたが」


 そう言って、優しくお腹をなでるユリファ子爵令嬢を見て、わたくしは悟りましたわ。


「貴女……もしかして……」


「私の純潔はマリエル様に捧げましたし、生まれてくるこの子は私とマリエル様の子です!」


 自信満々に胸を張るユリファ子爵令嬢を見て、わたくしはマリエルを殴り飛ばしたくなりました。年若くこんなにも純情そうな貴族令嬢を傷物にしてしまうなんて……。それだけではありませんが。


「婚約者と別れたら、すぐに結婚しようと言っていたのです。問題はないと思います!」


 将来を誓い合った相手との行為ならば、ギリギリ法には触れません。問題はそこではないのです。夫として大切に思っていたはずのマリエルへの想いがボロボロと崩れ去っていくのを感じます。


「書類を提出したのは最近ですよね? 結婚よりも先にこの子を授かっているので、お二人の婚姻は無効です! 伯爵でいらっしゃるマリエル様を手放すのは惜しいかと思いますが、この子のためにもよろしくお願いします!」


 そういって、ユリファ子爵令嬢は頭を下げます。

 結婚しても子がいない場合、貴族は特例として婚姻は無効にできます。そして、子を生した恋人たちは結婚の義務があります。


「妊婦に負担をかけたくはないのですが、マリエルがあなたに話した内容には偽りがあります」


 顔を上げてきょとんとした表情を浮かべるユリファ子爵令嬢。夫がそんな人だとは知りませんでした。教えてくれたユリファ子爵令嬢には感謝しかありません。


「わたくしとマリエルが結婚したのは、五年前です。家同士の婚約でしたが、お互いに尊重し合う関係だったと思います」


「え……?」


 呆然とするユリファ子爵令嬢に酷な説明を続けます。


「そして二年前、わたくしは妊婦でした。そして今は一児の母であり、妊婦でもあります」


「そんな」


 わたくしのお腹に視線を向けたユリファ子爵令嬢は、はっとした様子でみつめています。


「我が国では、不知、既知問わずに不倫は国教の教義に反することはご存じですよね?」


「はい……申し訳ございません」


「わたくしとしては、マリエルに騙された上に妊婦であるあなたを鞭打ちの上に国外追放にすることは、反対です。そのため、あなたに関して教会に嘆願をいたします」


「そんな……。罪を犯した私にそんな温情をかけてくださるなんて……ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げたユリファ子爵令嬢にお願いをします。


「妊婦であるあなたとその子を守るためです。その代わり、マリエルとの不倫の証拠を自ら教会に提出してください」


 困ったような表情を浮かべるユリファ子爵令嬢。愛する人を自ら告発することにためらいがあるのでしょう。

 ちょうどそのタイミングでドアがノックされます。


「奥様。教会から神官様を連れてまいりました」


 先ほど出て行った執事が、教会に知らせてくれたようです。

「わ、私……」


「ご足労いただきありがとうございます。こちらにいるユリファ子爵令嬢は妊婦です。彼女が教会に不倫の証拠を提出すれば、わたくしは彼女とそのお腹の子について、嘆願をいたしますわ」


「承知いたしました」


「わ、私は……」


 不安そうに瞳を揺らすユリファ子爵令嬢。そこへ焦った様子でメイドが駆け込んできました。


「奥様! 旦那様がご帰宅になりました!」


「今日はいつもより早いのね? 仕方ありません。マリエルにばれないように神官様を隣室にご案内して。マリエルにはこちらにくるように伝えて。ユリファ子爵令嬢には、お付き合いいただいてもよろしいかしら?」


「は、はい」


 いつもユリファ子爵令嬢に会ってから帰ってきていたのでしょう。いつもよりも早い帰宅のマリエルは今からどうなるのかわかっているのでしょうか。







「ただいま。愛しいメル。お客様がきているんだって? 僕も一緒にって、」


 メイドに先導されたマリエルは、笑顔で部屋に入ってきてユリファ子爵令嬢に目を向けて一瞬固まりました。


「はじめまして、でしょうか? 夫のマリエルと申します」


「え?」


 余所行きの笑顔を浮かべて挨拶するマリエルに、ユリファ子爵令嬢はびっくりしたように固まりました。


「メル、こちらのお方は?」


「あら? はじめましてではないはずよ? あなたの不倫相手であるユリファ子爵令嬢よ」


「……なにを言っているんだい? 彼女がそんなことを言ったのか? 騙されているよ、メル」


「ま、マリエル様……?」


「君、僕とメルの愛を引き裂くために嘘をつくなんてよくないよ」


「……マリエル様。私だけを愛しているとおっしゃったではありませんか」


「なんのこと? もしかして、誰かと間違えているのかな? 僕が愛しているのは、メルと娘とメルのお腹の中にいる子だけだよ」


 あくまで知らないふりを貫くマリエルに、ユリファ子爵令嬢の瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちていきました。


「いきなり泣き出すなんて、変わっているね。メルの友人なの?」


「あなたは彼女を知らないというのね?」


「うん。はじめて会ったからね」


「……私、証拠を持ってきています」


 意を決したようにそうぽつりとこぼしたユリファ子爵令嬢に、わたくしは声を掛けます。


「あら? では、見せていただこうかしら」


「おい! 何を言っているんだ! 気がくるっているんだろう! 今すぐ帰れ!」


 焦った様子でユリファ子爵令嬢を罵り続けるマリエルに、ユリファ子爵令嬢は怯え切っています。


「落ち着いて、マリエル。わたくしが見せていただきたいの」


 ユリファ子爵令嬢をわたくしの後ろに隠し、証拠を準備させます。


「……これがマリエル様から贈られたネックレスで、こちらが二人で会ったときに残した記録用魔術機の複写です。あと、」


「あら。そちらのネックレスに使われている宝石は我が領の名産で、わたくしが以前マリエルに贈ったものに間違いないわ。記録用魔術機も見せていただくわね」


 次々と出てくる証拠に、マリエルは慌てだしました。


「ち、違うんだ! その宝石はお金がなくて売ったもので!」


「あら、じゃあこの記録はなにかしら?」


 二人が幸せそうに抱き合っている記録、頬を寄せ合っている記録、次々とあふれ出す記録にマリエルは、観念したように言いました。


「すまない! アイリーンとは遊びだったんだ! 不倫ではないよ。あくまで自分の欲を満たすために使っただけで、想いは常に君とあるんだ、メル!」


「……あなたは一人の女性をまるで物のように言うのね。それに不倫じゃないって……どこからどう見ても不倫に決まっているじゃない。ああ、わたくしとは、家同士の決めた婚約だから、別れるんじゃなくて?」


「君を愛しているんだ! そんなわけないじゃないか! 例え教会に報告されようとも、絶対に別れないからな?」


「わたくしはあなたにもうなんの感情も持てないわ」


「君がいてくれるだけでいいから!」


 わたくしに追いすがるマリエルに、しゃくりあげながら泣いているユリファ子爵令嬢。愛を語った相手に言われるには、つらすぎるだろう。


「あなたたちのことは、教会に報告させていただきます」


「そんな! アイリーンのことは報告していいから、僕のことは隠しておいてくれないか?」


「……彼女、お腹にあなたの子供がいるのよ?」


 驚いたようにアイリーンのお腹に視線を向けたマリエルは、すぐにこちらに縋り付いてきます。


「そんなの、どうでもいい! 僕を捨てないでくれ、メル!」


「……マリエル、あなたには呆れたわ。実は、この会話はすべて神官様に聞いていただいてます。ユリファ子爵令嬢。貴女は証拠を提出する?」


「はい。私はこの子を守るために証拠を提出します。本当に申し訳ございませんでした、伯爵夫人」


「そうそう、この人、自分が伯爵のように言っていたかもしれないけれど、伯爵はわたくしよ? この人はただの伯爵の配偶者で生まれは男爵家の三男。家同士の交易の関係で結婚しただけなのよ。貴女について嘆願を出すから、貴女はむち打ちが免除されて国外追放になると思うわ。一人で子を産み育て、生きていけるかしら?」


「はい。私、実家が貧しかったので手仕事をしていて……。こう見えても裁縫が得意でお得意さんがたくさんいるんです」


 そう言って笑ったユリファ子爵令嬢に、マリエルは視線を向けた。


「……アイリーン。君との関係が神官に聞かれてしまった僕はむち打ちの上、国外追放となるだろう。僕の妻であるメルは、僕のことを捨てるつもりのようだ。国外追放されたら、そんなかわいそうな僕と隣国の首都ピッコントで待ち合わせて、一緒に暮らしていかないか? 僕のこと、愛しているんだろう? 僕も君のことを愛しているから。ああ、子供にも父親がいたほうがよくないか?」


 舌の根も乾かないうちにユリファ子爵令嬢に愛をささやき始めたマリエル。……伯爵の配偶者という縁故で働いているマリエル。市井で一人で生きていくためには、彼には特に取り立てて才能がないのです。ユリファ子爵令嬢に養ってもらおうという魂胆でしょう。この後二人は牢に入れられ、別々の国に追放されます。国外追放前に話すことのできるラストチャンスです。国外追放さえされてしまえば、その後二人で暮らそうが罪には問えません。


「……お断りいたします、マリエル様。私との関係は遊びでいらしたし、この子のことを“そんなの”って言ったわ」


「そんな! そもそも、アイリーンがメルにバラしたからこうなったんだ! 責任をとれ!」


「私はあなたに不仲で別れる間際の婚約者がいると聞いていたけれど、結婚しているなんて聞いていませんでした。……あなたの言葉を鵜呑みにするのではなくて、きちんと確認すればよかったのだけれど」


 私は愚かでした、と反省しているユリファ子爵令嬢。

 マリエルは、わたくしに助けを求めながら、ユリファ子爵令嬢を罵り、神官様の呼んだ刑務官に捕らえられて連れていかれました。


「本当に申し訳ございませんでした。伯爵。せめてものお詫びの印として、伯爵のためにドレスを作らせていただいてもよろしいでしょうか?」


「ありがたくいただくわ。貴女一人の身体ではないのだから、無理はしすぎないようにしなさい?」


「ありがとうございます」


 こちらに丁寧な礼をしたユリファ子爵令嬢は、神官に連れられ、去っていきました。


 夫の刑が執行され、数か月経った頃、青いグラデーションで小さな宝石がたくさん縫い付けられた美しいドレスが贈られてきました。子供は無事に生まれたそうです。わたくしも無事に二人目の子供が生まれ、文通相手として、彼女とは文通を続けています。

 ある日、別々の国に追放されたはずの、ボロボロになった夫が路上で物乞いをしているのを見かけたそうです。一瞬、目が合い、その瞬間、“ずっと探していた”と叫びながら追いかけられたので、逃げ回りながら、各国で生活することになりそう、名産品をたくさん送りますね、と書かれていました。



 美しいドレスをまとったわたくしに婚約の申し込みとドレスについての問い合わせが殺到しました。彼女のドレスの専売権を譲っていただき、我が家はさらに発展しそうです。

お読みいただきありがとうございます!

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