温泉の彼方に
豊前国(今日の福岡県と大分県)の耶馬渓は山国川が大地に刻んだ自然の彫刻である。その美しさは古代から広く知られていたが、同時に旅人や荷物を運ぶ牛馬が崖から転落することが度々ある交通の難所としても有名であった。何しろ昔のことで、道路の拡張工事もままならない。十八世紀の中頃というから江戸時代になって洞穴道いわゆるトンネルが掘削され、やっと命の心配なしに通行できるようになったとのことである。
その工事はすべて手作業の難工事であり、完成まで三十余年もの月日を要した。その間、怪我人や病気となる石工が数多くいた。それを見かねた医者が、怪我や病を癒す湯治場を開くことを思い立った。火山地帯なので掘れば温泉に突き当たるだろうと予想したのだが、なかなか上手くいかない。医療の傍ら休まず温泉掘りに明け暮れたのが仇となり、自分自身が体調を崩してしまった。それでも怪我人や病人のために温泉掘りを続けていた、ある日のことである。一人の若い武士が、その医者の暮らす掘っ立て小屋を訪れた。用向きは何かと問われると、自らの名を名乗り、聞き覚えがあるかと医者に問うた。
その名は知らないが、同じ姓の武士は知っていると医者が答えると、青年武士は刀を抜いて構えた。そして、その医者が親の仇なので、仇討ちに来たと言うのである。
白刃を突き付けられた医者は、その場に正座した。そして、かつて自分が武士であり、国元で諍いを起こし、同僚の武士を斬って出奔したことを告白した。青年武士は、その斬られた武士が自分の父だと言った。それを聞いて医者は首を垂れ、この首を斬り落として国元へ持ち帰るよう言った。
青年武士が刀を振り下ろそうとした時である。石工たちがツルハシや天秤棒を持って青年武士を取り囲み、その医者に手を出したら生きて帰さないと警告した。彼らは自分たちのために親身になってくれる医者を尊敬していたので、それを親の仇として殺そうとする青年武士を許せなかったのである。
石工たちの思いを知り、医者は青年武士に頼んだ。温泉を掘り当てるまで敵討ちは待ってもらえないかと。拒否したら自分の命がないので青年武士は承諾した。それだけでなく温泉掘りに協力し、遂に湯脈を掘り当てた。その頃には、青年武士は仇討ちを考えなくなっていた。親の仇が尊敬できる人物と気付いたためだ。彼は武士を辞めた。そして厳しい修行後、医者となったと伝えられている。