鶏のそら音
百人一首で有名な清少納言の短歌が、実は意味が逆では、という話をみかけ、そうなると、このエピソードはいろいろひっくり返るな、ということで、妄想しました
夜をこめて
鶏のそら音ははかるとも
世に逢坂の関は許さじ
通説訳
夜ふけに鶏のウソ鳴きで騙そうとしても、男女の関係になるための関所の門番は許しはしません(騙されて門を開けたりはしませんよ)。
始まりは、頭の弁藤原行成が清少納言と夜遅くまで喋っていたところから。
清少納言は中宮定子の女房として、住み込みで御所に勤めており、完全に私的な逢瀬、ではなく、会社で、ちょっとした暇な時間に深夜までおしゃべりを楽しんだ、という感じである。
夜中の一時ぐらいまで喋ってたみたいで(深夜二時までいると明日の仕事に障るから行成は帰っていった)、ブラックな職場である。
で、帰っていくと、朝早くに行成から手紙が届く。(平安時代、人が運ぶ手紙方式なのに、レスポンス早いんだよね)。
あれ・・・清少納言、夜中の一時ぐらいまで行成の相手して、その後もあれこれしただろうに、その上、朝早くに手紙受け取ってるんだが。
それとも、見送ったあと、即屏風の裏ででも仮眠とったのだろうか。(十二単の上の衣脱いでかぶって、どこでも寝れるらしい)
・・・それはそれで、さらにブラックな職場だな(二度目)
そして分厚い手紙。年下の行成によって情熱的に、美しい文字で、お役所の便箋にしたためられている。
たぶん、あのまま職場にいって、その場にある紙で、即座に思いの丈をつづりました、ということだろう。
「もっと語りたかった。話し足りない。鶏の声にせかされて帰らなきゃならなかったのが残念」
年下の行成は二〇代だったようなので、半徹夜でも元気というか、いささか睡眠不足ハイな気がする。
夜中に会っていて、翌朝に文を届ける。後朝の文(男女の仲)を匂わせるお遊びである。
清少納言はちゃんと読み、かつその一文を拾い上げて、返事をすぐ書く。
「ぜんぜん夜明けも遠い時刻に鳴いた鶏って、それは、孟嘗君の故事ですか?(孟嘗君は、逃亡中、夜間閉まっている関所を抜けるために、仲間が鶏の鳴き真似をして関守を騙して通過している)」
そして宮中にいる行成に手紙をお届け(お役人が)。
ん?
二人とも、仕事中では?
行成、すぐに手紙を読んで、また手紙をしたためる。
宮中(帝の)物忌みで行成も籠っているはずなのだが、フットワーク(レスポンス)が早い。
「孟嘗君は関所抜けのためにせ鶏を鳴かしたけれど、私はあなたの(逢坂・男女の)関を開けたい」
と、また情熱的に書いてきた。
さて、ここで。
清少納言が理想とする恋人振る舞い、というのがある。
ともに過ごしての明け方、女が「もう明るくなるから、早く起きて」とせかすのに、男はぐずるようにして、なかなか支度しないで、「まだ一緒にいたいのに」と時間ギリギリまで一緒にいる、ようやく家を出るときも、本当にぎりぎりなので、身支度もあまりちゃんとしないまま出ていく、ような。
そういう可愛げやら甘さが、いいと。
行成は、仕事に出向くぎりぎりまで清少納言と過ごして、格好よく取り繕うことはなく、仕事場の便箋で、「まだまだ貴女と一緒にいたかった」と、告げたのである。
こういうの、好きでしょう? と。
そして清少納言も読み取ったからこそ。
わざわざ「役所の便箋を重ねて」と記しているのだ。手紙が来た、というだけではなく。
だが、年下の彼のからかいに、清少納言は表向きに、「私の逢坂の関はこえられませんよ」と、返し。
だが、わかるだろう彼に、二重のお断りとしてこう返す。
『夜中の鶏のうその声に騙されて、恋人を帰すわけないじゃないですか、私は賢く情が深いんですから(あなたが、本当の恋人ならね)』
そして行成は、わかったから。
たぶん、相当に。
腹が立った。
「またそんなことおっしゃって、からかわないでくださいよ」的なやんわりした色っぽい返しが来ると思ったのに、ぴしゃんっとはねられたのだ。
お遊びにしては、立派すぎる和歌とともに。
世にいう。
手紙は夜に書くな。
朝見直してから、投函せよ。
それは真理だ。
眠いときに書くものではない。
正直、おまえ、そろそろ寝とけ、という。寝てないからテンションがおかしい。
「逢坂は人越えやすき関なれば 鶏鳴かぬにもあけて待つとか」
表の意は『貴女の逢坂は、いつでも誰でも越えていける、あけっぱなしって聞きましたよ(誰とでも夜を共にするって)』。
そして裏の意は
『鶏が鳴かない夜中に恋人を帰してるって聞きましたよ(朝まで一緒にいられない、内緒の恋人いるの、知ってますよ)』
ほとんど脅迫である。
これを贈ってしまう。
これを受け取った清少納言は返事をしなかった。
強く動揺して。
彼女には藤原実方という内緒の恋人がいたから。
そして行成は、寝て、起きて。
清少納言からの手紙の返事がなく。
自分が書きなぐった返歌を思い出して。
「やっちまったっっ」
と、慌てた。
だから、徹夜のテンションで、やっちゃダメなのですよ・・・。
行成は中宮への取り次ぎには、必ず清少納言を指名した。彼女が里に下がっていたら(帰省していたら)、呼び出した(迷惑な)。
それぐらい、とにもかくにも、清少納言にべたべたと甘えている男であるので、嫌われたかもしれないと、慌てふためいた。
仮眠しただけで、そこはほら、職場である。
同じ派閥の源経房がいて、事情を聞いてくれて、仕方ないから後始末とお膳立てをしてくれに出向いていった。
最後の返歌以外なら、人に見せても大丈夫そうだった。むしろ、宣伝して回ったら、彼女は気分が良いだろう、と。だから、ほら仲間に見せて回って。
と、助言して。
源経房という男は『枕草紙』を広めた男だ。
「また、あの彼女が、すごい高度なやりとりしていたよ」
と、彼もまた仲間内に広めて回りながら、清少納言を訪れて。
「貴女のあのやり取りが噂になってますよ、私の想い人である貴女がこうして良い噂になるのは、私も嬉しいです」
と、伝える。
機嫌なおしてくださいな、と。
「ふふ、私も嬉しいです。私を貴方の想い人(恋人)に加えてもらえて」
経房は彼女が正しく状況を理解したな、と察して、行成の元に戻り「さっさと仲直りしてきなさい。機嫌を直してきてあげたから」と、送り出す。
どのみち、清少納言は、藤原の彼との関係を切れないし、許さなくてはならない。
だけれど、ならば、少しでも気分よく許してほしいと、経房は思っている。
ちなみに、経房、行成は、道長派閥である。
清少納言は落ち着いてから、幾度も手紙を読み返し、見られても問題はないと、確認してから、手紙を中宮の弟君(お坊さん)と中宮がほしがったので、差し上げた。
行成は能書家なので、その文を手本に使うのだ。
最後のだけは、しばらく隠しておいた。
やがて、行成が来たから、
「私とのやり取りを広めてくれてありがとうございます。こういうよく出来たやり取りはみんなに見せてもらえると、私がちゃんと好意を持たれてるんだなと、わかりますから。私の方は、最後の手紙だけは、ろくでもないので隠しましたよ」
なかったことにしましょう、と。
「ほんっと、ごめんね。隠してくれてありがとう」
なかったことになるのは、少しだけ、残念だった。
中宮定子の父、藤原道隆が没後、定子ら兄妹は勢力争いに負けて没落し、藤原道長が権力を握っていく。
その過程で、藤原実方を陥れて左遷させるのが行成であったという。(こんな事実はなかったという話しもあるが)
やっていたとしたら、なかなかの本気度。
というか、嫉妬深さが、こわっ。
だがそうまで執着しても。
清少納言の再婚相手は別の男であり。
彼女亡き後、彼女の残した文章たちが埋もれないよう、消えないように尽力したのは、和歌などの風流事がからっきしわからない、最初の夫の橘典光とその弟(離婚しても仲良くしてたので)。
なんというのか、報われないというか。
最後のあの返歌も。
誰が気づこう?
誰がわかろう?
そう確信したから、清少納言は残した。
どうあっても、手に入らなかった。
だから、行成はこのやりとりを、自分の日記には残さなかった。
最後の最後、あれがなかったことになってしまったから。
な
の
に
「え、最後のやつ、知られてるんだけれど・・・」
彼女の最後の、意趣返しかな。