第5章 妄想
ミンティア女史はラフェールの隣の領地の伯爵家の娘らしい。
しかもハビット同様どちらかというと貧しい家らしく、学院に入学する前は一度も王都に来たことがなかったらしい。王都にタウンハウスを持っていないため、王都に行けばホテルで宿泊することになるからだ。
まあ、ラフェールの婚約者になってからは、ラリウル辺境伯のタウンハウスに泊まればよかったのだが、そこまでして王都へ出る必要性がミンティア女史にはなかったらしい。
ちなみに華やいだ場所が好きな彼女の姉は、独身時代は図々しくそのラリウル辺境伯のタウンハウスに泊まっては社交場に参加して、見事王宮貴族の妻の座を手に入れたらしい。そして現在は王都住まいだという。
それを聞いたハビットは、見知らぬその女性のことを逞しくて羨ましいと思った。
それにしても格下の伯爵家の令嬢が、何故辺境伯家に対して好き勝手なことが許されたのかというと、辺境伯家にはキシリール伯爵家に大きな借りというか、恩義があったからだ。
もっともそれを盾にして辺境伯家を上手く利用していたのは、ミンティアの姉だけだったそうだが。
最初のうちミンティア女史本人は、王都の学院に入学することに不安など抱いてはいなかったそうだ。ところが、彼女の姉や妹が酷く心配したらしい。
勉強好きで専門書とか難しい本ばかり読んでいるミンティア女史とは違い、結婚して王都の社交界に出ている姉や、恋愛小説ばかり愛読している妹にとっては、魔物がウジャウジャいる辺境の田舎より、魑魅魍魎が跋扈する王都との方が、よっぽど怖い場所だと認定されていたからだ。
しかも、王城よりむしろ学院の方が伏魔殿と呼ぶに相応しい場所らしい。
一度目をつけられたら最後、地獄を見ると姉と妹は断言したそうだ。何せ入学すると全員が寮生活になり、逃げ場所がなくなるのだから。
最初の一年間はまだいい。しかし翌年ラフェールが入学したら、すぐに人気者になるだろう。あの愛らしい天使のような容姿に、ずば抜けた能力を持ち、しかも辺境伯の三男といったら、最高の婿養子候補だ。
この世の中、なにも嫡男ばかりがもてるわけではない。
いや、婿養子ではなくても、平民になってもラフェールと結婚したいと思うご令嬢は多いだろう。彼くらい能力が高ければ、叙爵されるのが明らかなのだから。それにバックには辺境伯が付いているのだから。
もしミンティア女史がラフェールの婚約者だと知られたら、彼女が学院でどんな目に遭うのか目に見えるようだと、姉妹から本気で心配されたらいい。
『あの麗しのラフェール様の婚約者が、辺境ど田舎の貧乏伯爵家の令嬢ですって?
確かに優秀でそこそこ容姿が整っているかも知れないけれど、可愛さの欠片も愛想もない、あんな冷たそうなご令嬢が?
あんなのがラフェール様の婚約者だなんて許せませんわ。全く釣り合っていないじゃないですか!
身の程を知ってさっさと身を引くべきですわ。えっ! 別れないですって! それならどんなことをしてでも別れさせてみせますわ』
ミンティア女史の姉妹達は、ミンティアに降りかかるであろう恐ろしい未来を勝手に予想し、好き勝手な妄想を膨らませて語ったらしい。
ミンティア女史は少々威圧感のあるクールビューティーなので、まるで天使のような愛らしいラフェールと並んでいると、ただそれだけで彼を従えているように見えるらしい。
もちろん姉妹達もラフェールとは長い付き合いなので、彼の性格が甘いどころか塩辛いことは十分過ぎるほど知ってはいた。
しかしそれを知らない者達は、ミンティア女史がラフェールを騙して無理矢理に婚約者の座に納まったと思うに違いないと確信していたのだ。
彼女は嫌がるラフェールを手放さない悪役令嬢に仕立てられ、学院内で迫害され、退学に追い込まれてしまうと。
それを聞いた彼女は震え上がったらしい。でもそれは悪役令嬢に仕立てられることでも、苛めに遭うことでもなく、退学に追い込まれてしまう可能性があるということだったらしい。
ミンティア女史は学院でどうしても学びたいこと、そしてやりたいことがあったので、絶対に卒業したかったのだ。だからそのために、穏便な学院生活を送りたい。
それ故に婚約者がいることは話しても、その相手がラフェールであることは、絶対に知られないようにすると決めたらしい。
「手紙だって差出人がわかると困ると言うから、態々私的な魔法便使っていたんだよ。しかも、最初毎日手紙を送っていたら、勉強する時間が減るからって、週一にしろなんて言うしさ」
ラフェールがブツブツ言っているのを聞いて、やっぱり彼女は塩令嬢じゃないか、こんなに熱烈に愛してくれる婚約者に対してまでそんな態度をとれるなんて、とハビットは思ったのだった。
「でもね、ミアが僕のために勉強頑張りたいと思っていることがわかっているから、僕だって我慢をしたんだ。そして、今だって隠れて追っかけして直接逢わないようにしているんだ。
近くにいるのに手紙のやり取りだけで逢えないって、本当に辛いんだよ。手も握れないし、抱き締められないし、キスもできないし」
「キ、キスもしているのか?」
「当たり前じゃないか。僕達は幼馴染でもう十年一緒にいるんだよ。初キッスなんて出逢った頃にすませたよ。十歳の頃にはディー……」
「やめろ! 聞きたくない」
ハビットは自分の両耳を手で押さえながら叫んだ。
純情というか奥手な彼は、まだ女性と手を繋いだこともないのだ。女の子と目を合わすことさえ恥ずかしいのに、触れることを想像するだけで恥ずかしくて死にそうになった。
男兄弟しかいない弊害だなとラフェールは思った。
彼はこうるさい姉と幼い頃から肉弾戦をしてきたし、婚約者の強かな姉の相手や妹のお漏らしの後始末さえしたことがあるのだ。今更女子を前にして臆することなんてない。
まあ、婚約者は彼女達とは違い別格だったので、それはそれは大切に扱ってきた。だから、彼のした厭らしいことなんてディープキスと胸タッチくらいまでで、それ以上の不埒なことはしていないが、態々ハビットの誤解を解くつもりもない。
「とにかく、ミアはただでさえ生徒会だなんて予定外なことに時間をとられているんだ。だから、彼女の邪魔だけはしたくないから、彼女に気付かれないように隠れ追っかけをしているし、手紙も週一にしているんだよ。
彼女は根が真面目だから嫌なこと押し付けられても、結局何にでも真剣に取り組んじゃうからね」
「生徒会メンバーに選ばれたことが迷惑だったの? とっても名誉でやりたがっている人が多いのに。将来箔が付くって言うし」
そう。生徒会役員だった者は、それだけで真面目で優秀とみなされるから、官職に就いても就かなくても仕事をする上で役に立つらしい。
だからそのポストを狙う男子学生は多く、女性が役員になると、その席を女性に奪われたと恨みに思う者も結構いることをハビットだって知っていた。同じ男として全く情けないと思うが。
しかも、去年度はただでさえ、三年生にもう一人女性徒がいたらしいから、二人に対する風当たりは相当強かったらしい。なんでも、かつて生徒会に女生徒が二人もいたことはなかったらしいから。
因みにその三年生の役員だった侯爵令嬢は、王太子殿下の婚約者だったジャクリーン=カーギリス嬢で、現在の王太子妃殿下である。
当時それは内密にされていたから、彼女を陥れようとした者達は、卒業後悲惨な目に遭ったらしい。
そして卒業前に姿を消した在校生がいたとも噂に聞いているから、そっちの方はもしや……と、ミンティア女史とラフェールの関係を知った今、一つの仮定が頭に浮かんだが、その考えを無理矢理に振り払ったハビットだった。
「入学試験のトップから三位だった者は、強制的に生徒会に入ることが義務付けられているから、断トツ一位だったミアは仕方なく入らせられたんだ。
卒業したら領地経営するのだから、別に王城で働くわけじゃない。自分から生徒会活動なんてやりたいと思うわけないじゃないか」
ミンティア女史は二女だったが、長女のモードリンが他家ヘ嫁いでしまったので、家を継ぐことになっているという。なんと辺境伯の三男であるラフェールは、キシリール伯爵家に婿入りする予定らしい。
『なるほど。だからラフェールは入学試験に手を抜いたんだな。間違って生徒会に入らなくて済むように。おそらくミンティア嬢は真面目過ぎてそれに失敗したんだな』
と、ハビットは納得した。
本来なら思い合う者同士が同じ生徒会役員になれれば、一緒にいられる時間ができていいじゃないかとも思えるのだが、彼らは自分達二人の関係を隠したいのだ。それなら、確かに役員にはならない方がいいだろうな。
ミンティア嬢はともかく、ラフェールは彼女への愛情を誤魔化すのはとても無理そうだしと、ハビットは勝手に納得したのだった。
最初は塩令嬢ミンティアが、まるで砂糖菓子のように甘い風貌のラフェールの婚約者だと聞いて驚いたハビットだったが、話を聞いているうちに案外お似合いかも思えてきた。
似た者同士で仲良くなるカップルもいれば、正反対だからこそ仲が良いカップルもいると聞いている。そういえば自分の両親もそうじゃないかと。
ラフェールが見た目とは違って、自分にも他人にも案外厳しいことをハビットは知っていた。決してただ甘い人間じゃないことを。
それに比べると、塩令嬢と呼ばれているミンティアの方が思いやりがあって優しい人間のようだ。まあそれはさっき知ったばかりで、情けないことに自分も誤解していたのだが。
そう。ラフェールの前では言わなかったが、彼女の妹達が心配していたように、悪役令嬢だという噂が流れていたのだ。それほど酷いものではなかったが。
まんまと騙されていた自分が情けないと、ハビットは思った。
『あんなに完璧な男がこれ程夢中になっているのだ。さぞかしミンティア嬢は素晴らしい女性に違いない』
「ラフェール、誤解して悪かった。君の隠れ追っかけの話は絶対に誰にも話さないから安心してくれ。
もちろん婚約者のことも。これからもバレないように気を付けろよ。
それと、今度の魔術対戦の賭けは、君のお勧め通りに賭けてみるよ」
ハビットがこう言うと、ラフェールは笑った。
「君ならそう言うと思ったよ」
と。
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