第2章 仮面
天空に文字を描いたのは、ミンティアの婚約者であるラフェール=ラリウルだった。
辺境伯の三男で、隣の領地のキシリール伯爵家の跡取り娘のミンティアとは幼馴染で、相思相愛の仲で、とにかく溺愛し合っている、熱々カップルだった。
もっともそれを気取られないように学院内では態々(わざわざ)分厚い仮面をかぶっていたが。
ミンティアの方は冷徹無慈悲な女傑の仮面。
そしてラフェールの方は愛らしく無垢な笑顔を振りまく天使の仮面。
しかし、それは実際の本人達の性格とは正反対のものだったので、却って演じやすいと考えたからだ。
とはいえラフェールは、愛するミンティアが自分のために、必死に冷徹無慈悲な女性を演じていることを知っている。
二年前にラフェールが酷く情緒不安定になってからというもの、少しでも彼の不安を取り除こうと無理してくれているのだと。
「可愛くて愛らしくて、それでいて綺麗なミアが男どもに言い寄られないか心配だ。君は無自覚で人に親切にするから、誰からも好意を持たれるし。
やっぱり僕も変装して学院に潜り込むよ。そしてミアを守る」
ミンティアがラフェールより一年早く、遠く離れた王都にあるこのティーフス王立学院に入学することになった時、彼がこんなとんでもないことを言い出したのだ。
とにかくラフェールは異常なほどに婚約者のことを心配した。彼女も彼が自分を心配する気持ちは十分に理解していたので、入学を一年遅らせることも一応考えた。
しかし、ミンティアはやはり愛する婚約者のために早く学院に入学して、勉強や魔術の研究をしたかった。
それはできるだけ早く魔術師になって、ラフェールがもっと好きなことが自由にできるように、彼を守れる人間になりたかったから。
そこでミンティアは、ちゃんと男除けをするからと心配いらないと言ったのだ。そう、在学中は冷徹無慈悲の女傑を演じ、人とはあまり交じり合わないことを約束したのだ。せっかく同年代の仲間と楽しく触れ合うことのできる、唯一の機会だというのに。
変装して学院に潜り込むだなんて、普通なら冗談で済む話だ。
しかしラフェールなら本当にやりかねないし、それをやれる能力があることをミンティアは知っていた。
だから愛する婚約者を犯罪者にはしたくはなかったので、そんな馬鹿馬鹿しい提案を自らしたのだった。
まあ正直なところ彼女自身は、そんな仮面などかぶらなくても、自分がもてることなんてことあり得ないと思ってはいたのだが。
そう。彼女は正しい自己認識ができていなかった。というのも彼女の美しさ、有能さに嫉妬しまくっていた7つ年上の姉が、幼い頃から誤った情報を彼女に与え続けたせいだった。
そんなミンティアをたった一人で王都へ行かせるなんて、野獣がウジャウジャいる森に子羊を放り込むと同義じゃないか!
だからラフェールは本気で変装して学院に潜り込むつもりだった。しかしミンティアの提案を聞いて、それならばと思い直したのだ。
しかし、彼女の警戒心が甘いことも分かっていたので、彼は先手を打った。
そう。ミンティアは黒髪に緑色の瞳を持つかなりの美人なのだが、学院に入学する直前に、ラフェールは魔術によって彼女の視力を悪くして、分厚い眼鏡を着用させた。
そして顔をソバカスだらけにしたのだ。
その結果現在のミンティアは髪を後ろできつく結び、いかにもガリ勉な才女の風貌になっていた。
もっともこれは決して無理に変装や演技をしていたからではないのだが。
三年前のある出来事がきっかけで、ミンティアは愛するラフェールのために絶対に第一級魔術師になる、ならなければと決意した。
ところが彼女の魔力量は人並みで、とても第一級魔術師になれるようなレベルではなかったのだ。
そこで何か方法がないかと必死に調べた結果、ティーフス王立魔法学院で魔法学や魔術技法を磨けば、元々魔力量が多くなくても魔力を高める可能性があると知ったのだ。
だから彼女は必死に勉強して、この国一番の学院に入学したのだ。まあ、あまりにも頑張り過ぎてまさかのトップ合格をしてしまったせいで、生徒会に強制的に入る羽目になったことは誤算だったが。
余計な生徒会に時間を取られることになって、ミンティアは益々必死に勉強することになったのだ。
そのために服装やおしゃれに気を回す余裕がなくなり、その結果、この一番楽なガリ勉才女風スタイルになったというわけだ。
しかしそれが皮肉にも男除けになったとラフェールは思っていた。おしゃれができないミンティアには申し訳ないと心の底から思っていつつも。
ところがそれが却って、婚約者持ちの第二王子に目をつけられる要因になるなんて、ほんの数十分前には思いもしなかった。
✽✽✽
魔術対戦が終了し、審判員が持っていた旗を高く振りかぶり、
「今年度の冬の魔術対戦の優勝者は、二年生ミンティア=キシリール!」
と大声で宣言した瞬間、ティーフス王立魔法学院の広大な敷地内にある魔物の森周辺には大歓声が沸き起こった。
その中でも一人滅茶苦茶にハイテンションで飛び跳ねて喜んでいる男子生徒の横で、ラフェールはホーッと大きな安堵の息を吐いた。
『最後の相手が想定外の魔力暴走を起こしたせいで心配したけれど、ミアなら何とかすると思っていた。
まあ、いざとなったら僕が無詠唱魔術を使ってやっつけてやろうと思っていたが、本当に強くなったなミアは。さすが僕の愛する婚約者だ…』
今年度の冬の魔術対戦の優勝者の婚約者であるラフェール=ラリウルは、心の中でそう呟いた。
しかし、他の参加者を助けようとして力を使い果たしてボロボロになった姿に、胸が一杯になり、できることならすぐに駆け寄って、彼女を抱き上げて医務室へ運びたいと思った。
ところが、何があっても絶対に傍に来ては駄目よ、とミンティアに約束させられていたために、ラフェールは心配しながらも観覧場所から離れずにいたのだった。
そんなラフェールの心情も知らず、親友のハビット=カンタールは大騒ぎをしていた。
「大穴が的中した!
やったぞ。これで僕は卒業までランチセットが食べられるぞ。そしてたまにはデザートも!
ありがとう、君の予想が当たった! さすがだ、ラフェール!
君はこの払い戻し金を何に使うつもりなんだい?」
そうハビットに尋ねられたラフェールだが、もちろんそれは愛する人との将来のために貯蓄するつもりでいる。
今まで彼の助言を無視してきた友人ハビットとは違い、これまでの賭けを全て当てているラフェールの貯蓄額は、既にかなりの額にまで増えている。
ここままいけば、卒業までには十分過ぎる結婚資金が溜まっていることだろう。
『誰よりも美しいミアに相応しい、世界一素晴らしいウエディングドレスを贈れそうだよ。
楽しみにしていてね、ミア!』
金髪の巻き毛に濃紺の瞳の天使のような風貌をした、その絶世の美男子は、それこそ甘過ぎる笑顔を浮かべた。
しかしその後、その天使の笑顔がやがて冷酷な堕天使もしくは悪魔の形相に変化するとは、その時点では誰も想像していなかっただろう。
大体誰が想像するというのだ。
自分の愛する婚約者のことを、赤の他人が大勢の人の前で婚約者だと発表するだなんて!
賭けについては、次章で説明します!
読んで下さってありがとうございました!