第三帝国の原子爆弾
風が耳元で唸る。
ぼくたちは谷底へ真っ逆さまに落ちていた。
「うわああ!」か「ぎゃあああ!」か、ともかく自分がなんらかの悲鳴をあげていたのは覚えている。
が、気づいたときには草むらに四つん這いになって「ああああ!」と叫んでいた。
落下が止まっていることに気づき、「あれ?」と顔をあげる。
いつのまにやら、ぼくはどこの国かもわからない、大きな湖のほとりに移動した。
さきほどまでの灼熱の太陽が嘘のようだ。季節は秋、紅葉が風に舞い、透き通った水面にひらひらと落ちる。渡鳥が編隊を組んで空を舞い、遠く、銀冠をかぶった雄大な山脈が聳えている。
コギャルはぼくの横に立って、笑いを噛み殺していた。
「あんたって、ほんとに初心者なんだね」
ぼくは気恥ずかしさを誤魔化すように早口でいった。
「誰だって、いきなり崖から落ちれば慌てもするさ。ふつうに時間を越えればよかったのに、なんであんなことをするのさ」
コギャルが人差し指を立てた。
「あたしたちがつくる〝門〟は消えるまで時間がかかるんだよ。あの金髪のタイムパトロールの女が、あんたを引きずりこんだ門も、川崎競馬場にしばらくは残っていて、わたしは、そこを通って合流したわたけ。あの崖の上で、普通に〝門〟を開いたら、タイムパトロールの追っ手はやすやすとここまで追ってくる、でしょ? だから、あいつらがくぐりづらい場所で門を展開したの」
ぼくは膝の落ち葉を払いながら立ち上がった。
「タイムパトロールは、なんで、そうしつこく追ってくるんだい?」
「あんたに時を超える能力があって、あんたがアメリカ人じゃないからよ。やつらにとっちゃ、一人の時間跳躍者は、百万人のテロリストよりも危険なのよ。たとえば、そうだなぁ、あんたは〝原子爆弾〟って聞いたことある?」
「なんだいそれ?」
「2100年代に開発されたっていわれてる超兵器。第二ソビエト連邦が実用化したもので、ウラン原子の質量を熱エネルギーに変換するの。一発で一つの都市を消し去るほどの破壊力があるわ。ネオナチの跳躍者が、これの製造法を1940年のドイツ第三帝国に持ち込んだの。おまけとして、未来のロケット技術も加えて、長距離弾道ミサイルを本来の歴史より四十年も早く完成させた。で、ロンドンとニューヨーク、ワシントンが地図から消えた。歴史には本来の流れに回帰する力があるけど、さすがに百二十万人も死ぬと、どうしようもないわ。その、百二十万人の子孫も全部消えて、結果的に数億人が歴史から消滅しちゃったの。
で、アメリカ出身の跳躍者たちはブチ切れて、ネオナチの跳躍者が過去の科学者に情報を渡す前に殺した。歴史は元に戻ったけど、今度はアメリカ人の跳躍者の一部が、大戦中の自国の科学者に情報を渡しちゃって。あとはもうめちゃくちゃ。
いまじゃ、どこの国の跳躍者たちも、自分の国を守るために、過去の学者たちに未来情報を与えようとするし、他の国の発展の足をひっぱろうとする。本来の世界の歴史がどうだったかなんて、もう誰にも分からない」
ぼくは唾を呑んだ。
つまり、ぼくの知っている歴史は改変されたあとの歴史だってことなのか?
彼女が肩をすくめる。
「ただ、アメリカが本来の歴史よりだいぶ強い国になってるのだけは間違いないかな。あそこが一番最初に組織的な跳躍者狩りを始めたから。スタートダッシュで差をつけた分、跳躍者の数が多いの。時間戦争においては絶対的なアドバンテージよ。少なくとも、わたしたち日本の〝時間警察〟には他の国のカジノに潜り込んで、初心者狩りをするほどの人員はいない。せいぜい、やってきた君みたいな間抜けくんを守るのが精一杯ってわけ」
「間抜けで悪かったね」
コギャルがぼくの背中を叩いた。
「ごめんごめん。落ち込んじゃった? でも、大丈夫。あたしたち跳躍者の力は、自分の間抜けをなかったことにできる力なんだから。んじゃ、ささっと競馬場に行く前の君に会いに行くよっ」
ぼくはぶるりと震えた。
「大丈夫、なんだよね? その、同じ自分に話しかけても」
「んー、短い時間ならね。あんまり長いこと昔の自分といっしょにいるのはお勧めできないかなぁ」
「長くいると、どうなるのさ」
「噂なんだけど、ずっとずっと昔、時空警察に過去の自分とコンビを組んで活動してた人がいたんだって。連携がうまくて、すごく強かったらしいわ。なんせ自分自身だもん。
で、ある日、なんの前触れもなく二人は殺し合いをはじめたの。最終的に、過去のほうは自分の首を掻き切って自殺して、未来のほうはその瞬間に消えた。
自分自身といっしょに居続けることは、精神にものすごーいストレスを与えるのよ。
でも、一言二言なら問題ないから心配する必要ないって」