第8話 はにかむ少女
戦いで消耗し眠りにつく栞を残し、樹は栞の仲間と連絡を試みる。ターゲットは蜂屋敷かりん。動画配信者として地元民の顔を知られているちょっと変わり者の有名人だった。
愛しい眠り姫を一人部屋に残し、樹は次の課題に取り組むことにした。
今、必要なのは目的を共有できる頼れる味方だ。
栞たちの敵と戦うには、樹はあまりにも無力だった。そして、栞を無理矢理にでも止める力さえも樹にはなかった。押さえこんでも彼女を止める力、今はそれが必要だ。
何としても栞を救う、その気持ちを共有できる相手でなければ駄目だ。
幸い候補は二人いた。そのどちらもが栞とほとんど歳の変わらない少女たちという事実が、樹の胃袋をキリキリと痛めつける。
そして、彼が選んだのは蜂屋敷かりんという少女だった。
とりあえずは自分の携帯を使って、栞の親族であると正直に名乗りメールを送ってみた。
返事はなし。
クローン携帯を使って栞に成りすます方法もあるが、おそらくそれは悪手だ。メグミの死は彼女にも伝わっている。警戒心が否応にも高まっている状況だった。
蜂屋敷という少女、調べれば調べるほどに有名人であると判ってきた。希望が丘市という地方ローカルの名望だけれど。彼女は『希望ヶ丘ハニカム』というチャンネルを配信している個人インターネット配信者だった。チャンネル登録者数は5万人。彼女が自作の映像を流しながらコメントをするというシンプルな構成であったが、そこで扱われる情報はかなりの多岐にわたる。希望ヶ丘市のグルメ情報やデートスポットの紹介という身近なものからアニメのマニアックなクイズ、都市伝説の真相解明、果ては国会議員の汚職追及と思いつくままの話題を取り扱っているように思えた。
番組中では仮面をかぶっている彼女だが、金髪のベリーショートという髪型と冬でもブルマの体操着という奇抜なファッションで、いつも街をうろつきまわっていることから、この街で知らない人がいないほどの有名人らしい。
奇抜な格好で街を徘徊しているのは彼女自身の取材活動という側面もあるが、同時に至る所にいる彼女の情報提供者に接触しているのだろう。純粋に彼女のファンであったり、彼女という媒体を利用しようとする者であったり、ただの金目当ての輩もいる。
樹は考える。生まれつきの目立ちたがり屋というわけでなく、収益目的というわけでもない。蜂屋敷かりんが手間に暇をかけて、これほどのコンテンツを生み出した動機は何だろう。
樹は彼女によく似た女性を知っていた。その直感が正しければ、お近づきになるには厄介な分、頼りになるのは違いない。
樹は夜の街をぶらりと歩くうちに情報提供者たちを見つけ出し、彼女と接触するための何通りかの連絡方法を手に入れた。
けれど、それで満足してしまったかのように樹でどうするでなく喫茶店でコーヒーをすすりながら、ぼーっとしていた。
やがて時計が12時を指すころスマホのベルが鳴り、新しい舞台が整ったことを告げたのだった。
◇
真夜中の廃工場、樹は畳の上で正座させられていた。どういうわけか。
カーテンレーンに沿って乱暴に取り付けられた電球の頼りない灯りだけが、そこにある物の姿を露わにする。広さは通勤列車の車両を2台横に並べたくらい。
もう何年も人の管理を離れている様に見える。天井の一部は破れ、星空がわずかに顔を出している。金目のものは全て運び出されていて、僅かばかりの錆びた機械と使いようのない廃材だけが取り残されていた。
コンクリートの床は泥に汚れ、瓦礫が散らかっていたが、中央にぽつりと真新しい3畳の畳が敷かれていた。
『廃工場の畳で正座してマテ』
樹に送られたメールには奇妙な指示と工場の位置を示す地図データが送られていた。
今宵慌てて畳を運び込んだわけではなさそうで、ここは彼女が使っている隠れ家の一つなのだろう。
正座をさせられる意味は分からなかったが、覚悟を決めて静かに座して待っている。過ぎた時間は数分とも数時間とも思える。
(おいおい警戒しすぎだろうよ。もうそろそろ出て来てくれ)
真冬の寒さに震えながら、お目当ての彼女が現れるのを待つ。
ガチャンという音とともにスポットライトの強い光が樹を刺す。
「お待たせしたね。さっそくだけど、アンタは誰だい」
工場に澄んだ少女の声が響く。逆光でその姿は見えない。
ようやくご登場という訳でもなく、焦らすだけ焦らしながら、こちらの様子を窺っていたのだろうというのが樹の推測だった。
「俺は誰かって、もし哲学的な問いかけだったらごめんよ。そういうのには興味がないからさ。俺の名前は貴宮樹。影咲栞の親族だ。隠しているようなことは何もない。オーケー?」
「貴宮さんか。初めて聞く名前だ。どうも、はじめまして。アタシのことを探していたみたいだから会いに来てあげたよ」
蜂屋敷が多少の情報通だったとしても、それはローカルなネットワークを活用してのことだ。樹と栞の関係の裏を取ることは出来ないだろう。そうであれば選択肢は二つ、無視するか、それともこうして……。
「君は蜂屋敷かりんちゃんだね。栞の親友だよね。いつもありがとう。キミなら必ず会いに来てくれると思っていたよ」
「アタシを上手く誘い出したとでも言いたいわけかな?」
「そういう訳じゃないけど、『カワイイ子と仲良くなりたかったら、お尻を追いかけるばかりじゃダメ』って大学時代の悪友に教えられたことを思い出してたんでね」
「えっ……キモイ。オジサンが真顔でそんなこと、ないわー」
「違う、お前は間違っている。オジサンは皆そういうモノなんだよ。真顔でやるのがオジサンなのだよ。いいから俺の靴を返せ」
気が付くと畳の脇にまとめて置いてあった樹の靴が無くなっている。畳の上に正座させたのは靴を脱がせるためだったというわけだ。
「瓦礫の散らばるコンクリートの上は、靴が無ければマトモに走ることはできない。か弱い女の子なりの、自己防衛だというわけだ」
風を切るささやかな音。工場の外に何かが放り投げられた。何すんだこの小娘。
だが、ここは大人の余裕を見せつける。
「でもさぁ、本当はこんな小細工要らないんじゃないのかな?」
「アタシが用心深い性格だって、アンタはよーく分かってるみたいだけどね」
少女は核心部分には触れずに、ただ曖昧な応答を繰り返し樹の出方を探っていた。それは実に彼女らしいとは思ったけれど、そんな腹の探り合いをしている時間はないと樹は一気にカードを切ることを決めた。
「君も魔法少女なんだろう。俺のような一般人相手に警戒しすぎなんだよ」
「まほーしょーじょ?面白いことをいうね。それから、それから」
「君のやり方はよく知っているよ。だが、今日ばかりは無駄な時間を使っている余裕はないんだ。メグミさんは死んだんだろ。なのに、なぜ栞を一人で放っておいた」
返事がない。動揺している証拠だ。よし、あと一息。
「シオリは死のうとしたんだぞ。君たちを守るためにだ。出てこい、今すぐここに出てこい。事情を全部説明しろ」
そう叫んだ瞬間、樹の背中に悪寒が走った。
ゆっくりと振り返ると小柄な金髪の少女が、そこに居た。
少女は樹の襟もとに掴みかかる。
「何でシオリが死ぬ必要がある。アンタ何を言ってんだ」
「君なら分かるだろ。シオリの性格を。俺には何も分からない、本部のことも君たちに何が起こっているかも。だから、説明しろ。一緒に来てくれ」
「うるさい。どうして、アタシがアンタを信用しなけりゃならないんだよ」
互いの心臓の鼓動が聞こえるほどの距離。それでもはっきりと表情を読み取ることができない。
「君のすべてを知ってるわけじゃないけどさ。君のやり方はよく分かってるさ。だって、君の化粧は濃すぎるもの」
「蜂屋敷」は、仙台市青葉区小田原にある地名。
ハニカム=英語でミツバチの巣のこと(「Honey-Comb」)
「はにかむ」とは、「恥ずかしがること。恥ずかしそうな表情やしぐさをすること」の意。
古典では「歯をむき出す。歯が不ぞろいに生える」の意。