第7話 小さな勝利
「まだまだぁ!」
思わず笑みが漏れる。追いつめられるほど、やる気が出る。限界を超えたアーツを誰かに見せつけてやりたい。ナツの本性が少しだけ露わになる。
わき腹に一撃。右肩に一撃。激痛が走る。全身の骨が歪んだようにも感じられる。声を張り上げ、気合いを入れなければ意識をもっていかれそうだ。
「あと10秒。それで貴方もお終いですから」
クラーケンを包んでいた黄色い油がまた赤く変色し、爆発した。ナツは左手の楯で眼前に迫る爆風を防ぐ。
駐輪場の屋根に飛び乗ったカリンが最後の弾頭を放つ。緑色の粘性ある物質へと変化し、クラーケンの全身に纏わりつき大地へと繋ぎ止めた。ただ、それも永続的な鎖にはなりえなかった。傷ついていた3本の足を除く5本の足がやすやすとその粘体を振りほどく。
ウミウシのような頭からは感情は読み取れない。獣並みの知能しか持たぬこの災夢が、この瞬間、何を考えたのかは誰にもわからない。勝利の確信が、その顔をわずかに紅潮させたように見えたのは錯覚か。
目の前の少女の動きは先ほどよりもずっと鈍い。5本の足は5本の鉄杭。たとえ一度そのすべてを躱しきったとして、一呼吸ごとに攻撃は繰り返される。
一度は攻撃をすべて受けきったナツだったが、盾が跳ね上げられて大きく宙を舞う。
息をつく暇もなく続く五連撃がナツに向けられる。しかし、その顔から笑顔が絶えることはなかった。
「確実に相手を仕留めようとするときほど、その軌道は単調になるものですわ」
ナツは右手の長剣を両手で握り直すと,自分を仕留めようとする災夢の足に向かってこれを振るう。
「八連撃でも足りないっていうなら」
頭上でキラリと何かが光を反射した。
突然、空中から現れた剣がナツの動きにタイミングをあわせるようにして攻撃を繰り出した。
「剣を二本用意させていただきます」
挟みこむように打ち込まれる剣の連撃。最速の八連撃×2で十六連撃だ。
無数の斬撃が再度クラーケンの5つの足の肉を抉るとる。
ズタズタに切り裂かれた足は勢いを失ってナツの体にまで届くことがなかった。哀れな獣には何も理解できなったことだろう。
しかし、人であれば突然現れたもう一人の影、その姿に驚きを隠すことができなかったはずだ。
そこに現れたのはもう一人のナツの姿だったのだから。
『鏡合わせの相棒』。ナツの固有魔法である。鏡に映る自分自身の姿から分身を作り出す能力だ。
この能力のためにナツが持つ盾の表面は鏡のように磨かれているのだった。
分身は鏡の中から完全にでることが出来ず、身体の一部が鏡面に接していなければならないという制限があり、加えてせいぜい5秒程度しか分身を維持することができないものの、純粋に2倍の戦力を生み出す強力な切り札である。。
分身体であるナツは盾を拾い上げると、もう一人の自分にそれを投げ渡した。それと同時に分身の姿は消えうせる。
「さてさて。手品はこれでお終い。手数ではどうしても負けてしますわね。貴方の場合は足数でしょうけど」
ナツの投げかけるそんな余裕の言葉も災夢は理解できない。彼女は強がってはいるが左足の感覚がない。先ほどの攻撃の際に痛恨の一撃をもらったようである。
「名残惜しくはありませんけれど、お別れの時間です」
ナツは剣先をくるくると回し、敵を挑発する。
満身創痍のナツにできることは、実はこうして敵の最後の姿を眺めることだけだった。
最後の瞬間、クラーケンは何を観たか。
突如、頭上の空間が割けたかのように、一人の魔法少女の姿が飛び出した。
黒い影のような少女は、両手に構えた鉈のような二本のナイフをクラーケンの頭上に叩きつけると、一気にその貝殻に覆われた背中を駆け抜け、その背後へと着地した。
なぜ、こんな脆弱な攻撃が自分の生命の鼓動を止めてしまうか、そう考える暇さえ与えられなかった。
その影が動きを止めた時にはクラーケンは頭部から肛門にあたる部分まで一直線に切断され、左右対称の2つの塊に姿を変え、次の瞬間には黒い粒子となって虚空に消え去った。
姿を現した影、それは間違いなく『シャッテンノルム』こと影咲栞であった。
『静寂の中の殺意』。栞の固有魔法である。
完全に気配を消し、相手の認識の外に潜むことができる。そして、敵をじっくりと観察することで一撃必殺となる急所を感知することができるという能力である。
栞は息を切らし、その場に両手をついた。苦しい。それは肉体的なものではない。目の前で仲間がボロボロになっていく姿を見ながら手を出すことができず、決して外すことが許されない急所への正確な一撃を放たなければならない。その精神的な重圧に栞は耐え続けてきた。
栞は正直に言って自分の固有魔法が好きではない。これは罰だとさえ思っている。まるで暗殺者のようなこの能力は、卑怯者である栞に突きつけられた罪の証なのだと。
「栞っ」
ナツがいきなり抱きついてきた。
「あ、ずるい。アタシにも栞を抱かせろぉ」
二人を見つけたカリンも続けて駆け寄ってくる。
ごめんねと、栞は言いたかった。
ナツは全身酷い怪我で足を引きずっている。なのに自分は無傷だ。
だけど、ナツがそんな言葉を望んでいないことも分かっていた。だから、何も言わない。
「栞には、いつも迷惑をかけますわね。どうしてもギリギリになってしまいますわ」
ナツが口を開く。
「まぁ誰かさんが30秒は稼いでくれると大口叩いていたのだけれど、なんだか随分と頼りなかったからかもしれませんね」
「うーん。まだまだデータベースは完全じゃないんだよね。今回の戦闘データもフィードバックして。個体差とかもさ。ううん、つまり……ほんとにゴメン」
かりんが勢いよくナツに頭を下げる
「わっ、素直に謝られても困りますわよ。私が言いたいのはそういうことではなくて……私が、ただ前だけを見て切り込んでいけるのは、知るべき情報は全て貴方が与えてくれると信じてのことです。それが私たちの戦いでしょう。つまり、えーっと、何が言いたいかというと、チームプレイというのはですね……」
「うんうん」
「つまり、私はいつだってかりんの事も頼りにしているのだから、できることはできる。出来ないことは出来ないでいいってことですわ。チームなのですから」
「ふふふ、アタシもナツのことが好きだぜ」
意地悪そうににやつくカリンも、素直に笑顔になれないナツも、二人とも最高の仲間だ。
未熟な自分を許せない。それに簡単に答えは出せないけれど、この二人はそんな自分を忘れさせてくれる。二人がいる場所が自分の居場所なのだ。そう思えることが幸せだと思う栞だった。
「それにしても、たった一戦で継戦不能とは情けないですわ」
「Aランクの2連戦は無いと思いたいけど、どうかなぁ。次、何か見つけたらすぐに上に連絡しちゃおう」
「そうですわね。強がりを言える状況ではありません。恵さんが帰ってきたら、おいしいケーキを出してもらいましょう。ささやかなお祝いですわ」
「あー。それいいね。可愛い後輩たちの門出を祝って貰おう」
「何言ってんだ。明日はドデカいパーティになるぜ。先輩たちが大勝利を収めて帰ってくるんだからさ。50段くらいある超豪華なウェディングケーキを作ってもらおうぜ」
「それはとってもワンダフルだけど、結婚式は関係ないよ?」
夜はまだ始まったばかり
だけど、夢は終わろうとしている。
すべては楽しい思い出。過ぎ去った過去でしかない。
なぜ今こんなことを思い出してしまったのだろう。
栞の思考は鈍り、疑問をそのままに意識は混濁の中へと落ちていった。